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ゾック・シンドローム  作者: Kentarou Theater


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第一話「誰もいない」


 暗い。


 モニターの光だけが、狭いコックピットの中を青白く照らしていた。


 カリーナ・パールヴァティ伍長は、目の前に広がる宇宙の暗さに、まだ慣れていなかった。


 彼女が生まれ育ったのは地球だ。空は青かった。夜は暗くても、朝になれば陽が射した。宇宙には朝がない。暗いまま、どこまでも暗い。そこに人間が作った光だけが点々と浮かんでいる。


 前席で操縦桿を握っているヴィンター・ノイマン少尉の後頭部が見えた。金髪。ヘッドセット。背筋はまっすぐ。微動だにしない。この人は暗さに目が慣れているのだろうか。それとも、最初から暗いところにいた人なのだろうか。


 カリーナはどちらとも聞けなかった。


 この少尉とは、三日前に初めて顔を合わせた。


 リゼット准将からの命令書が手元に届いたのが五日前。内容は「ヴィンター・ノイマン少尉の作戦行動に同行し、経過を逐一報告せよ」。それだけだった。作戦の内容も、目的地も、期間も記されていなかった。ただ「同行し、報告せよ」。


 つまり——監視しろ、ということだ。


 カリーナはその命令書を読んだとき、嫌な顔をした。自覚がある。自分はそういう顔をする人間だ。誰かを監視するという役割が、生理的に合わない。


 だが命令は命令だった。


 三日前。初対面のヴィンター少尉は、カリーナを一瞥して、一言だけ言った。


「朝食は自分で用意しろ。俺は食パンと牛乳以外出さない」


 挨拶はなかった。


 それから三日間、この男は必要最低限のことしか話さなかった。作戦概要。目標座標。使用機体の型番。搭乗手順。全てが簡潔で、正確で、温度がなかった。


 使用機体は、カリーナが見たこともないものだった。


 ドラム缶だ。


 ドラム缶を二つ横に並べたかのような鉄の塊。モビルスーツと呼ぶには小さすぎ、脱出ポッドと呼ぶには武装がついている。MIP社の形式番号がかろうじて読み取れたが、型番のデータベースに一致するものがなかった。少尉は「オッゴの改修型だ」とだけ言った。何がどう改修されたのかは教えてくれなかった。この機体を手配したのはマティアス大佐だと聞いたが、どういう伝手でこんなものを調達したのか、カリーナには見当もつかなかった。


 武装はザクのマシンガンが一丁と、混乱を引き起こすかのように備え付けられたシュツルムファウストが二発。


「これだけですか」


「十分だ」


「何に対して十分なんですか」


「想定される脅威に対して」


「想定される脅威って何ですか」


「着いてからわかる」


 カリーナは三度目の溜息を飲み込んだ。この人と会話するのは、格納庫の外壁にペンキで色を塗るより楽しくない。外壁は少なくとも色が変わる。この人は何も変わらないんだもの。


---


 コロニーが見えてきた。


 暗い宇宙の中に、ゆっくりと回転する巨大な筒。太陽光を受けるミラーが展開され、表面に無数の灯りが点っている。連邦軍の管轄コロニー。そこに、目的地がある。


「カリーナ」


「はい」


「これからコロニー宇宙港の貨物搬入レーンに入る。搬入コードは偽造済みだ。問題がなければ、そのまま搬入口から施設内に入れる」


「問題がなければ、ですよね」


「ああ」


「問題がありそうな顔をしてますけど」


「俺はいつもこの顔だ」


 それは否定できなかった。


 コロニーの宇宙港が近づいてくる。巨大な開口部。搬入用の無人コンテナがゆっくりと列をなして吸い込まれていく。その列に紛れる形で、二人のオッゴは進んだ。


 搬入管制から自動通信が入った。


『搬入コンテナ、識別コードを送信せよ』


 ヴィンターが偽造コードを送信した。三秒の沈黙。カリーナの心臓が三回跳ねた。本来なら通るはずのない識別コードだ。第8大隊のオペレーターが用意した隠匿プロトコルとやらを、カリーナは全く理解していなかった。


(どうか偽装が見つかったりしませんように…!!)


『コード確認。レーン7に進め』


 通った。


 カリーナは小さく息を吐いた。ヴィンターは何の反応もしなかった。通ることがわかっていたような顔だった。


 レーン7に入る。周囲は搬入コンテナばかりだ。資材、食料、機械部品——コロニーの生活を維持するための物資が、無言で流れていく。その中に、正体不明のドラム缶のようなものが一つ混じっている。誰も気にしない。


 搬入口まであと五百メートル。


 四百メートル。


 三百メートル——


 彼の手が操縦桿の上で止まった。


「……ヴィンター少尉?」


 返事がない。ヴィンターはヘッドセットに手を当てていた。目を閉じている。


 三秒。


 目を開けた。


「右舷、コンテナの影。何かいる」


 カリーナはモニターを見た。右側に積み上げられた搬入コンテナの隙間。暗い。何も見えない。


「何も——」


 その瞬間、コンテナの壁が内側から弾け飛んだ。


 緑色の機体。赤いモノアイが、暗闇の中で鈍く光った。


 ザクI。


 旧式の、しかし紛れもないモビルスーツが、コンテナの残骸を蹴散らして立ち上がった。左手にヒートホークを持っている。頭部のモノアイがこちらを捉えた。


「——うそ」


 カリーナの声は、自分でも情けないほど裏返っていた。


「伏せろ」


 ヴィンターが操縦桿を叩き倒した。オッゴが急降下する。ザクIのヒートホークが頭上を薙いだ。オレンジ色の熱光が、コックピットの天蓋をかすめた。


 コンテナが三つ、溶断されて崩れ落ちた。搬入レーンが火花に包まれた。


「撃ちます!?」


「撃て!」


 カリーナは火器管制パネルに手を伸ばした。ザクマシンガン、残弾は百発。照準がブレている。オッゴの姿勢制御が間に合っていない。この鉄の塊はモビルスーツと戦うようにはできていない。


 ヴィンターが機体を捻った。ザクIの二撃目をかわす。ヒートホークがコンテナを叩き割った。搬入レーンの自動警報が鳴り始めた。


「照準間に合いません!」


「合わなくていい。牽制しろ」


 カリーナはトリガーを引き、120mmのザクマシンガンが火を噴いた。弾丸は肩の装甲をかすめた——が、角度が浅く弾かれてしまった。弾丸は火花の尾を引いて闇に消える。


「当たった!」


「角度が悪い。正面から撃て」


「そんなこと言われても困るんですけど!?」


「次の攻撃が来る、備えろ。チャンスは一度切りだ」


「えええええ!?」


 ザクIが推進剤を吹かした。無重力の搬入レーンを、十八メートルの巨体が滑るように加速し、ヒートホークを振りかぶった。このまま直進すれば、三秒後にオッゴは叩き潰される。


 ヴィンターが操縦桿を右に倒した。スラスターが噴射し、オッゴが横滑りする。ザクIのヒートホークが、さっきまで二人がいた空間を薙ぎ払った。斬撃の慣性でザクI自身の姿勢がわずかに崩れる。


 一瞬の隙。


「マシンガンは捨てろ」


「え!?」


「対モビルスーツ用噴進弾。一発だけだ。外すな」


 カリーナの指が火器管制パネルの上を走った。シュツルムファウスト。使い捨てロケット弾。二発あるうちの一発。当たればザクIの装甲でも致命傷。


「外すな。外せば——次はない」


「うそでしょおおお!?」


 ザクIが体勢を立て直した。モノアイの赤い光がこちらを捉え直す。ヒートホークが振り上げられる。


 距離、八十メートル。七十。六十——


「少尉——!」


「まだだ」


 五十。四十——ヒートホークのオレンジ色の光が、コックピットの中を染め上げた。


「まだか!」


「——今だ」


 その瞬間、カリーナの脳内には確かに閃きに似たようなものがあったかもしれない。


 そして刹那、カリーナの指がトリガーを叩く。


 一発のシュツルムファウストが射出される。白い尾を引いて、まっすぐにザクIの方へと向かって飛んでいく。


 至近距離。回避は間に合わない。


 ロケット弾がザクIの右脚部関節に直撃した。


 爆発。閃光。破片が無音で四方に散った。真空の宇宙には爆音がない。ただ光だけが、一瞬、搬入レーンを白く塗り潰した。


 ザクIの右脚が根元から吹き飛んだ。駆動系が死んだ機体は姿勢制御を失い、慣性のままにゆっくりと回転し始めた。ヒートホークを握った左腕だけが、虚しく宙を掻いていた。


 スラスター噴射が止まらない。脚部を失ったザクIは制御不能のまま、搬入レーンの壁面に衝突した。固定されていないコンテナが衝撃で浮き上がり、無重力の中をゆっくりと漂い始めた。


 ザクIは壁とコンテナの間に挟まれ、動かなくなった。


「……止まった?」


「行くぞ」


 ヴィンターはオッゴを搬入レーンの脇にある廃棄物集積区画——巨大なゴミ捨て場のような空間——に滑り込ませた。ここには使い古されたコンテナや壊れた機械が山積みになっている。


 オッゴが着地した。ドラム缶のような機体が金属ゴミの山にめり込んだ。


「降りるぞ」


「ここに隠すんですか」


「ゴミの中にゴミをもう一つ増やしても誰も気づかない」


「今の、オッゴのことを言ってます?」


「機体のことだ」


(もしかして、それって私のことじゃないよね……!?)


 二人はコックピットから降りた。カリーナは重力に足を取られそうになった。コロニーの人工重力は地球よりわずかに軽い。


 ヴィンターは既にザクIの方に歩き出していた。


「ヴィンター少尉、どこに行くんですか」


「確認する」


「何を」


「中を」


 コンテナの山に埋もれたザクIは、まだ微かに動いていた。ヒートホークの刃が断続的に光る。だが動力が落ちかけているのか、動きは鈍い。


 ヴィンターはコンテナの残骸を足場にして、ザクIの胸部装甲によじ登った。カリーナも続いた。


 コックピットハッチ。非常用の外部開放レバーがある。


「開けますか」


「開ける」


 ヴィンターがレバーを引いた。プシューッと空気が抜ける音がして、ハッチがゆっくりと開いた。


 中は暗かった。


 非常灯の薄い光が、コックピットの内壁を照らしていた。操縦席。コンソール。計器パネル。全てが正常に見えた。


 ただ——椅子に誰も座っていなかった。


 シートベルトは締まっていない。ヘルメットも、ノーマルスーツも、ない。人間がいた痕跡が、一切ない。


 カリーナはコックピットの中を覗き込んで、それから顔を上げてヴィンターを見た。


「……少尉」


「ああ」


「誰も、いないんですけど」


「ああ」


「誰がこれ動かしてたんですか」


 ヴィンターは無人のコックピットを見下ろしていた。ヘッドセットに手を当てた。目を閉じた。


 五秒の沈黙。


 目を開けたとき、その緑色の目に、カリーナが見たことのない色が浮かんでいた。


 怒り、ではない。悲しみ、でもない。


 もっと深い、もっと静かな何か。この男がこれまで見てきたものの残滓が、一瞬だけ表面に浮かび上がったような——


「……少尉?」


「行くぞ、カリーナ」


 ヴィンターはザクIから飛び降りた。カリーナも後を追った。


「あの、説明——」


「中で話す」


「中って——施設の中で?」


「ああ。ここからは中に入る」


 廃棄物集積区画の奥に、コロニー内部への気密隔壁があった。搬入物資を与圧区画に引き込むためのエアロックだ。ヴィンターがバックパックから偽造セキュリティカードを取り出し、壁面の操作パネルにかざす。隔壁が低い駆動音とともに開いていく。


(この人についてこんなところまで来ちゃったけど、これから私どうなっちゃうんだろう……)


 二人はエアロックに入った。背後の隔壁が閉じる。与圧開始。気圧が上がっていく。数十秒の後、前方の隔壁が開き、暖かい空気が流れ込んできた。コロニー内部の空気。酸素と、微かに人工的な空間の匂い。


 ノーマルスーツのヘルメットを外せる。カリーナは深く息を吸った。


 エアロックを抜けた先は、施設の搬入通路だった。職員用の入館ゲートが見える。


「この先は連邦軍の施設だ。軍服は脱ぐ。作業員の格好に着替えろ」


「着替え、持ってきてたんですか」


「計画的犯行だ」


「悪びれもしないんですね」


「悪びれる理由がない」


 通路の脇に資材置き場があった。カリーナはその陰に回り、ノーマルスーツを脱いだ。


 カリーナは作業服に着替えながら、さっきの無人のコックピットのことを考えていた。


 私が見た時にはすでに誰もいなかった。でも確かにコックピット内には空気のようなものが入っていた。確かに誰かがいたような痕跡はなかったのだが、はて……?


 あのモビルスーツはひとりで勝手に動いていた。いや、無人であんな機敏に動くわけがない。どこかに、あれを動かしていた誰かがいる。このコロニーの施設内のどこかに。


 カリーナは背筋に冷たいものを感じた。宇宙の暗さとは違う冷たさ。人間が作り出した冷たさ。


「……少尉」


「何だ」


「この施設には、何があるんですか」


 ヴィンターは作業服のファスナーを上げて、カリーナを見た。


 そして——答えなかった。


 答えなかったことが、答えだった。




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