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「ねぇリン、参考までに聞きたいんだけど。いつまでやるの、これ」
クライヴがそう音を上げたのは、道行く観光客が手に手に食べ物を持って歩き始めるような時刻だ。ゲームセンターを出た後、グレイフォートの中心街でも港寄りを延々と歩き回って、もう二時間以上が経過していた。
体力的に貧弱でこそないクライヴだが、休みたくなったら休む気ままな路地裏暮らしは体調を無視しての行軍には慣れていない。早朝から半日、休む事なく歩き続けて、そろそろ体力以上に精神的に疲れが溜まっている。
より端的に言うのなら、正直飽きた。
ヴォルピーノの手先が絶対にかかるという保証は無い以上、どこかで引き際を設定しているものとクライヴは考えていたのだが、しかし。
「まあ、直接手応えがある訳じゃないからな。何とも」
リンの答えはクライヴの予想以上に胡乱げだった。思わずえぇ、と上げた声は驚きが半分、呆れが半分だ。
「適当が過ぎるでしょ……流石に疲れたし、俺腹減ったんですけどぉ」
大袈裟に愚痴るクライヴに、リンは腕時計を確認する。
「おお、確かに良い時間だな」
驚いたような声は、残念ながら演技ではなさそうだった。その反応にうんざりとしながらクライヴが問う。
「つーかアンタは腹減らないのかよ、俺より朝早いんだろ?」
「あー……言われて見ればまあ、なんとなく……」
「うげ、アンタ人間かよ」
クライヴはあからさまに眉根を寄せるが、この返答は何となく予想していた結果だった。着替えの件といいゲームセンターの件といい今回といい、この敏腕刑事に極端に鈍い部分があるらしい事は、これまでの流れで何となく察せていた。
「ま、主役が空腹なら仕方ないな。腹拵えと行くか」
くるりと方向転換すると、リンはクライヴの手を引いて歩き出した。
リンが再び足を止めたのは、チェーンのレストラン店の前だった。肉やシーフードのグリルを売りにした、所謂ファミリーレストランとして親しまれる店だ。現在はスイーツフェア中らしく、ケーキやパフェの描かれたカラフルなのぼりが店の前に並んでいた。
「ファミレスかぁ……まあ及第点かな」
当然のように上から目線で評定を付けるクライヴ。しかしリンは苦笑一つで切り返す。
「何だ、そんなに留置場のメシが良かったか?」
「メシなんて出た? 豚の餌しか食った覚えないけど」
「豚箱に人間様の飯を期待するのはお門違いだろ」
「うっわ、開き直りかよ。マジでアレはないからな、ちゃんと上に伝えといてよ」
軽口を叩きながら店内へと入る。制服姿のウエイトレスに二名で、と伝えれば、幸運にもすぐに席に案内された。
観光街の昼時らしく、レストラン内は盛況の様子だった。フロアを見渡せばどこもかしこも客の談笑の声で賑わい、空席を一目で見つけるのが難しいほどだ。
混雑するテーブルの合間を縫って、クライヴとリンが通されたのは四人掛けのテーブルだった。パーテーションとソファが一体化したボックス席、その片側にクライヴが大人しく座ったのを見届けて、リンも反対側の席に着く。案内役のウエイトレスが、ごゆっくりどうぞ、とメニューとカトラリーを置いて行った。
リンはメニューを一瞥すると、クライヴの方へと押し遣って言う。
「好きな物頼んで良いぞ。ただし残すなよ」
「ホント? じゃあ高い奴上から三つ」
譲られたメニューを見もせずに言うクライヴに、リンは分かりやすく顔をしかめた。
「良いけど肉ばっかだぞそれ。絶対飽きるからやめとけ」
「へぇ、良いんだ! さっすが懐の深さが違うね、ケーブホ」
今更のようにおべっかじみた戯言を投げかければ、眉間の皺を更に深くするリン。
「お前、分かって言ってんのか?」
「そこそこ偉いんでしょ」
「そこそこ、な」
リンは肩を竦めると、諦めたように首肯した。クライヴはそれに勝ち誇った笑みを見せると、メニューを開いて眺め始める。
メニュー全体にさっと目を通したクライヴだったが、最後のひと押しを決めかねて、あるページを往復し出した。ぱらり、ぱらりとメニューを捲る合間に、ちらりとリンの方を窺う。視線に気付いたリンが目線を合わせるとさっと逸らす、そんな事を何度か繰り返した後。
「よっし決めた! 店員呼んで良い?」
ようやくそう声を上げた。その勢いに思わず吹き出したリンが、くつくつと笑いながら呼び鈴を指し示す。
「お好きにどうぞ」
呼び鈴を鳴らして程なく現れたウエイトレスに、まずはクライヴが注文を伝える。グリルプレートセットの付け合わせはサラダとスープ、バターライスは大盛りで。サイドメニューにフライドポテト、ドリンクはコーラ。続くリンはクラブサンドとアイスコーヒーだけの注文だ。
一礼して去って行くウエイトレスを目で追いながら、リンはボソリと呟いた。
「文句言ってた割には容赦ねぇなお前」
「タダ飯ほど美味いものないからね」
ご馳走様でーす、と小狡く笑って見せるクライヴに、リンも釣られて苦笑を見せ──そこで、ふと気が付いたように疑問を発した。
「そういやお前、字は読めるんだな。取り調べ関係の書類も書けてたし。誰に習った?」
クライヴはきょとんとした顔で訊き返す。
「習う? 何を?」
「いやだから、字の読み方とか書き方とか、そういうのだよ」
「何言ってんの? 教わるもんでもないじゃん、あんなの」
小馬鹿にしたようにクライヴは言うが、勿論普通の感覚ではない。
「は? 生まれた時から読めたとでも言い出すつもりか?」
思わずといった調子でリンが切り込む。深入りし過ぎればまた地雷を踏み抜く危険性はあったが、流石にこの異常性は見過ごせるものではなかった。
「生まれた時からかは知らないけど、一人になった時には普通に読めたよ。その前のことは知らない、覚えてないんだ」
当たり前のように語るクライヴとは対照的に、話の雲行きが怪しくなるにつれ、リンの眉間に徐々に皺が刻まれていく。
「いつの話だ、それ」
「いつって……さあ……」
首を傾げるクライヴには、本気で心当たりが無い。路地で夜をやり過ごし続けた年数など、指折り数えてみたところでどうなるものでもなかった。むしろその事実から目を逸らし続けた方が、精神的にはまだ救いがあるというものだ。
「何か覚えてないのか? 当時のイベントとか、広告とか」
「そんなこと言われても……あ」
リンに促されたクライヴは小さく気付きの声を上げ、人差し指を天井に向ける。
「この歌」
「歌? 店内放送のか?」
流れているのはアコースティックギターがメインのフォークソングだ。鸚鵡返しにしたリンに、クライヴは一つ頷いてみせた。
「これ、前にもめちゃくちゃ流行らなかった? 多分その頃だよ」
「ああ、カバーだったなこの曲」
エンタメには明るくないリンでもすぐに思い至るほど、原曲は広く知られていた。何でも何かの映画の主題歌で、この度映画のリメイクが制作されるのに伴って、主題歌もカバーされたとかいう話だ。
「あの頃はまだ何処なら追い出されないかとか分かんなかったし、駅前とかコンビニとかもうろうろしてたんだけど。もう何処行ってもこれ。もうウンザリでさ、段々ムカついてきたよね。まああの時歌ってたのはこの人じゃないけど」
その日暮らしの記憶など、なべて碌なものではない。とはいえ碌でもないなりに、今になって思い返せばそれなりに懐かしさも生じるものだ。どこか懐古の念の混じったクライヴの昔語りを耳に入れつつ、音楽シーンに疎いリンは手元の端末で原曲の発表年を検索する。
「……十年前じゃないか」
「へえ、そんなになるんだ」
そう応じたクライヴの言葉にはあまりにも含みが無い。この街に越して来た年数でも告げられたかのようなフラットな反応に、リンが顔を曇らせる。
その反応を、聡いクライヴが見逃すはずもない。例によってリンに食ってかかる。
「何その顔。同情でもしてくれてんの? アンタが? 何それ、笑えるんですけど」
ハッ、と冷笑を投げるも、その反応は芳しくなかった。
低いトーンで「いいや」と呟いたリンは、深い溜息と共に、首を一つだけ横に振る。
「ただ、やっぱりお前有能だなと思って」
「……なに、急に」
「お前、十六って言ってたな」
頷くクライヴを見て、リンは再び嘆息する。
「六歳から、十年間。たった一人で生き抜くには長すぎる。それに戦闘にしろ識字にしろ、お前の持ってる能力は覚えようったってそうそう身に付くものじゃない。どこぞの組織の庇護でも無けりゃ、普通はここまで出来上がる前に潰される。今まで生き残っている事自体が、既に並外れた才能だよ」
内容だけ聞けば、両手放しの賞賛。しかしそれは、賛辞と言うにはあまりに沈んだ口調だった。一方でクライヴ個人に向けた同情とも違うと感じたのは、リンの視線が一度も交わることがなかったせいだろうか。
どんな顔をすれば良いのか量りかねたクライヴは、こちらも視線を逸らしながら素っ気なく応じる。
「……別に。必要だったから覚えた、それだけだよ」
努めて平静を装うような声音にも、リンの表情が晴れることはなかった。
「それだけ……それだけ、ね」
伏し目がちにそう呟くリンの沈みようは、まるで自身こそが当事者かのようだ。斜に構えて笑い飛ばす事も出来ず、かける言葉を見付けられないクライヴは閉口した。
息の詰まるような沈黙が二人を包む。重苦しい空気は、程なく料理を運んで来たウエイトレスを酷く怪訝な顔にさせた。




