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湯気の立つ料理を目の前にすれば、沈んだ空気も幾分か和らいだ。互いに口数は少ないが、そもそも本来ならば和気藹々とお喋りをする仲でもない。粛々と己の取り分を消費する少年と男装の麗人は、しかし店の混み具合が幸いしてか、悪目立ちすることはなかった。
先にナイフを置いたのは、当然ながら総量の少ないリンの方だった。クライヴの皿にはまだ料理が半分程残っているが、それを口に運ぶペースも落ちていない。
若いな、などと口の中で呟きながらコーヒーを啜るリンからは、先刻までの表情の硬さは消えていた。ふっと鼻を鳴らしたところで、両者の視線がかち合う。
「……何? そう見られてると食い辛いんですけど」
「何も。よく食うなと思っただけだ」
淡々と返されて、ただただ困惑するクライヴ。どうにも掴み所のない返答だった。意外なことに、言外に『他人の金で』と詰るような含みも感じられない。
首を傾げたクライヴの視界の端で、何かが光った。見れば、先程調べ物に使ったリンの携帯端末が、テーブルの端でチカチカと主張を繰り返している。
「それ。出なくていいの?」
指し示された端末の画面を確認して、リンは軽く眉根を寄せる。「あー……」と数秒考え込んだ後、腹を括ったように腰を上げた。
「悪い、ちょっと外す」
「どーぞごゆっくり。ま、あんまり遅いと逃げない保証は無いけどね」
冗談めかして洒落にならない事を言うクライヴだが、今の所脱走する心算は一切なかった。ひらひらと手を振ってリンの後ろ姿を見送ると、目の前の皿を空にする作業に戻る。
──これでようやく気がねせずに飯が食える。
──何だったのか知らないけど、調子狂うから急に大人しくなるなよな。
だが、食事に集中出来たのも束の間の事だった。
クライヴの座るパーテーション型のソファ席、その背後に客が陣取る気配がした。男女混合の四人組。窓の反射でちらりと窺った服装は比較的大人しいが、女物の化粧品や香水の強い匂いがこちらまで届いている。そこまで察する程に注意を傾けた理由はと言えば、その全員からひり付く殺気を感じたからだ。
「いい御身分だなぁ、『狂犬』」
案の定、背中越しに声がかけられる。やけに声が通るのは、メニューを見る振りをして反響板がわりにでもしているのだろう。
「何しくじってくれてんだ。なあなあにしてバッくれようったってそうは行かねぇぞ」
少なからぬ苛つきを滲ませた声は、あの日クライヴと交渉した男と同じものだ。一派の誰かが引っかかるにしても、まさかご本人の登場とは。所詮は猿山のボス気取りの下っ端か、とクライヴは一つ溜息をついた。
「しくじってもバッくれてもない」
背後には一度も振り向かないまま、こちらもメニューを立てて応じる。念には念をで、顔全体をメニューで隠すように心がけた。遠目からは妙にメニューを注視しているように見えるだろうが、自分の歳ならギリギリ問題ないはずだ。
「初手で不覚を取られたのは確かだ。けど、今は懐に入ってる。ここからもう少し信頼させて、そしたらわざわざ事を構えなくても寝首をかけるだろ」
だからこそこんな状況で逃げ出しもせず、素直にリンを待っているのだ。あれだけ警戒心が強くて頭も回るのなら、正攻法で勝ち目のある人間がどれだけいるか。外から攻められないのであれば、身内として自ら迎え入れて貰う以外にない。増してクライヴ単騎で挑むとなれば、不意討ちが一番勝算が高かった。
筋は通っているクライヴの言い分に、しかし男は怪しむような声を上げる。
「んな事抜かしてどっちにも取り入ろうってハラじゃねぇだろうな」
「俺は勝つ方につく。それとも天下のヴォルピーノが、たかだかサツの飼い犬一匹に負けるつもり?」
正直に言えば、クライヴとしては別にどちらの味方のつもりもなかった。どうせどちらの陣営も、自分の事は一つの駒としか思っていないのだ。
だからギリギリまで戦局を見て、最終的に勝ちそうな方につく。ただ警察の連中とは立場が根本的に相容れない、だったら女狐が勝ってくれた方が今後幾らか都合が良い。それだけの理由で、現時点では多少ヴォルピーノに肩入れしているというだけだった。
「心配しなくても、期日までにはどうにかする。ああそうだ、何ならアンタらが直接あの女の首を獲るってのはどう?」
「何だと?」
唐突なクライヴの言葉に、思わずといった様子で男が声を荒げた。それを静かに、と窘めて、クライヴが提案の詳細を告げる。
「俺、今丸腰でさ。獲物をどうしようか、ちょっと悩みどころだったんだよね。俺が誘導してアンタらが仕留める、それなら俺も武器の調達しなくて済むし、アンタらだってボスにでかい顔出来るだろ? その分の俺の報酬は減らして良いぜ」
どうだよ、と投げかけた台詞には返答がない。不興を買ったというよりは、策を思案するような間だ。手応えのありそうな沈黙に、クライヴはもう一押し、と言葉を続ける。
「あの雌犬の首だぜ? ヴォルピーノの親玉どころか、この街の界隈全体に通用する手形だろ。迷う余地があんのかよ」
再び漂う沈黙に、辛抱強く耐える。ここが堪え所、正念場だ。男の反応など気にも止めていないと言うように、手元のメニューをぱらりと捲る。
かくして、男は低い声で呟いた。
「……詳細は」
──釣れた。
胸中だけでほくそ笑んだクライヴは、具体的なプランを提案する。
「まず、尾行は絶対につけるな。あいつ無駄に鋭いし、アンタらの技量じゃすぐバレる。どうしても気になるっていうなら今回みたく遠巻きに、無駄に多い下っ端使って伝言ゲームでもさせてろ。場所はそうだな、白金館の通りに四時半から五時。大所帯だと気付かれそうだし、奇襲が上手いのを五人くらいだ」
指定した裏通りは、件の白金館を含め娼館あるいはそれに準じた如何わしいクラブやホテルの並ぶエリアだ。そういう稼業も行うクライヴにとってはホームグラウンドにも等しい。時間帯が早いのが難点だが、だからこそ人が居ない、あるいは後ろ暗い人間しか居ないだろうと踏んでいた。
やや間を置いて、男から返答が返って来る。
「──三人だ」
「は? 舐めてんの?」
ドスを効かせたクライヴを、今度は男が宥める番だ。猫撫で声で殊更ゆっくりと情報を開示する。
「見つかってもマズいんだろ? 代わりに取っておきを付けてやる。番犬を殺れるかもってんで、わざわざボスに手配頂いた逸材だ」
「……それで逃しても文句言うなよ」
こちらとしては仕損じた所で番犬に付くだけの話だが、向こうのミスで難癖を付けられたら堪ったものではない。念押しをして、クライヴは最後の要素を告げる。
「俺がアイツから逃げる振りして注意を逸らす。その隙に後ろからでも何でも、アンタらの好きなようにしたらいい」
これまでリンとは、仮初めの協力者なりに信頼関係を結んで来たつもりだ。少なくとも、こうして一人残される程度には。それが急に脱走する素振りを見せれば、それなりに動揺するだろう。精神的に揺らぐかはともかく、最低でも意識に隙は生まれる筈だ。
「……良いだろう。お前の策に乗ってやる」
男はクライヴの言葉を了承すると、一人で席を立つ。一応、ボスが大本命のターゲットと鉢合わせるのは不味いという自覚はあるようだった。だったら最初から出て来るなよと愚痴を唱えながら、クライヴは残りの食事を片付ける。リンがいつ戻って来るかは知らないが、席を外してそれなりに経った今、料理が残っていては確実に怪しまれるだろう。惜しむ気持ちに蓋をして、掻き込むように完食した。
その後程なく、と言うにはやや長い時間を置いて、リンが席に戻って来る。連絡の内容が芳しくなかったのか、頭の痛そうな顔をしている。勿論、精神的な意味での話だ。
「悪い、待たせた」
謝りながら向かいに腰掛けるリンに向け、クライヴはニッコリと微笑んだ。
「んーん、お帰り。遅かったね?」




