「どーしてくれるつもりなの!?」ーーレオノラ・マミレ海軍軍令部長は言った
イリリア軍がお笑いみたいなことをしている間も、国際社会は激動を続けていた。
悪化するフルバツカ問題を解決するための委員会が国際連盟に設置され、連合王国やフランクは問題の平和的解決のためエトルリアとの協議を続けていたが、そんな中、ちょっとした事件が起こる。
ドイトラントは国際自由都市とされていた旧領土ザール市を、住民投票の結果併合。戦線党政権下において初の国境変更が行われることになったのだ。
戦線ドイトラントが大戦争以前の領土を回復させようとする試みがいよいよ実行に移され、周辺諸国の警戒を呼んだ。これ以降、フルバツカ問題を巡る協議は、エトルリアをいかに対ドイト陣営に取り込むかに主眼が置かれることになる。
エトルリアもエトルリアで独自に行動を起こしていた。二月に入るとセプルヴィアとの間にフルバツカ問題に関する協議が行われ、「フルバツカとエトルリアとの紛争にセプルヴィアは一切介入しない」という合意が成立。交渉地の名を取り、「ミラノ協商」と呼ばれる協商関係が成立した。
そんななかイリリアは冬季議会が開会し、4月から始まる1935年度国家予算の審議が始まった。
この予算審議、どこの国でもそうだが、イリリアでも与野党の激しい攻防が繰り広げられている。ヤジの飛ばし合いはまだ優しい方で、水が飛んだり拳が飛んだり、ひどいときには牛糞が飛んでくる。ユリアナはこれなんてプロレス? と思わず疑問を呈したほどだ。
「あいつらこの畜生、次の選挙覚えてろよ……」
「大統領、言葉が汚いです」
頭から水をぶっかけられたユリアナは、犯人の野党議員に対する怨嗟の言葉を吐き連ねながら議会を後にしていた。
「今日の予算委員会も荒れましたねー」
後ろに引っ込んでいたおかげで特に被害を受けなかったルカが他人ごとのように言う。
「福祉予算に民保党からケチがつき、軍事予算に社労党が文句がつく……。だから連立政権なんて嫌なんだー」
野党で右派の民族保守党は、ユリアナが進める五か年計画――政府の大規模な市場介入――に反発しており、国民の支持を取り付けるために創設した国民保険制度にも反対している。
一方連立与党の社会労働党はユリアナ政権の福祉政策には評価を下しているものの、同時に大幅増額となった軍事予算にケチをつけており、スムーズな予算成立とはいっていない。
ユリアナ全面支持を訴えるのは、議会選挙の際に自分で作ったイリリア国民党だけだが、国民党は単独過半数を確保することができていないのだ。
イリリア議会勢力は現在のところ、過半数にぎりぎり届かないぐらいの議席を国民党が、残りを民保党と社労党が折半しているような状態である。
ちなみにイリリア共和国大統領は議会解散権を有しているが、そんなことをすれば返す刀で弾劾決議を可決されかねないので行使できない。それに、この微妙な時期に政治的空白を作ることもできないのだ。
というわけで今のユリアナにできることは、議会に出席して予算の意図を説明し、少なくとも連立与党内の調整を決着させることだけなのだ。
「シュペリア委員長はなんて?」
「シュペリア社会労働党委員長は依然軍事予算、特にエトルリアからの兵器購入及びエトルリア軍協力関係費の削減を求めていますね。今日の夕方から国民党のアルマノ代表と予算問題に関する会談を行います」
「うーん、アルちゃんにはある程度裁量権上げてるからなぁ。交渉の結果予算を修正して差し戻し、っていう可能性もあるか……。あらかじめ政府としての妥協ラインをアルちゃんには伝えておこうか。正直予算でこれ以上揉めてる暇もないし」
政府が提出した予算を議会が審議した結果、議会が否決、修正案を作成して政府に差し戻すという事もイリリア憲法では可能である。
そして表向き、議会内の交渉にユリアナは関与できない。ユリアナが造った国民党だが、ユリアナ自身は議員ではないため、議会代表は別の人物、アルマノ・リオヴァ議員が勤めているのだ。もちろんユリアナが彼女を通して政党や議会に影響力を持っていることは公然の秘密だが。
「ではライサ蔵相に指示しておきます。大蔵省でもおそらくその可能性を踏まえた腹案を用意しているでしょうし」
「オッケー。よろしく、ルカ」
そこまで話したところで、二人は官邸にたどり着く。官邸と議会は背後で隣り合わせになっており、裏庭を通ることで行き来ができるようになっているのだ。
ルカは連絡のため自分の執務室に引っ込み、ユリアナは服を着替えるべく官邸内の自室へ向かった。
午後からはユリアナも参加する国防会議だ。
元々のメンバーに加え、空軍準備室長に航空総隊準備隊司令、そして国防補佐官のブレンカも参加する。目下最大の議題は、
「では、フルバツカ問題に関する我が国の国防行動に関する会議を開催します。ニナ、陸軍における現在の問題について改めて報告を」
議長を務めるユリアナが促すと、ニナ陸軍参謀総長は屈辱と恥ずかしさで歯ぎしりをしながら報告書を読み上げた。
「陸軍戦力改編に伴う一時的な即応部隊の減少について、だね。参謀本部としては、編成中の第一歩兵連隊、及び第二歩兵連隊については今年夏までに作戦行動可能な体制に持っていく予定だ。第三歩兵連隊及び第一砲兵連隊は秋までにはどうにか使い物にする」
「私たちが聞きたいのはそんなことじゃないの」
レオノラ海軍軍令部長の冷たい声が飛ぶ。
「国防の要を自称していた陸軍さんが、半年も国防力の空白を開けることになったのは大問題なの。夏までの間、イリリアの国防はどうするつもりなの?」
「……国境警備隊北方大隊の増強で対応するよ。南部警備大隊から二個小隊、及び首都駐屯警備中隊の全部を一時合流させるつもりさ。すでに首警は移動を開始してる」
「砲兵支援もない歩兵の集まりだと聞いてるの。それに首都を丸裸にするつもりなの? 南部国境だって領土紛争があるというのに」
レオノラの厳しい指摘に、ニナは返す言葉もなく歯ぎしりをした。険悪な二人にミーナ海軍大臣が割って入る。
「し、しかし! これでフルバツカ国境には二個大隊の戦力が集まります! 何なら我が海軍が有する基地警備隊及び海軍憲兵の一部を、首都警備に当てることも、可能です……」
ここで、ずっと黙っていたトルファン陸軍大臣が口を開いた。
「ご協力感謝いたしますぞ、ミーナ海相。ですが今回は完全に我が陸軍の不手際。失敗の責任は我々で取る所存です」
そういって一枚の紙を取り出し、ユリアナに手渡した。
「兵力不足を補うための予備兵力一部動員命令……?」
「ええ。陸軍省内で検討しましたところ、すでに動員可能な予備兵力は5万程度あります。その一部を今回の兵力不足の補てんに充てるべく、大統領に動員を命じて頂きたいのです」
最高司令官であるユリアナには、全軍に対し動員を命じる権限が与えられている。
そしてイリリアは徴兵制を敷いており、15歳から30までの男女は兵役につかなくてはいけないと決まっていた。普段は社会生活を営むが、動員命令が下れは兵隊に戻るのだ。
ただ長年の内乱でこの制度は形骸化しており、和平成立後のユリアナ暫定政権下で復活、徴兵検査を数年前から全土で行っていた。
そしてこの動員命令は、一般には戦争準備の極みともいえるものである。先の大戦争ではエスターライヒがセプルヴィアに宣戦した際、同盟関係に則って帝政ルーシが総動員を下令。これを受けドイトラント帝国が総動員を行い……、と言った具合で次々と戦果が拡大していった。
だからこそ、ユリアナはトルファンの提案には顔をしかめた。
「うーん、この時期に動員命令はちょっとねぇ。フルバツカを刺激する可能性が高いし、先制攻撃の口実を与えかねないし……」
「戦争準備のためではありませぬ。兵力充填です」
「陸軍は自分たちが戦争でもないのに予備兵力を使わなくちゃいけないって世界に宣言したいの?」
レオノラも皮肉まじり疑問を呈した。
「それに問題の本質は何も解決していないの。エトルリアがフルバツカと開戦するのは、もう時間の問題なの。その時に、『イリリアが使える兵力がないので動けません』なんて言おうものなら失笑レベルじゃないの。同盟関係に亀裂が入ることは間違いないの!」
「海軍といたしましては、海上封鎖が行られる場合にエトルリア軍への補給及び封鎖艦隊への参加を考えていますが……、何分うちの艦は大戦争のさらに十年前以上前に作られた貧弱なもの……。貢献という意味合いではもはやあってもなくても……、ぐらいで……」
消え入るようなミーナ海相の声に、レオノラの怒声が重なった。
「あんたたちが出しゃばってるから海軍はこんな事態になってるの! どーしてくれるつもりなの!!」
「んー、まあ、その辺で納めてあげてよ、レオノラちゃん」
「大統領?」
ユリアナがにやりと笑いながら身を乗り出した。
「現下の問題点は二つ。フルバツカ戦争が勃発した時の我が軍の対応と、夏までの通常の国防体制、でいいね?」
「……そうなの」
「じゃあ、例のあれ、説明してあげてよ……、アニアちゃん」
「はっ!」
ずっと議論の行方を傍観していた、アニア空軍航空総隊準備隊司令が勢いよく立ち上がった。
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このお話を考えるとき、結構大変なのが登場人物の名前だったりします。あっちこっちのサイトを見まわったり本をひっくり返したり、時にはなんとなーく決めたりしちゃっています。
今回タイトルに出てきたレオノラさんは、名字が前に一度ちらりと出てきただけだったので作者の自分もすっかり忘れていました……。そこの部分探すために最初から読み直す羽目になっちゃいますし。ちゃんとメモは取らないとだめですねw。




