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2-3

 


「えっ、美味そう……」


 クライヴがポツリと呟いたそれは紛れも無い本音であり、セント・グレイフォート市警中央本部に着いて初めての、心からの賞賛だった。


 リンの用意した差し入れはサンドイッチとスープのセットだった。


 サンドイッチは食パンではなくコッペパン大のバゲットに具を挟んだもので、みっしりとつまったローストビーフと色鮮やかなサニーレタスに、飴色のオニオンソースがかかっている。テイクアウトのスープ容器に入っていたのはクラムチャウダーで、多少冷めてはいるものの、ミルクとアサリの香りと共にうっすらと湯気が漂っていた。


 期待以上のクオリティに目を輝かせるクライヴに向け、リンが得意げに言う。


「こちとら身銭切ってんだ、感謝しろよ」

「はーいありがとうございまーす」


 冗談半分ながら、クライヴはごく素直に礼を言う。ここで下手に反発してお預けを食らうのだけは避けたい。腹を空かせた成長期の少年にとって、食い気はプライドよりも強かった。


 クライヴはいそいそとサンドイッチの包装紙を捲り、その端にかぶりつく。途端に香ばしいオニオンソースの香りが口いっぱいに広がった。噛めばほろほろと崩れる柔らかなローストビーフは、肉と言えばジャーキーかサラミ、良くてファストフードのハンバーガーが精々のクライヴにとってはかなり上物の部類に入る。


 思いがけないご馳走に、夢中になって二口目を口にした時だった。


「……食ったな?」

「ふぁ?」


 不意に響いた不穏な呟きに、サンドイッチを頬張ったまま気の抜けた声を上げるクライヴ。弛緩していた空気が、リンの悪どい笑みを見てぴしりと凍る。


 ──まさか、何か仕込まれていた? 毒、いや自白剤か?


 途端に真顔になるクライヴに、しかしリンは思わずといった体で吹き出した。


「安心しろ、毒物の類じゃない。そいつはな、交渉料だ。部屋のマイクはさっき切った。それを食ってる間、今度はこっちの話を聞いて貰う」


 そう言って手にしたリモコンを掲げる。どうやら用途不明だったそれは部屋の録音機器のスイッチだったらしい。


 リンの不意打ちに一瞬肝を冷やしたクライヴだが、動転は口の中のサンドイッチと共にのみ下し、余裕ぶってにやりと笑う。


「ふぅん? やり口としては気が利いてるじゃん。良いよ、聞いてあげる」


 上から目線で応じつつ、クラムチャウダーに手を伸ばす。それをちょうど口に含んだ瞬間、リンから次の手札が飛んで来た。


「こないだの、ハーギンの事務所の件。アレの犯人はお前だな」

「ごふっ⁉︎」


 えげつない隠し球に思わずむせるクライヴ。何を、と言い返そうとする言葉を先んじてリンが制する。


「おっと、今更しらばっくれるなよ、面倒だ。あの件は組織同士の抗争って事でウチの上が畳んじまってる、お前が何か言ったところでそれをどうこうする余地はない。ただ実行犯が『クライヴ』だって話はその筋には随分流れてたし、現場の痕跡からそれが恐らくお前くらいの背格好だろうって目星も付けてた」


 言われてみれば、取り調べを始める時にも仔犬と呼ばれた覚えがある。単に舐められているのだと思ったが、女狐に楯突いた狂犬と巷で揶揄されているのを知っていての事だった訳だ。


「だから、ヴォルピーノの一派がお前を追い回してたのも知ってる。上手いこと逃げおおせてたみたいだが、流石に単騎じゃそろそろ苦しい頃合いだ。大方あの件をチャラにする話でも吹っかけられたんだろ」


 確信をもって投げられた問いをどう誤魔化すか。一瞬思案しかけたクライヴは、すぐに思考を放棄する。別ルートで押さえた情報なら何を言っても無駄だろう。


「別に苦しかった訳じゃない、いい加減鬱陶しかっただけだ」


 せめてもの負け惜しみも、「まあその辺は何でもいい」と一蹴されてしまう。


「そういう訳で取引だ、少年」


 おもむろに長い脚を組んで、市警の番犬は至極端的にその要求を口にした。



「お前、女狐じゃなくこちらに付け」

 


「……正気?」


 半開きになった唇から、知らず、乾いた笑いが零れる。


 対するリンはと言えば、ああ、と、特に気負うでもなく頷いて見せた。


「お前が依頼主について知らないってんなら、向こうに来てもらうしかない。お前には明日、私と一緒に街に出てもらう。ヴォルピーノの情報網ならそれだけで宣伝としては充分だろう。その日のうちに向こうから接触があればそれで良し、そうでなければ一度お前を釈放してやるから、警察には上手いこと取り入ったって言って連中と交渉を続けろ。まあ二重スパイって奴だな」


「そういう事言ってんじゃねぇんだよ!」


 バン! と机を叩くクライヴ。突如響いた騒音を、しかしリンは僅かに眉を顰めるだけで受け止めた。


「いくら警察ったって、あれに真っ向から喧嘩売ろうっての? しかもそれに俺が乗るって? 頭大丈夫かよ」


 ヴォルピーノ・ファミリー本体に喧嘩を売るという事はつまり、長期戦の物量戦を意味する。今のクライヴのように末端を一時的に相手取るのとは次元が違うのだ。間接的な無辜の協力者も含めれば、街の半分を敵に回すと言っても決して誇張には当たるまい。

 しかし嘲笑混じりの言葉にも、リンは腕を組み淡々と応じる。底の知れない無表情の真意は、少なくともクライヴには窺えない。


「最終的には連中を豚箱にぶち込むのが我々の仕事だ」

「無茶だ」

「そう思うか? 事務所を一つ潰したお前が?」


 挑発じみた指摘に、クライヴは思わず言葉を詰まらせる。その様子に、リンは大きく一つ頷いた。


「そうだ。奇襲とは言え、末端とは言え、たった一人で潰せたろ? 連中は言ってしまえば数が多いだけの寄せ集めだ、一人一人の熟練度はそう大したものじゃない。逃がさないよう周到に網を張って、訓練を積んだ兵隊をそこそこ用意すれば潰せるさ。物理的にな」

「兵隊って」

「五十。」


 組んだ腕の前で、リンが右手を広げて見せる。


「私とお前と、二人掛かりでだ。装備と状況さえ整えば、組織規模で五十人クラスなら潰して見せる。──何も単なる無謀で交渉を吹っかけてる訳じゃない。ハーギンの件とさっきの交戦で、お前の腕を見込んで言ってる。でなきゃこんな回りくどい真似せず、お前を牢屋にぶち込んで話は終わりだ」


 じっとクライヴの瞳を覗き込んでくる視線には、ふざけている様子もハッタリを効かせている気配も無い。五十人規模という数字は純粋な計算の上の事実──少なくとも、彼女の中ではそうであるらしい。


「その上で、こっちはもう何人か警察の戦闘要員を用意出来る。ヴォルピーノは他組織を取り込んでデカくなった組織だからな、構造上そこまで大規模な『部分』はそう無い。百人弱までなら充分対応圏内だ」


 断言したリンを、クライヴは暫し無言で見つめる。この女刑事の実力は身をもって理解している。洞察力や頭の回転にした所で凡人とは桁違いだ。自分の腕については当然自分が知る通りだ、それを鑑みた上で勝算がゼロという事は無いだろう。ただし、そこからどこまで上がるかは全く保証が無い。何せ相手の底が未知数すぎる。


 そこまで思案し、クライヴは慎重に口を開いた。


「──俺のメリットは?」

「このまま豚箱にぶち込まれたくはないだろ?」


 予想に反して呆気なく告げられたそれは、しかしクライヴの思考を一度立ち止まらせた。刑務所に入りたくないか否か。改まってそう問われてみれば、クライヴの答えは一つだった。


「……別に」

「あ?」


 ぽつりと呟かれた答えに、リンが訝しげな声を上げる。それに応えて、という訳ではないが、クライヴは溜息交じりで続けた。


「刑務所の中だろうが外だろうが、クソッタレの巣窟ってことは変わんないだろ」

「……なるほど。まあ一理ある」

「ていうかむしろ、三食飯付きで仕事もまとも、その上屋根のある所で寝られるんだったら今より全然マシなくらいなんだけど?」


 ここぞとばかり皮肉を叩きつけてやれば、リンはしれっとした顔でそれに同意する。


「まあそうだな、このまま釈放されればヴォルピーノからの和解条件をしくじったってレッテルが付くからな。その可愛いツラで凶悪犯だらけのムショに入る方がまだマシってもんか」

「……アンタ性格悪いでしょ」


 指摘を受けて初めて人を食ったような笑みを見せる辺り、この女は本当にタチが悪い。否、ごくごく純粋に底意地が悪いだけなのかもしれないが。


「ま、万が一そこまで上手く行かなくとも、サツにコネがあるって事になりゃヴォルピーノもそう簡単には手出し出来ないだろ。その間にお前は高飛びでも何でもすればいい、何ならそこまで手配してやるぞ?」


 あっけらかんと言い放ったリンは、既に最初の飄々とした雰囲気に戻っていた。自分の告げるべき事は告げた、とでも言うかようだ。


 後は、クライヴ自身の選択になる。


 ──暫し沈黙を守ったクライヴは、やがて盛大に溜息を吐いた。


「……高飛びじゃなくてホテル代とかにして欲しいんだけど。そしたらほとぼり冷めるまで籠るからさ」

「お? 何だ、存外この街に思い入れでもあるクチか?」

「そんなもん無いし、高飛びするあても無いよ。そこそこ勝手知ってるここでも何とかやってける程度なのに、余所の、しかももっと治安の良い所なんかに行って何が出来るんだってだけ」


 如何にクライヴが路地裏育ちと言えど、中でも碌でもない部類の『仕事』で食べて来た自覚くらいはある。靴磨きやらゴミの換金やら、そういった比較的真っ当かつささやかな収入で暮らす方法など、今更身に付けられる気がしなかった。


「なるほど、賢明だ。アメリカンドリームに惑わされないタイプだな」

「女狐に楯突こうって方がよっぽど夢物語だけどね。まあ正直、俺も好きで路地裏の隅っこに身を潜めてる訳じゃないしさ。我が物顔のああいう連中、一回ボコボコにしてみたかったんだ。──ああ、それともう一つ」


 クライヴは言葉を切ると、リンに向けてびしっと人差し指を突き立てる。


「協力するんだったらアンタがエスコートして。他の連中じゃ話になんない」


 口を尖らせてそう告げれば、一瞬鼻白んだリンが声を上げて笑う。


「っはは! ホント口が減らないな、お前。良いぜ、気に入った。明日にしろ釈放後にしろ、お前に関わる時は私が直接出向く。それで良いんだろ」


 最終確認に、合意の意味を込めて肩を竦めて見せるクライヴ。


「じゃ、そういう事で」

「ああ、交渉成立だな」


 満足げに頷いたリンの拳が、クライヴの前に差し出された。それを素直に受けようとしたクライヴだったが、瞬間、これまでの処遇が脳裏を駆け巡る。


 一瞬の逡巡の後、クライヴはリンの拳を自らのそれで思い切り小突いてやった。




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