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城壁横の古龍さんは住民票がありません  作者: 乾燥しいたけ
第一章 赤い布の内側で

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第1話 ドラゴン、目覚めて警鐘を鳴らされる

はじめまして。


この作品を手に取ってくださって、本当にありがとうございます。


初めての連載作品なので少し緊張していますが、楽しんでもらえるように書いていきます。


気軽に読んでもらえたら嬉しいです。



ドラゴン生活一日目。


俺、竜咲空。


四十歳。


会社員。


趣味はゲームと漫画と、休日に惰眠をむさぼること。


少なくとも昨日までは、そういう人間だった。


それが今朝、目を覚ましたら。


俺は、ドラゴンになっていた。


「…………」


まず、目の前に岩があった。


岩だと思った。


でかい岩だな、と思った。


その岩が、俺の鼻先だった。


「いや、鼻!?」


声が出た。


出た瞬間、地面の枯れ葉がぶわっと吹き飛んだ。


木の枝が揺れた。


近くの鳥が、悲鳴みたいな鳴き声を上げて飛び去った。


俺は固まった。


声。


俺の声。


低い。


重い。


地面の底から響くみたいな、やたら迫力のある声。


さっきまで会社の会議で「確認します」って言っていた男の声じゃない。


どう聞いても、洞窟の奥にいるボスの声だった。


「……落ち着け。まず状況確認だ」


そう言っただけで、また草が揺れた。


俺はそっと口を閉じた。


なるべく静かに。


なるべく人間っぽく。


いや、人間っぽくって何だ。


俺は、ゆっくり自分の体を見た。


黒銀色の鱗。


大木みたいな前脚。


爪。


一本一本が、普通に剣より怖い。


胸から腹にかけて、硬そうな装甲みたいな鱗が続いている。


後ろを見れば、長い尻尾。


少し動かしただけで、近くの低木がばきっと折れた。


「ごめん!」


誰に謝ったのか分からない。


たぶん低木だ。


そして、背中。


翼があった。


大きい。


ありえないくらい大きい。


試しに少しだけ動かそうとしたら、周囲の草が波みたいに倒れた。


慌てて止めた。


止めたつもりだったが、翼の先が岩に当たった。


岩が割れた。


「……俺、危なすぎない?」


自分で言って、笑えなかった。


体高は、たぶん十メートルくらいある。


ビルで言えば三階建てくらい。


いや、目測だけど。


全長はもっとひどい。


首、胴体、尻尾まで含めたら、三十メートルを軽く超えている。


ざっくり三十五メートル。


三十五メートルの俺。


もう、俺というより地形だ。


「夢だな」


俺は言った。


「これは夢だ」


そう思いたかった。


でも、鼻先に土の匂いがする。


湿った森の匂い。


鱗の隙間を風が通る感覚。


爪が地面にめり込む重さ。


心臓の鼓動が、体の奥で雷みたいに響いている。


夢にしては、情報量が多すぎる。


俺は、昨日の記憶をたどった。


仕事から帰った。


風呂に入った。


スマホを見た。


寝落ちした。


それだけだ。


トラックに轢かれた覚えもない。


神様に会った覚えもない。


「あなたは選ばれました」みたいな説明もない。


特典一覧もない。


チュートリアルもない。


あるのは、巨大な体と、森と、意味の分からない現実だけ。


不親切すぎる。


異世界転生するなら、せめて説明書くらい置いていけ。


「……異世界、なのか?」


周囲を見渡す。


見たことのない森だった。


木が高い。


葉の色が少し濃い。


空は青いが、どこか遠く感じる。


そして、空気の中に何かがある。


匂いとは違う。


光とも違う。


水面の下に流れがあるような、妙な感覚。


魔力。


そんな言葉が、なぜか頭に浮かんだ。


俺は前世で魔法なんて使えなかった。


前世と言った。


今、自然にそう思った。


つまり、俺は死んだのかもしれない。


死んで、どこかの世界で、ドラゴンとして目覚めた。


そう考えると筋は通る。


通るが、納得はできない。


「いや、待て待て待て。四十歳でドラゴン転生? せめて人間でよくない?」


返事はない。


森は静かだった。


いや、正確には静かではない。


虫の音。


鳥の声。


風の音。


遠くで獣が動く音。


でも、人の声はしない。


誰もいない。


俺だけがいる。


巨大なドラゴンの姿で。


急に、胸の奥がすうっと冷えた。


さっきまでは、驚きと混乱で頭がいっぱいだった。


でも、少し落ち着いたら、別のものが来た。


孤独だ。


森の中で、三十五メートルの体で、ひとり。


俺は、強そうだった。


たぶん、ものすごく強い。


爪も牙も翼もある。


ちょっと声を出すだけで葉っぱが飛ぶ。


尻尾を振れば木が折れる。


でも、それは今の俺にとって安心材料ではなかった。


むしろ逆だ。


こんな体で、誰かのそばに行けるのか?


人を見つけても、近づいた瞬間に怖がられるんじゃないのか?


話しかけるだけで、吹き飛ばしてしまうんじゃないのか?


「……やばいな」


声が少し小さくなった。


今度は草が揺れるだけで済んだ。


俺は森の中に座り込んだ。


座り込んだだけで、地面が沈んだ。


もう、いちいち怖い。


前世の俺は、特別な人間じゃなかった。


仕事は普通。


成績も普通。


運動も普通。


休日はだいたい部屋でゲームをしていた。


人付き合いが得意なわけでもない。


でも、コンビニの店員に「袋いりますか」と聞かれたり、会社で「お疲れ様です」と言ったり、誰かの生活音が壁の向こうから聞こえたり。


そういう、どうでもいい人の気配があった。


今はない。


森しかない。


風しかない。


この体なら、山奥で一人でも生きていけるのかもしれない。


獣も魔物も、たぶん俺を襲わない。


でも。


三分で無理だった。


「人の気配がほしい……」


俺は、かなり情けない声で言った。


巨大ドラゴンの口から出るには、あまりにも小さい願いだった。


世界を支配したいとか。


最強になりたいとか。


財宝を集めたいとか。


そんなことは、今はどうでもいい。


誰かと話したい。


できれば、逃げられずに。


できれば、殺されずに。


できれば、俺も殺さずに。


俺はゆっくり立ち上がった。


立ち上がるだけで、木々の隙間から空が広く見えた。


森の向こうに、何かないか。


人の気配。


煙。


道。


畑。


街。


俺は首を伸ばし、遠くを見た。


ドラゴンの目は、人間の頃よりずっと遠くまで見えるらしい。


森の切れ目。


細い道。


それから、石造りの高い壁。


「街だ」


思わず声が出た。


今度は少し大きかった。


木の上の鳥が一斉に飛んだ。


でも、俺はそれどころじゃなかった。


街がある。


人がいる。


城壁に囲まれた、ちゃんとした街。


煙突から煙が上がっている。


畑もある。


馬車らしきものも見える。


遠すぎて人の顔までは見えないが、人が動いているのは分かった。


胸の奥に、熱いものが広がった。


人だ。


人がいる。


俺は、一歩踏み出した。


地面が沈む。


二歩目。


低い木が足元で折れそうになって、慌てて避ける。


三歩目。


尻尾が後ろの岩に当たり、岩が転がった。


「ごめん、ごめん、俺、歩くだけで災害だな!」


言いながら、俺は慎重に進んだ。


街に近づきたい。


でも、壊したくない。


この体で不用意に走ったら、森をめちゃくちゃにする。


まして飛ぶなんて危ない。


翼で風を起こしたら、畑くらい簡単に吹き飛ばしそうだ。


だから歩く。


ゆっくり。


ゆっくり。


そのつもりだった。


でも、俺の一歩は大きかった。


人間の頃の「ちょっとそこまで」とは違う。


歩くだけで景色が動く。


森を抜ける。


丘を越える。


街の城壁が近づく。


石壁の上に、人影が見えた。


見張りだ。


俺は止まった。


止まったつもりだった。


でも、俺が止まる前に、足元の土がずずっと崩れて、少しだけ前へ滑った。


城壁の上の人影が動いた。


何かを指差している。


そりゃそうだ。


向こうから見れば、森の奥から巨大な黒銀のドラゴンが現れたのだ。


俺なら泣く。


「えっと、違うんです」


俺は言おうとした。


声を小さく。


できるだけ小さく。


人間に話しかけるように。


「俺は、街を襲いに来たわけじゃなくて……」


そこまで言った時。


城壁の上で、鐘が鳴った。


カン、カン、カン、カン、カン。


乾いた音が、空へ響く。


一つではない。


街の中の別の鐘も鳴り始めた。


カン、カン、カン。


カン、カン、カン。


警鐘。


どう考えても、警鐘。


城壁の上に兵士が増える。


弓らしきものが並ぶ。


槍も見える。


誰かが叫んでいる。


門の前にいた人たちが、悲鳴を上げて街の中へ逃げていく。


荷車が倒れる。


馬が暴れる。


子どもの泣き声が、遠くからかすかに聞こえた。


俺は固まった。


ただ、人の近くに行きたかっただけだった。


人恋しくて、街を見つけて、近づいただけだった。


なのに、街から見れば。


俺は、突然現れた災害級ドラゴンだった。


「……あ」


俺は、前脚を少しだけ下げた。


敵意がないと伝えたかった。


でも、その爪が地面を削った。


兵士たちがさらにざわめく。


違う。


違うんだ。


俺は襲いたいわけじゃない。


燃やしたいわけでもない。


壊したいわけでもない。


ただ。


近くにいたかっただけだ。


誰かの生活音が聞こえる場所に。


誰かが「おはよう」と言う場所のそばに。


俺は、できる限り小さな声で言った。


「街を襲いたいんじゃなくて……」


でも、その声は城壁に届く頃には、地鳴りみたいに響いていた。


弓兵が一斉に身構える。


鐘は鳴り続ける。


空気が冷える。


俺はようやく理解した。


ここからが、本当の問題なのだと。


人里を見つけた。


でも、人里に近づけるとは限らない。


三十五メートルのドラゴンには、ただ「こんにちは」と言うだけで、まず討伐される危険がある。


俺は城壁の前で動けなくなった。


鐘の音だけが、何度も何度も鳴っていた。


カン、カン、カン。


まるで、この世界が俺に告げているみたいだった。


お前は、まだこちら側の住人ではない、と。

ここまで読んでくださりありがとうございます。


面白そうと思っていただけたら、ブックマークや評価で応援してもらえると嬉しいです。


ソラの住民票取得が、少しだけ近づくかもしれません。

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