第1話 追放と錆びたナイフ
礼拝堂の中央、純白の神託石から手を離した瞬間、頭の中に澄んだ声が響いた。
授かった恩恵スキルは武器庫。
文字通り、異空間の武器庫から武器を取り出す力らしい。
「おいクラウス、早く出してみせろ。我が家を継ぐこの兄の前に、貴様が得た武器をな」
正面に立つ異母兄のジュリアンが、白銀の騎士鎧を鳴らして尊大に見下ろしていた。
金髪を派手に撫で付け、腰には名匠が鍛えた儀礼用長剣を誇らしげに下げている。
成人の儀で戦闘スキルである剣聖の加護を授かり、伯爵家の正統な跡継ぎとして周囲にかしずかれている男だ。
俺は静かに息を吐き、意識の奥にある空間を探った。
前世の記憶が頭の片隅をかすめる。
深夜のオフィスで画面と向き合っていた日々。理不尽な仕様変更と納期に追われ、心臓が止まるまで使い潰された社畜技術者としての記憶だ。
生まれ変わって伯爵家の三男となったが、母の身分が低かった俺は、本家の中でずっと冷遇されてきた。
今日、十五歳を迎えて受ける成人の儀は、この家での立場を決める最後の試練だった。
意識を集中すると、暗闇の中にぼんやりとした境界が見えた。
手元を意識し、空間の隙間から目的のものを引きずり出す。
手のひらに現れたのは、赤茶色に煤けた、刃こぼれだらけのナイフだった。
全長は二十センチほど。
持ち手の木は乾燥してひび割れ、指を添えるだけで刀身がカタカタと頼りない音を立てる。
「ぶはっ! なんだそのゴミは!」
静まり返っていた礼拝堂に、ジュリアンの下品な笑い声が響き渡った。
「おい見ろ、神官殿! 錆びたナイフ一本だぞ! そんなナマクラ、豚の解体にも使えんわ! さすがは側室腹の三男、とんだ出来損ないを引き当てたものだな!」
ジュリアンは腹を抱えて大笑いし、周囲に立つ神官たちも眉をひそめて視線を逸らした。
「……武器の収納系か」
「よりによって錆びたナマクラとはな」
神官たちから、哀れみと蔑みの混じった囁きが漏れる。
貴族社会では剣聖や剛力、火炎魔導といった戦闘スキルこそが至高とされる。物を出し入れするだけの能力など、それだけで無能の烙印を押されるのがオチだ。
まして手の中にあるのは、路地裏の泥溝に転がっていそうな錆びた刃物だった。
だが、俺は手の中のナイフを見つめながら、内心で冷静に状況を分析していた。
確かに目に見える結果は、ただの錆びた刃物だ。
しかし、召喚に消費した魔力は驚くほど少なかった。
体内の魔力溜まりから、ほんの数滴の雫をすくい取った程度の感覚しかない。
さらに重要なのは、意識の奥に広がる武器庫の全容だった。
意識を深く潜らせると、手元にナイフを供給した粗末な木棚の背後に、巨大な鋼鉄の扉がそびえ立っていた。
扉には何重もの太い格子が組まれ、表面には無数の鍵穴が整然と並んでいる。
未解放の格納庫だ。
技術者だった前世の直感が、はっきりと告げていた。
このスキルは完成品ではない。
特定の条件を満たすことで階層が解放されていく、拡張型のシステムだ。
それに、たとえ錆びていようと金属は金属だ。
刃を研ぎ直せば切れるし、叩き直せば道具の素材になる。
無から鉄を生み出せるという一点だけでも、生産技術の観点から見れば十分に破格の性能だった。
「どうしたクラウス、声も出ないか? 出来損ないのゴミスキルを授かった気分は」
ジュリアンが嘲笑を収め、冷酷な目で俺を見下ろしてきた。
その口元には、邪魔者を排除する格好の口実を得たと言わんばかりの、陰湿な笑みが張り付いている。
「父上もお前のことなど端から期待していなかったが、まさかここまで無能とはな。ベルンシュタインの名を汚す恥さらしめ。貴様のような穀潰しを、いつまでも領都に置いておくわけにはいかん」
「……兄上のおっしゃる通りです」
俺はあえて感情を交えず、淡々と短く答えた。
ここで下手にスキルの拡張性を主張したところで、嘲笑が深まるだけだ。
理不尽な権力を持つ相手に正論をぶつけても消耗するだけだということは、前世の社畜生活で嫌というほど学んでいた。
「フン、殊勝な態度だな。だが許す気はない。父上からは貴様の処遇を一任されている。貴様には、北西の果てにあるコルト村の領主代行を命じる」
ジュリアンの唇が歪んだ。
「ガルム樹海の境にある、あの寒村だ。魔物の群れがいつ押し寄せるかも分からん極寒の土地だが、貴様のようなナマクラ持ちにはお似合いの墓場だろう。今すぐここを出て行け」
コルト村。
その名を聞いた瞬間、俺の胸の奥で小さな火が灯った。
領都アイゼンベルクから北西へ、荷馬車で七日もかかる僻地。
王国の防衛線からも見捨てられ、飢餓と魔物の脅威に晒されている限界集落。
そして何より、三年前、魔力ゼロを理由に名門フォレスト家から追放された幼馴染、シェリーが送られた場所だった。
幼い頃、本家で肩身の狭い思いをしていた俺の隣に、いつもいてくれた少女。
魔力を持たないというだけで冷遇され、涙を堪えながら北西へ去っていったシェリー。
その彼女が追放された村へ、俺自身が行くことができる。
本家から見れば厄介払いの追放劇だが、俺にとってはこれ以上ない好都合だった。
「どうした? 恐怖で足が竦んだか? 魔物の餌になるのが嫌なら、今ここで俺の靴を舐めて慈悲を乞うか?」
ジュリアンが楽しそうに靴先を鳴らした。
俺は静かに膝を折り、深々と頭を下げた。
「滅相もございません。ジュリアン兄上の命、謹んで拝命いたします。直ちにコルト村へ赴き、領主代行の務めを果たしてまいります」
「……けっ、面白くない奴だ」
膝をつく俺を見下ろし、ジュリアンは露骨につまらなそうな顔をして舌打ちした。
「さっさと消えろ。ベルンシュタイン家の敷居は二度と跨ぐな。荷物も屋敷の物は一切持ち出しを禁ずる。身一つで北へ失せろ」
「はっ」
俺は立ち上がり、背を向けて礼拝堂の扉へ向かった。
背後から神官たちの囁き声と、ジュリアンの乾いた鼻笑いが聞こえてきたが、一度も振り返らなかった。
教会の裏門を出ると、秋の淡い陽光が石畳を照らしていた。
だが、北西から吹き下ろしてくる風には、早くも冷気が混じっている。
屋敷に戻ることは許されなかったが、最初から戻る気など毛頭なかった。
身につけているのは簡素な式典用の服と、革の短靴だけ。
腰のポケットには、これまで少しずつ貯めてきた革の小銭入れが入っている。
中身を改めると、銀貨五枚と銅貨二十枚。
貴族の身なりとしては雀の涙だが、平民の旅費としては十分な額だ。
俺は迷わず領都の外郭へと歩を進めた。
目指すのは、都市の北門脇にある乗合荷馬車の発着所だ。
領都アイゼンベルクは堅固な城壁に囲まれた軍事都市だが、外縁の街道には各地方へ物資を運ぶ商人や荷馬車が集まっている。
発着所には、何台もの大型荷馬車が並んでいた。
馬のいななきと、御者たちの怒鳴り声が飛び交っている。
俺は北西方面の木札を掲げている荷馬車を見つけ、荷台のロープを締め直していた頑固そうな老御者に声をかけた。
「すみません。北西の街道を通る便を探しているんですが」
老御者は手を止め、煤けた顔を上げて俺を見た。
「北西だぁ? この便は山沿いの開拓地を回る定期便だが……あんた、見たところ上等な服を着たお坊ちゃんじゃねえか。北西の果てに何の用だ」
「コルト村まで行きたいんです。荷台の片隅で構いません。乗せてもらえませんか」
「コルト村だと?」
老御者は眉をひそめ、怪訝そうに目を丸くした。
「あんなガルム樹海のすぐ隣にある寒村へ行くのか? あそこは魔物が出るわ作物は育たねえわで、今じゃ逃げ出す奴ばかりだぞ。まともな人間が近寄る場所じゃねえ」
「身内が向こうにいまして。どうしても行かなければならないんです」
俺は革の小銭入れから銀貨二枚を取り出し、御者の手元に差し出した。
片道分の運賃としては相場より少し色を付けた額だ。
老御者は銀貨の輝きをじっと見つめ、それから俺の顔を値踏みするように見据えた。
「……本気なんだな」
「ええ」
「分かった。銀貨二枚で乗せてやる。ただし途中の悪路で腰を痛めようが、魔物の遠吠えに怯えようが、文句は言うなよ」
「助かります」
交渉は成立した。
荷台には荒縄で固定された樽や、乾燥肉を詰めた麻袋が積み上げられていた。
俺はその隙間に滑り込み、荷板の上に上着の裾を敷いて腰を下ろした。
やがて低く太い号令とともに、二頭立ての馬が力強く歩き始めた。
車輪がきしむ音を立て、荷馬車がゆっくりと前進する。
領都の北門をくぐり抜けると、視界が一気に開けた。
背後には威容を誇るアイゼンベルクの灰色の城壁。
前方には、果てしなく広がる荒野と、その先に連なる険しい山脈の稜線が見える。
吹き抜ける北風が、式典用の薄い服を容赦なく冷やしていった。
荷台の揺れに身を任せながら、俺は右手を胸の前に掲げた。
意識を集中する。
念を込めた瞬間、手のひらにぽんと赤茶けたナイフが現れた。
柄の木はささくれ立ち、刃には細かな欠けが無数にある。
誰が見てもゴミ同然のナマクラだ。
だが、念じるだけで消え、再び念じれば現れる。
消費魔力は極小。
何度繰り返しても、めまいすら起きない。
俺は前世の過酷な日々を思い返していた。
自分の時間をすべて捧げ、他人の利益のために心身を削り、最後は誰もいない暗い部屋で息を引き取った。
どれだけ尽くしても、組織にとって代わりはいくらでもいた。
そして今世でも、血筋と能力の優劣だけであっさりと捨てられた。
他人の定めた価値観に縋り、誰かの庇護に頼って生きる限り、いつか同じ結末を迎える。
「誰にも奪われない居場所を作る」
声に出して呟いた。
揺れる荷馬車の荷台で、俺は錆びたナイフを強く握りしめた。
刃こぼれした冷たい鉄の感触が、手のひらに確かな重みを与えてくれる。
頼るべきは本家でも血筋でもない。
この手にある力と、前世から積み重ねてきた技術と知識だ。
意識の奥にある武器庫の扉。
そこに並ぶ無数の鍵穴は、これから村を開拓し、守り抜く過程で一つずつ開けていけばいい。
今は錆びたナイフ一本でも、いずれ誰の手も届かない鉄壁の要塞を築いてみせる。
そこには、理不尽に追放されたシェリーもいるはずだ。
あいつを二度と泣かせはしない。
荷馬車は北西の空へ向かって、砂煙を上げながら進み続けた。
冷え込み始めた風を正面から受け止めながら、俺は静かに前を見据えていた。




