72話 まあ怖いでしょうね
部屋が、しんと静まった。いえ、確かにその可能性はあったのですけれど、ねえ。
「龍神様が、なぜですの?」
「さあ、僕にはさっぱり。少なくとも、村の民が龍神様を怒らせるようなことをしていないのは分かってるけど」
それでも改めてお兄様に問うてみるけれど、答えは芳しくない。つまり、龍神様らしき存在とはお話ができなかったということだ。単に出てこなかった、だけなのかもしれないけれど。
そうして、お兄様の言葉にお父様は一言だけ、質問を乗せてみる。
「分かってるのかい?」
「もちろん」
「当然ね」
答えはお兄様と、そしてお母様からも帰ってきた。え、と動いた全員の視線を受けてお母様は、メイドたちと訓練をする前の鋭い目になって答えの理由を紡いでくださる。
「水のトラブルなんでしょう? だったら、まずは龍神様のお怒りということを気にかけるはずよ。特に、農民たちはね」
「ああ、それはそうだね」
「でも、まずそれはないわ。祠の扱いもそれは丁寧だし、祠の前を通る際には必ず頭を下げるのが当然の習慣になっているの。お祭りの日には普段よりも多いお供え物をするし」
お母様はエンドリュースの家に入るまで、どちらかと言えば街の方でお暮らしになっていたらしい。なので、私たちよりはずっと街や村の民のことを分かっておられるのよね。
「母上の言うとおりなんだよね。僕も、住民たちに話を聞いたから」
「彼らは我々よりよほど、水については詳しいものな……生活だけでなく田畑にも、家畜にも、水は必要不可欠だし」
お兄様が深く頷かれ、お父様もしみじみと語られる。だからこそ、龍神様はとても大切に扱われている。私たちもそうだけれど、街や村ではもっと。
「だから、龍神様にはとても敬意を払っている。その彼らが龍神様を怒らせるなんて、子供のお遊びでもありえないな」
「なるほど」
「それにもかかわらず、龍神様と思しき存在が村を困らせている、ということなのね」
「そういうことになります」
お母様に頷いてからくしゅん、とお兄様が可愛らしいくしゃみをされた。お薬も飲まれたということなので、そうひどくはなられないと思うのだけれど大丈夫かしら?
大丈夫かしら、といえば兵士たち。お兄様と同じように水をかぶって、あちらもメイドや使用人たちがちゃんとやってくれていると思うけれど……でも、相手が龍神様、なのよねえ。
「ただ、龍神様が相手となると兵士たちは無理だろうねえ……」
お父様も、その点を心配なさっていた。さすがに、崇拝している相手に喧嘩は売りたくないでしょうしねえ。
「それこそ、龍神様を本格的に怒らせてえらいことになる、かもしれないからだね」
あら、ちょっと違ったかしら。……一般の兵士たちでは、龍神様にはかなわないのかしらね。私もやったことないから、分からないけれど。
でも、その前にまずは話をする、というのがエンドリュースの殿方。この場合は、お兄様がそれを申し出られた。
「僕が、話をしてこようと思います。この問題は父上が僕に任せてくれた問題ですから、何とか解決したい」
「しかし、話を聞いてくださらなかったらどうするんだ? 兵士の腰が引けているわけだし……」
お父様のお言葉に、お兄様が眉をひそめられる。話を聞いてくれなければ、実力で叩きのめすしかないけれど……あ、そうか。そうしましょう、ええ。
「ならば、私がお兄様とともにまいりますわ」
「レイクーリア」
いえお兄様、そんなに驚かれなくても。というか、物理的に戦をするのはエンドリュースの女としては嗜みのひとつですし。
それにここできっちり出ていっておかなければ、将来アルセイム様のもとでこの話が出た時に何を言われるかわかったものではありませんわ。エンドリュースの娘ならば、ここはひとつ。
「いくら龍神様でも、村の民を困らせているのは問題ですわ。お話をして、それで聞き入れてくださらないならば」
ぐっと拳を握りしめて、私は胸を張って宣言した。
「エンドリュースの名に賭けて、遠慮なくぶん殴ります」