81話 少し不思議なお客様
「アルセイム様」
不意に、トレイスが声を上げた。他所へと向けられたその視線を、アルセイム様と私も追ってみる。
実は鍛錬している場所、正門からそれほど離れていないのよね。その門の向こうに、いかにも魔術師のような粗末……ではないわ、粗末に見えるだけで実は上質なローブをまとった方が、こちらを見ておられる。お手に携えられたその方の背よりも長い杖も、私の持つメイスとあまり変わらないレベルの魔力を帯びているわ。
「あら?」
「おや」
私は初めて拝見する方なのだけれど、アルセイム様はご存知だったようね。微笑まれて、そのまま門の方へと歩み寄っていかれる。そういえば、門番も特に何も言っていないようだから、よく知られた方なのね。
「これは、山の長。お久しぶりでございます」
「おお、お坊ちゃま。お久しゅうございますよ」
アルセイム様が山の長とお呼びになったその方は、フードの下からシワの多い、とてもお年を召されたお顔に笑みをたたえて軽く頭を下げられた。お優しそうな笑顔ではあるけれど、少々迫力を感じたのは秘密にしてね。
「ひとまずは中へどうぞ。長殿がわざわざ来られたということは、叔父に用事があるのでしょう?」
「はい、そのとおりでございます。失礼いたしますじゃよ」
軽く言葉をかわした後、アルセイム様のご指示で正門の隣りにある通用門の扉が開く。そこから山の長様は、ひょこひょこと敷地内に入ってこられた。私にも頭を下げてくださった後、アルセイム様に視線を戻される。
「龍神様のお告げがございましたので、ご当主様にお目通りを願おうと思いましてな。お取り次ぎを願えませぬか」
「分かりました。トレイス、叔父上に話を」
「承知」
すぐさまトレイスの姿が消える。龍神様のお告げということは少なくとも魔女のような、とんでもない存在ではなさそうだけれど、はて。
なんて少々失礼なことを考えていたら、山の長様と視線が合ってしまった。ごめんなさい、疑っているわけではないのだけれど、色々ありましたから……とは口にはしませんわ。
「失礼ながら、こちらがかのレイクーリア嬢で」
「ああ。そういえば、長殿とは初めてか」
……って、山の長様、私のことご存知だったのね。グランデリアのお家とは親しいようだから、話を伺っていらしてもおかしくはないか。ひとまず、返事をしてみましょう。
「ええ。初めてお会いするお方ですわ。長ということは、何がしかの組織を率いていらっしゃる方ですのね」
「そうだね……ほら、あちらに山があるだろう」
まあ、そうでもなければ長、という言葉で呼ばれることはありませんわよね。
そんなことを考えている私の目の前でアルセイム様が、少し遠くに見えるお山を指し示された。
「龍王山というんだが、彼はその中腹に集落を構えている民族の長だ。龍女王様とはまた違う龍神様を、古くからお祀りしているそうなんだ」
「慣例により、名は名乗れませぬでな。気軽に長、とお呼びくださいまし」
まあまあまあ、そういうことでしたか。お山の上にも、龍神様はおわすということですのね。そうして今目の前におられる方は、そのお山におわす龍神様をお祀りしていらっしゃる、と。
これは私も、失礼はできませんわね。ねえ、ナジャ。
「エンドリュース家のレイクーリアですわ。こちらは侍女のナジャ」
「よろしくおねがいしまーす」
「どうぞ、よろしくお願いいたします。長様」
「ほっほ、よろしゅうに。エンドリュースのお嬢様も侍女殿も、大変お元気そうで何よりですじゃな」
2人揃って深く頭を下げると、山の長様も軽く膝を折って返礼を下さった。それからふと、ナジャに視線を止められる。
「……もしや、龍女王様の姫様でございますか」
「え、私ですかあ?」
「はい」
あらバレてるわ。って、いえいえいえ。
いくら何でも、本日初めてお会いした方にはいそうですよ、なんてお答えを返せるわけがありませんわよ。
そこはさすがにナジャも分かっていたようで、白を切ってくれた。
「やだー。私は主様の侍女でございますよ? これこの通り」
「長殿。お聞き及びの通り、彼女はレイクーリア専任の侍女ですよ。……そういうことに、しておいてください」
「ふむ、事情がおありのようですのう。さすれば、そういうことにしておきましょう」
ひらひらとメイド服のスカートを閃かせてみせたナジャ、そしてお言葉を下さったアルセイム様と苦笑しかできていない私を見比べて、山の長様は事情を察してくださったのだろう。ゆったりと頷いてくださって、それから再び口を開かれた。
「ですが、お耳に入れておきましょう。龍神様のお告げなのですが、侍女殿にも関係もございますでしょうからな」
ナジャのことを侍女殿、と呼んでくれているのはいいけれど龍神様のお告げが彼女にも関係がある、ってどういうことかしら。まあ、少なくともクロード様にそれを伝えに来たのだから、重要事項であるのは確かなのだけれど。
「魔龍が目覚めかけております。どうぞ、お嬢様共々お気をつけくださいますよう」
「魔龍、ですの?」
「あちゃー……」
山の長様に私が聞き返したその横で、ナジャが頭を抱え込んだ。
……つまり、彼女が頭を抱えて困るレベルには困ったこと、のようね。
というか、魔龍という呼び方。
これはつまり、魔女以外にも遠慮なく殴って良さそうな相手、と考えて良いのかしらね。