第11章:消え去った彼
サーバールームの冷気は、まるで無数の見えない幽霊のように、襟元や袖口から容赦なく皮膚の奥へと侵入し、その恒定した金属の臭気とともに、周囲のすべてを凍りついた氷穴へと変えていくかのようだった。
飛は床に崩れ落ちた姿勢のまま、長い間、身じろぎ一つしなかった。 彼の指先は防静電床の細い隙間に深く食い込み、そのザラついた感触が、これが決して夢ではないことを彼に突きつけていた。次元の狭間を落下したあの凄まじい衝撃はまだ内臓から引ききっておらず、その目眩と引き裂かれるような痛みは、無数の細かな針となって彼の神経末梢の上で不気味に踊り続けていた。
スマートフォンの画面は相変わらず、惨白な冷たい光を放って彼の青ざめた顔を照らしている。 日付と時刻は、まるで冷酷な判決文のように、ディスプレイの中央にクッキリと刻まれていた。 ――2026年4月22日、13:50。
彼はその数字を二秒間凝視し、乾いた喉から低く、掠れた声を絞り出した。
「……八日間だ」
彼はその数字を死んだ魚のような目で見つめた。呼吸が何者かに喉元を締め上げられたかのように、極めて細く、そして困難になる。八日間。丸々八日間だ。彼は明確に記憶している、昨日の午後、自分はまだこのオフィスで投資家の無理難題に頭を抱えていたはずだ。あの日は確実に4月14日だった。
「鏡界じゃ、たったの十二時間しか経っていなかったはずなのに……!」
彼は無意識に左手を持ち上げ、腕時計を見た。針は静かに時を刻み続け、1時10分のパラメータを正確に指し示している。まるで時間という概念が、最初から一切の錯位を起こしていないかのように。彼はゆっくりと頭を上げ、整然と並ぶサーバーラックを見つめた。インジケータは規則正しく点滅し、筐体は均一なハミングを響かせている。このサーバールームは、何一つ異常のない、完全にクローズドで精密な世界として稼働していた。
だが、この「過剰なまでの正常さ」こそが、かえって人を底の知れない不条理の深淵へと突き落とす。
彼は震える手で重い身体を支え、床から這い上がった。全身の筋肉が軋み、その激しい酸痛のせいでまともにスタンドすることすら難しい。サーバーラックからは相変わらず、あの単調で冷漠なブーンという爆音の排気音が響き渡り、このわずかな空間と外部の現実を完全に切り離していた。
彼は自分の掌を見た。掌紋は変わらない、見慣れた縦横の線のままだ。だが、彼はこの手の毛穴のすべてに、あの鏡界の埃と鉄錆がこびりついているかのような錯覚を覚えた。あの機械油、発酵した地下水、そして死の余韻が混ざり合ったあの不気味な臭気が、すでに骨の髄まで染み込んでいるかのような。彼は手を持ち上げ、スーツの袖口を神経質に何度も強く擦り合わせた。まるで目に見えない汚れを削り落とそうとするかのように。だが、仕立ての良い布地は、ただ彼の指先の中で無様にシワを寄せるだけだった。
サーバールームのドアを押し開けると、通路の蛍光灯は相変わらず惨白に輝いていた。 一歩外へ踏み出した瞬間、加熱され、コピー機のトナーの臭いを含んだオフィス独特の空気が顔に吹き付けてきた。それは彼が三年間熟知してきた、近現代の文明の匂いそのものだった。
通路の向こうから、総務部(総務係)の山田がマグカップを手にこちらに向かって歩いてくるのが見えた。 山田は飛の姿を視界に捉えた瞬間、明らかにその場に硬直した。直後、まるで珍しい化け物でも目撃したかのように、その瞳に複雑で、名状しがたい驚愕の色を過らせた。だが、それはすぐに日常の弛緩した表情へと上書きされた。
「飛社長?」山田は足を止め、カップの中のコーヒーを危うく紙コップのエッジにこぼしそうになりながら言った。「やっと戻られたんですね。ここ数日……」
山田は一瞬言葉を切り、何か言葉を選ぶように視線を泳がせた。 「ここ数日、電話が全く繋がらなかったから、みんな、また何か大きなプロジェクトで、どこかの人里離れた場所にでも篭ってコードを叩き狂ってるんじゃないかって噂してたんですよ」
飛は山田の顔を凝視した。この顔、彼が三年間毎日見てきたはずの顔が、今の彼の目にはどうしてか酷く歪んで見えた。彼は山田の喋る口元の震えを見つめ、その瞳の奥の微かな躊躇を見つめた。まるで、極めて大根役者な、事前にリハーサルを繰り返した演劇を見せられているかのような感覚。
「あぁ。少し用事があってな」
飛はただ一つの音節だけを吐き出した。喉が紙やすりで削られたかのように掠れており、自分でも驚くほどの冷え切った声だった。
彼は足を止めず、山田と肩を擦り合わせるようにして通り過ぎた。山田の視線が、まるで背後に突き刺さる氷の刃のように彼の背中に定格し、ぞっとするような悪寒が背筋を駆け抜けた。彼はオープンオフィスへと足を踏み入れた。
そこは相変わらず、活気に満ちた執務エリアだった。 キーボードを叩く乱雑な音が雨音のように響き、交わされる議論の声、電話のコール音、プリンターの稼働するカチャカチャという物理音が、巨大で堅固な現実の網を編み上げていた。飛はそれらの忙しそうな背中を見つめ、デスクに貼られた付箋を見つめ、植木鉢の多肉植物を見つめた。猛烈な嘔吐感が、喉の奥まで競り上がってきた。
彼は自分のデスクへと戻った。あの黒いエグゼクティブチェアは静かに彼の帰りを待っており、PCのディスプレイは漆黒のまま、今の彼のボロボロで狼狽した姿を鏡のように映し出していた。髪は乱れ、スーツには細かな灰と正体不明の油汚れが付着し、ネクタイは首の横へと大きく曲がっている。
彼はゆっくりと腰を下ろした。座面が臀部に触れた瞬間、その馴染み深い物理的な感触が、彼に前代未聞の荒唐無稽さを抱かせた。
電源ボタンを押す。画面が立ち上がり、カーソルがそこで穏やかに点滅した。 パスワードを入力するまでもなく、彼の指先は独自の意思を持っているかのように動き出した。PCのタイムスタンプもまた、確実に2026年4月22日を示している。間違いない、八日間が経過しているのだ。12時間などではない。彼はキーボードの上で超高速でタイピングを始めた。彼は『ユアンAI』のバックエンドのシステムログを呼び出した。時間軸が、画面の上を下方へとスクロールしていく。
一行一行、連続した、完全に閉鎖されたログが、彼の眼前に静かに並んでいた。 中断はない。空白もない。丸々八日間の稼働記録が、そこには整然と敷き詰められていた。
飛の視線は、その中に不意に現れた、一本の黄色い警告文の上でピタリと停止した。
【WARNING】タイムスタンプ検証異常:非連続的な振る舞いセグメントを検出しました
彼はそれを数秒間見つめた。だが、そのモジュールをクリックして深追いすることはせず、ただ静かにウィンドウを閉じた。まるで、その文字など最初から存在しなかったかのように。
彼はエグゼクティブチェアの背もたれに身体を預け、天井の冷白い蛍光灯を見上げた。光があまりにも眩しく、刺すようで、彼は目をまともに開けていられなかった。彼は幻覚を見た――自分のいないあの八日間のタイムラインの中で、一人の幽霊が、これらのデータの間を、このオフィスの中を縦横無尽に駆け巡り、完璧な「飛社長」を演じ続けている光景を。
ならば、今ここに座っている男は誰だ? あの鉄錆の廃墟から帰還した生身の本体か、それとも、時間の断裂点に取り残されたただの残像なのか?
その根源的な自己疑念が、彼に強烈な窒息感をもたらした。 彼は今、自分がまだ「飛」という人間であることの証明、現実のアンカー(錨)を狂ったように求めていた。
彼は手を伸ばし、スマートフォンを掴んだ。 それは、彼の連絡先リストの一番最後にある名前だった。彼の指先はその文字列の上で停止し、長い間、躊躇を繰り返した。もし彼が口を開けば、もしスピーカーから聞こえてくる声がいつも通り馴染み深いものだったなら、これはただの孤独な深淵の夢に過ぎないと言えるのだろうか。
コホ、コホ――。
コール音が響き、彼はスマホを耳に当てた。言葉を発することはせず、ただ静かに、その時を待った。
同じ瞬間、集落の端にある舞の隠れ家では、空気のパラメータが完全に臨界点を迎えていた。
木製のドアが凄まじい外力によって押し破られ、鈍い破壊音を立てて吹き飛んだ。 数道の黒い影が、ほとんどタイムラグなしに室内に突入してきた。一切の試行を省き、最初から明確な殺意のベクトルを維持したまま、真っ直ぐに舞へと圧迫をかけていく。
舞は辛うじてスタンドしたばかりだったが、第一波の攻撃はすでに彼女の喉元に肉薄していた。 彼女は身体をわずかに側面にそらし、極めて流れるような動作でそれを回避した。協調性は完璧だ。二男がすぐさま追撃を仕掛け、拳を下ろしてくる。彼女は手を持ち上げてそれを受け流し、ステップを瞬時に変えることで、すでに反撃のためのフレーム(空間)を確保していた。
三人が側面から斜めに切り込んでくる。角度は極めて陰険だった。だが、彼女は完全に首を巡らせるまでもなく、身体が先んじて閃避の動作を完了させていた。全体のパフォーマンスは依然として彼女のコントロール下にあった。もしこのままルーティンを維持できれば、この一連の交差で彼女は完全にカウンターを叩き込めるはずだった。
――しかし。 彼女の筋肉のパフォーマンスが、ある一瞬の断点において、極めて微かに、しかし決定的に停止した。
身体の例外ではない。 脳内の、念頭のバグだ。
さっきまで、飛がここに立っていた。まさに、この位置に。 彼が喋る時のあの少し自信なさげな、しかし実直な口調。彼女はそれに笑いながら答えていた。
そのログがあまりにも鮮明すぎて、すでに過去のものとは思えなかった。今まさに、目の前で起きたことのように。
舞の手が、半拍遅れた。
ほんの千分の一秒の錯位。だが、眼の前の刺客たちはそれを見逃さなかった。
第四の攻撃がすでに彼女の肋骨のレイヤーへと肉薄していた。彼女は全体の重心を修正する時間がなく、ガードで硬接するしかなかった。ドゴォッ――という鈍い衝撃が側腹部に直撃する。致命傷ではない、だが彼女の呼吸のパラメータを一瞬で乱れさせた。
彼女は後退し、ステップをリセットすればまだ立て直せるはずだった。だが、その視線は、どうしようもなく机の角へと偏向してしまった。
そこには、もう誰もいなかった。
さっきまでいたあの男が、まるで最初から存在していなかったかのように、文字通り完全に消滅してしまったのだ。
その念頭が脳内を過ったまさにその刹那、敵の攻撃のテンポが突如として変調した。 アタックの密度が異常なほどに圧縮され、一切のフレームの隙間を排除するように、まるで何らかのプログラムによって再配列されたかのように激しさを増した。
舞は強制的に意識を引き戻し、再びスタンドを構えた。動作の正確さ、ステップの切れ味、それ自体は依然として完璧だった。ただの純粋な戦闘であるなら、これらの掃除屋ごときが彼女を制圧することなど絶対に不可能なはずだった。
だが、彼女の心臓の鼓動は、すでに完全に乱れていた。
眼の前の敵のせいではない。 さっきの、あの唐突すぎる「空虚」のせいだ。 あまりにも綺麗に、徹底的に世界から消え去ってしまった、あのダークブルーの背中のせいで。
彼女は再び攻撃を閃避し、本来なら完璧な反撃のタイミングを掴んでいた。だが、持ち上げた手が、一瞬だけ、また止まった。
一つの最悪なクエスチョンが、唐突に脳内で明滅した。
(あいつ……もう二度と、戻ってこないんじゃないかしら?)
ロジックなどない。理由も必要ない。ただ、その恐れが彼女の胸を支配した。 彼女の動作が、わずか一ミリメートルだけブレた。
本当に、その一ミリメートル。 敵は、それを完璧に捉えた。
重兵器の一撃が正面から圧迫し、彼女の招架は半拍遅れた。凄まじい衝撃の応力がまともに彼女を捉え、重心を完全に破壊された身体が、そのまま後方へと吹き飛ばされた。テーブルがひっくり返り、ガシャガシャと激しい雑音を立ててランプの灯火が狂ったように明滅する。
机の上に置かれていたあの暗銀色の短杖が衝撃で宙へと跳ね上がり、空中で短い、しかし鮮明な幽藍の弧線を描いた。
舞の瞳が、その回転する手杖の軌道に、一瞬だけ吸い寄せられた。
ドアの外、一人の人影が静かにそこに佇んでいた。最初から動かず、手を下すこともなく、ただこのすべてを見つめていた。 その黒笠の陰に隠された冷酷な視線が、最終的に、宙を舞う短杖の上へと固定された。
コホ、コホ――。
コール音はまだ続いている。 飛はオフィスの中に立ち、スマホを耳に強く押し付けた。
誰も出ない。
彼は微かに眉をひそめ、何か言葉を発しようとした、その瞬間――。
視界が、不意にグニャリと揺れた。 目眩ではない。空間そのものが錯位を起こしたかのような感覚。周囲の音が半拍遅れて聞こえ、空気のパラメータが不自然に横へと偏向していく。
彼は無意識にデスクを掴んで身体を支えようとしたが、指先が木目の実体に触れるよりも早く――。
全く同じ瞬間のタイムスタンプ。隠れ家の小部屋の中で、短杖が落下した。
舞が手を伸ばし、それをガシリと掴み取った。
――その刹那。 飛のシルエットが、オフィスの中から、瞬時に消失した。
「もしもし」
スピーカーの向こうから、ようやく応答の声が響いた。それは彼が熟知している、だが酷く疲弊した妻の音声だった。
だが、通話はすでに切断されていた。 スマートフォンの画面はただ漆黒の闇へと戻り、冷たい黒の反射だけを残していた。




