任務
外に出た光は、その異様な光景を目の当たりにした。
夜の街には田島スタイルの人々がうろついていたが、どの人もどこか様子がおかしい。肌は土気色になり、歩き方も関節がまともに動いていないようなよたよたとした歩き方で、その姿はゾンビを彷彿とさせた。
「なんだ……? 田島スタイルが人々を狂わせてるのか?」
光は田島ゾンビ達に見つからないよう街灯を避け、懐中電灯を持ち、路地裏を通って祐介の家を目指した。祐介の家はそこまで遠くないので、このままいけば田島ゾンビに見つかることはないだろう。
「確かこの次を右に曲がって……」
光は曲がり角に着くと顔だけ出して田島ゾンビがいないことを確認し、曲がろうとした。
「あ……ああ……たすけ……」
蚊の鳴くような声に光が振り返ると、金髪の若者が地面に仰向けになって倒れていた。
「……大丈夫、です」
か、と近づこうとしたところで、光は男性の様子がおかしいことに気づいた。男性はベレー帽をかぶっていないし、分厚い枠の眼鏡もかけていない。そして、腹の部分に何か黒い固まりがうごめいて、ぐちゃぐちゃと音を立てている。
その固まりは光の声を聞くと顔を上げ、口にくわえていた、男性の体から伸びているぬらぬらとした細長いものを吐き出した。
光は男性の方から漂う鉄の臭いに鼻を手で覆いながら、懐中電灯でその人型の黒いものを照らした。頭にベレー帽をかぶり、枠の太い眼鏡をかけ、腰くらいまでの杖をついているその姿は、光の見慣れた人物だった。
「……み、三谷……!」
口から腰の辺りまで男性の血でまみれたクラスメイトは、光を見るとにやぁ……っと笑い、それから空を見上げて狼のような遠吠えをした。
「三谷、お前一体なにが……!?」
光は三谷に近づこうとしたが、周囲から近付いてくる数十の足音を聞いて足を止めた。
周りをよく見回すと、四方八方から田島ゾンビが近付いてくるのが見えた。まだ路地には入ってきていないようだが、逃げ道がなくなるのは時間の問題だ。
「くそ!」
光は気を失った男性と三谷を置いて祐介の家へ走った。
路地のゴミ袋を飛び越え路地裏を走ると、前方に田島ゾンビの姿が見えた。光は道を変えて走る。が、その先にも田島ゾンビが見えた。
「ああくそ……! 祐介の家はあとどのくらいだ……!?」
路地裏から祐介の家に行くのは小学校以来なため、どうしても感覚が狂ってくる。近付いてくる田島ゾンビ達は足は速くないものの、圧倒的な物量で徐々に逃げるスペースを狭めてくる。
そのまましばらくは逃げながら祐介の家へ向かっていたものの、ついに前後を田島ゾンビに挟まれてしまった。田島ゾンビたちは言葉にならない声を上げ、杖をカツン、カツン、と規則正しく鳴らしながら近付いてくる。
光はすっかり気力を失い、その場にしゃがんで迫り来る田島ゾンビたちを眺めた。そして、先頭にいる小さな女の子を見て、ああ、こんな可愛い子に食われるならいいかな、などと考えた。
「光! 何やってるんだ!?」
ついに幻聴まで聞こえ始めたか、と光は考えたが、それにしてはやけにくっきりと聞こえたような気がした。そして声のしたほうを振り返ると、祐介が窓の中から手を出して、しきりに光を呼んでいた。
「光! 中に入るんだ!」
「そう、か……もう着いてたんだな……」
「早く!」
光はようやく立ち上がり、祐介の手をつかんで祐介の部屋の中に倒れ込んだ。光は部屋の中に入る前に足をひっかかれて血が出ていたが、そのじんじんとした痛みが逆に生きているという実感をわかせた。
「どうしたの光、田島スタイルをしないで外を出歩くのは危険だよ」
祐介が雨戸を閉めながら話しかけてきた。祐介は光の足のけがに気づいて急いで駆け寄ってくる。
「光、足から血が……!」
「こんなのはかすり傷だ、祐介、お前の父親に話があって来た」
「いや結構えぐれてるって! ちょっと待ってて」
祐介は濡らしたティッシュで光の傷口をふいてから、机の引き出しから取り出したガーゼを傷口に当てて包帯を上からまいた。
その様子を見て、光はあることに気がついた。外にいた田島スタイルの人々は皆ゾンビ化していたのに、おそらく世界で初めて、もしくは二番目に田島スタイルを身につけたはずの祐介がなぜかゾンビ化していない。祐介は田島スタイルの発案者の息子だが、そのことがゾンビ化となにか関係があるのだろうか。
「祐介……、外の人達はどうなってんだ? なんでお前はゾンビ化してないんだ?」
祐介は少し考え込んだ後、意を決したように立ち上がった。
「……わかった。父さんのところに連れて行くよ」
光は祐介に連れられて部屋を出、ウォークインクローゼットの奥の隠し扉を開け、地下室に向かう階段を下りた。地下室の冷たい金属の扉を体で押し開け、祐介は光を先に入れ、自分は後から入って扉を閉めた。
扉の閉まる重厚な音が薄まると、地下室は痛いほどの沈黙に包まれた。地下室は広く、地上の車庫に入りきらない車や自転車置き場に利用されているようだった。
「すげえな……初めて入ったけど、ダークナイトに出てきた地下室みたいだ」
光は祐介ともう長いつきあいだが、この地下室には入ったことも、そもそも地下室があるということさえ知らなかった。普通は友人の家のクローゼットを勝手には開けないので当たり前だが、祐介もこれだけ広い地下室がありながら、少しも自慢するようなことはなかった。それなのにこんなあっさり地下室を見せるとは、祐介が平然とした顔をしながらどれだけ焦っているのかが表れているような気がした。
「父さん、友人の光を連れてきたよ」
祐介が地下室の奥のデスクに座っている男性に声をかけた。後ろ姿でもベレー帽をかぶっているのがわかったので光は身構えたが、その男性はしっかりと立ち上がり、落ち着いた声で光に話しかけた。
「よく来たね、光君」
「田島スタイルのブームについて話があるんだ」
祐介の父親であり、田島スタイルの発案者でもある田島一期は、大きく頷くと、「わかっている、私も君にそのことで話さなければいけないことがある」と答えた。
「君はなぜ、この田島スタイルが急激に流行ったのか、なぜ人々が皆ゾンビのようになっているのか、気になることだと思う」
「父さん、僕は部屋に戻ってようか?」
「いいや、祐介、お前も聞きなさい。……田島スタイルは、確かにかっこいい。私が考案した中でもダントツだ。しかし、普通は流行がここまで急激に、それも全世界にまで広まることはまずない」
「正直クソダサいけどな」
光の台詞が聞こえないのか聞こえないふりをしているのか、一期は気にしない様子で机の中から写真を取り出し、光に手渡した。
「この女性は?」
「私の妻だ」
「ほんとだ」と、隣にいる祐介がのぞき込んで言った。
「三日前くらいからどこかに旅行に行ってるんだ」
「でも、お前の母親と田島スタイルに何の関係が……、いや、まさか」
「そのまさかだ」
一期は光達に背を向け、深くため息をついた。
「妻は今から五日前、悪霊に取り憑かれた」
「…………は?」
「悪霊の名はカヅテ。奴はベレー帽を媒介してその洗脳を広げ、世界を手中に収める気だ」
「いや、ちょっと待った」
光は勝手に話を進めようとする一期を止めた。
「どうしたの?」
「なあ、お前の父親ってまじでおかしくなったのか?」
「おかしくはなっていない! 私は正気だ。君の力が必要なんだ」
光は頭を抱えた。今までおかしいおかしいとは思いつつ雰囲気に流されてきたが、ここまでくると馬鹿馬鹿しすぎて流石に夢なんじゃないかという気になってきた。
「信じるも信じないも勝手だが、この状況をなんとかしなければ君の両親も表をうろついているゾンビどもの仲間になるぞ」
「いや、父さんと母さんはまだ洗脳されてないぞ」
「洗脳されるだけならまだましだ。表の田島スタイル信者たちはノー田島スタイルの人間を発見すると次々と仲間を呼び、いつまでも追い続ける。君ならよくわかっているだろう?」
「……どうすればいいんだよ」
光は観念したように尋ねた。
「『ブレイン』を破壊するんだ」
一期は机の上のパソコンを起動させ、モニターに画像を映し出した。
「これはカヅテによる洗脳ツリーだ。見ての通り、母体となるブレインが他の人間を洗脳し、その洗脳された人間がネズミ講でどんどん他の人間を洗脳していく」
一期がパソコンに表示させた次の画像は、ブレインを中心として蜘蛛の巣状にのびる洗脳ツリーだった。
「この洗脳はブレインが中心に存在することで成り立っている。もしブレインを破壊すれば、ネットワークで繋がっているすべての洗脳された個体は皆意識を取り戻すだろう」
「なるほど……」
「で、そのブレインは誰なんだ?」
光が何気なく言った一言で、一期はうつむいてしばらく言葉を失った。ふるえた肩でしばらく息を整えると、一期は再び顔を上げ、しっかりとした口調で言った。
「これから言うことが、君にしかできない仕事だ。光君、きみが……カヅテのブレインである、私の妻を殺してくれ」




