2-1
取り調べ室には、これ以上ないほどの倦怠感が漂っていた。
室内の人口は三人だ。部屋中央に置かれた机に陣取っている二人と、その傍らに立つ一人。
机の一片を占領しているクライヴは、部屋に入ってから一言も発していなかった。もう小一時間ほど、体ごと斜に構えて完全に対話を放棄した状態だ。右手首だけに嵌められた手錠の先は、部屋に固定された机に繋がれている。やる気なく垂らした右腕が退屈そうに揺れるたび、長めの鎖が床と耳障りな音を立てていた。
件の女刑事とは、あの後すぐに別れることになった。彼女はクライヴから武器を取り上げて同僚に引き渡すと、すぐにその場を後にしてしまった。その後はパトカーに乗せられ、港湾分署ではなく何故か中央の警察本部まで連れられて、取り調べ室に迎え入れられた。
不貞腐れたクライヴが監視役の警官に割と気合いの入ったガンを飛ばしながら待つこと数分、怯えた監視役と入れ違いに現れたのが目の前の二人だった。
「頼むからさっさと喋ってくれよ。俺達だって暇じゃないんだ」
年配の方の刑事が怠そうに言う。風貌からしてそこそこのベテランらしいが、それ故にクライヴが黙秘を続ける事を察しているのだろう、その声音には色濃い諦めが滲んでいた。
その傍らには状況におろおろするばかりの若手が一人。警察の制服に身を包んだ青年は見たところクライヴを負かした彼女と同年代だろうに、その風格は雲泥の差だ。
──まあ、警察官があんなのばっかりでも、それはそれで困るけど。
とはいえ、黙秘の効果もそろそろ限界だろう。一筋縄ではいかないということは存分に伝わっただろうが、そこまでだ。その先の目的を持つクライヴは、ゆっくりと口を開く。ここから先は交渉の時間だ。
「……大体さぁ」
「ああ?」
気怠さを隠しもしない声に答えたのは、年嵩の方の刑事だ。警察官にしては柄の悪い応答に舌打ちを零しつつ、クライヴは嘯く。
「何でぽっと出のアンタらがごちゃごちゃ言ってんの? 俺が負けたのはあの女なんだけど。アンタらに何か話す義理ある? 俺に喋らせたいんなら、せめてアイツを連れて来いよ」
クライヴが沈黙を貫いていた大きな理由がそれだった。自分が負けを認めたのはあの標的だった女刑事であって、警察組織や目の前の冴えない刑事ではないという矜持。おまけにあれだけの死闘を繰り広げておきながら、勾留された名目が「軽微な公務執行妨害」での「補導」ときている。
追跡劇の目撃者もなく、武器の類は既に没収されてしまっていたから、彼女のその申告は難なく警察に通ったらしい。何故わざわざ罪状を軽くしたかは知らないが、こちらを舐めているにも程がある。黙秘くらい決め込まないとやっていられなかったのだ。
「お前なぁ。お前が襲おうとした人間に、お前を会わせられる訳ないだろ」
年月が顔に刻んだ皺を更に深くして、ベテランが答える。詳細をどこまで知っているのかはさておき、予想通りのつまらない答えではあった。
「あっそ。じゃあいい。」
吐き捨ててふいと視線を逸らしてやれば、若手刑事が目に見えて焦り出す。
「なっ! ちょっと君‼︎」
「おいおい、良くねぇよ。俺達にだって仕事がある」
ベテランはしかめ面で頭をガシガシと掻いている。流石に嫌気がさしてきたのか、溜息交じりで譲歩を見せてきた。
「まあ俺がこんな事言うのもなんだがな。容疑がこの程度で前科も一応見当たらない、素直に喋りゃあ厳重注意ですぐに出られるんだぞ、こんな所」
──前科はアンタらが知らないだけだろ、とは、流石に言わない。クライヴの素行を何一つ把握していない警察の無能具合には割と日頃から感謝しているのだ。増して「一応」とかいう引っかかる物言いをしたベテランとは、何処かで鉢合わせていたのかも知れない。蛇がいるかもしれない藪は突かないに限る。
代わりにベテランの台詞を鼻で笑って、クライヴは一言だけ告げた。
「あの人となら喋ってもいい」
「駄目だ」
食い気味の即答だった。どうやらこの男はあの女刑事に会わせるつもりだけは断じてないらしい。頑なな態度に、クライヴは項垂れ大袈裟に溜息を吐いてみせる。
「……大人気無いから黙ってようと思ったんだけどさぁ」
顔を上げ、睨め付けるように刑事達を視線で射抜く。うっすらと殺気さえ纏ったクライヴは、殊更ゆっくりと言葉を紡いだ。
「アンタら雑魚なんかと話すことなんてねぇんだよ。アンタら、俺を殺せないだろ?」
物騒な台詞に若手刑事が息をのんで身を竦ませる。ベテランの方は流石にこの程度では動じない。ただ、クライヴへ向ける視線が、それまでの諦めの色からより剣呑なものへと変わった。渋面を浮かべた彼は、硬い声でクライヴの問いに答える。
「当然だ。その必要がない」
「あっは。必要があれば出来るみたいな言い方はやめろよ。アンタらには無理。だってアンタら普通だもん。普通の、常識的な、正義の味方気取りの警察官殿ってやつ」
言葉に混ぜた笑いは嘲笑で、それを吐き出すクライヴの顔にも暗い笑みが浮かんでいる。
「でもさ。さっきの奴はそうじゃないだろ。アイツは殺せたぜ、俺のこと」
「お前!」
机を叩いてベテランが激昂する。急に立ち上がった反動で、椅子が大きな音を立てた。慌てる若手をよそに睨みつけて来るベテランを、クライヴが冷たい視線で迎え撃つ。
互いに無言。緊迫した空気がその場を包む。
膠着状態を破ったのは、ノックもなく開け放たれたドアの音だった。ガチャリと響いた無遠慮な音に、室内の三人が一斉にドアを見る。
「──おいおい、アイツ呼ばわりは聞き捨てならんな。敗者の礼って奴に欠けるんじゃないのか? 少年」
愉しげな中音を奏でたのは、渦中のアイリーン・G・フライアーズその人だった。
ジャケットを脱いだワイシャツ姿で、緩めたネクタイの端は丸めて胸ポケットに突っ込まれている。先程よりはいくらかラフな格好だ。その手には紙製の手提げ袋が携えられている。
「リン!」
「どうしてこちらに? 港湾分署に戻られたのでは」
言いながら、彼女に駆け寄る刑事達。どうやら互いに面識があるらしい。若手の方は少しかしこまっているからやはり地位が低いのか。
一時的にこちらを意識から外した彼等を、クライヴは抜け目なく観察する。
「いやまあ何だ、ちょっと気になる事があってな」
男性刑事達を宥めるように言ったリンは、ちらりとクライヴに視線を投げる。ばっちり目が合ったクライヴが、バツが悪そうに視線を逸らした。
「なあリン。言っとくがコイツは……」
何事かを口にしようとしたベテラン刑事を、リンは片手で制する。クライヴの座らされている机に近づくと、荷物を置き、正面から相対した。
「なあ少年」
呼びかけて、リンがその整った相貌をぐいっと近付けて来る。ロマンチックな距離に反して、感じる圧はメンチ切りのそれだ。美人の真顔は怖いという定説を、クライヴは改めて実感した。
「私になら喋ると言ってたな。本気か?」
カメラかマイクでも仕込まれていたのか、リンは直前のクライヴの発言を問い質す。じっと見つめてくる目がこちらを測っていることは言うまでもない。
「……ん、良いよ? アンタとなら喋っても。少なくともそこの雑魚共よりはマシ」
挑戦的に笑って見せれば、こちらもニヤリと笑みを返したリンが身を起こす。
「良いだろう。代わってやる」
あっけらかんと言い放ったリンに、慌てたのは同僚達の方だ。
「おいリン!」
食ってかかるベテラン刑事の肩を、リンは宥めるように叩く。
「大丈夫、どうせ君らには喋らんよ、コイツは。上にも話は通してある、元からそのつもりで来たんだ。適材適所、後は任せてくれ」
な? と同僚に笑いかけるリンはあくまでにこやかだ。
「……は、はぁ……」
困惑しきった様子で若手が気の抜けた返事をする。ベテランはといえば何かを悟っているのか、諦めたように溜息を吐いていた。ジロリとリンを見ると、一言だけ釘を刺す。
「……くれぐれも気を付けてくれよ」
「勿論だ、心配感謝するよジェフ」
そう答えながらもリンは既に二人を出口へエスコートする態勢だ。そのまま流れるように二人を追い出すと、ドアを閉めて向き直る。その手際を感心しながら眺めていたクライヴと目が合うと、リンは悪戯っぽく笑ってみせた。
「待たせたな。楽しい聴取の時間だぜ、仔犬君」




