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8話(同じ)

8話

 3月14日、学はペーパーバッグを持って理奈の家を訪ねた。「ピーンポーン」理奈が玄関を開けた。

「学、どうしたん?」

「これ、洋服なんやけど」ぺーパーバッグを手渡した。理奈が白い息を吐きながら包みを開ける。

「これってサマーニット?」「うん」

 理奈がニヤッと笑って学を見る。「着るには早いね」


 ずっと真っ白に覆われていた山肌が、少しづつ姿を見せてきた。


 高島市役所の会議室の窓のつららには水が滴っている。「港がある、福井県の敦賀市とは合流することができました」学は顔を上げた。「長かったな、大地。ありがとう」

大地が続ける。

「あっちは人が少な過ぎて田んぼも土地も余ってます」

「タンカーはあったん?」

「あります」

 皆の顔が明るくなった。「よし!」「これなら石油を得られるな」——

「大和、防衛省の報告頼む」

 大和がむくっと腰を上げ、滋賀の地図を指さす。

「琵琶湖東北の米原市、長浜市とは去年から交流を続けて3カ月です……」

 花穗の横にいた官僚が小声でささやいた。「花穗さん、長浜市も米原市も田舎ですよね。どうして三カ月も合流できないんですか」

「高島市を封鎖してから、琵琶湖の南東に京阪神からの移民が集中してね。地元民が北にある米原と長浜に逃げたんだよ」「だから田舎の人でも、他の地域への警戒心が強くなってて、合流が遅れてるんですね」

大和が水を飲む。「琵琶湖南東では、移民が集中したことで、個々の市が独立し、争いが絶えません」

学はペン回しを止めた。「食料がなくなれば、次は高島や。春までに策を考えとく」


 街角の雪は少なくなっている。学と理奈は2人で並んで歩いていた。町中のバス停の時刻表は相変わらず、2つしか時刻がない。時々、ベビーカーを押した夫婦が過ぎていく。万楽と書かれた赤いのれんをくぐった。その中華料理店のカウンター席に並んで座った。学はいつもカウンターの右端だ。「敦賀つるが市海鮮チャーハン2つ」——

「私な、引っ越そうと思ってて…医者するなら古賀よりも町中のほうがいいやん?」

「俺もしようと思ってた」

「雪が解けて、病院の復旧始まったら、暇無いし。私は再来週に始める」

「そうなんや」学はうつむいている。

「私は一軒家と小さいアパート見つけて、どっちか迷ってて」

学の脳裏に母親の顔が浮かんだ。化粧をしてめかしこんだ母親だった。

「俺は……自分で見つけた一軒家に住もうかなって」

理奈はムスッとした顔をした。

学がコップを握って口を開いた。「近かったらいいかもな」

「そうやね」理奈はほほ笑んで、チャーハンを口に運んだ。理奈の唇は潤いがあった。

 

 会議室の窓からは琵琶湖の反対側にある、ひときわ大きい山が見える。町中も高島の山々も衣を脱いだのに、その山の頭だけは白い。

「定例会議を始めます」今日からは敦賀市の自由信党員の代表も会議に参加した。

大和は自衛隊の迷彩を着て立った。「石油はもって2年だ。合流を急いで滋賀を安定させないと、安全保障は…。他の県だって物資がなくなれば攻めてくる…」秋がみんなに茶を配っていく。

学が地図の前に立った。「この前、言っていた長浜、米原市の合流の策についてです」花穗は今日からまた、作業着を着るようになったようだ。

「策は安全を保証することです。琵琶湖南東が安定していないという長浜、米原市の不安を慰める」

敦賀市の代表が腕を組んで恐る恐る手を挙げる。「でも、こっちも弾薬が無限にあるわけじゃない。他の地域のことまで守るとなると…いけぇことやの(大きなことだよ)」

「湖の南東の人口は多すぎる。高島市と敦賀市を合わせても、南東にはかなわない。長浜、米原と合流するべきです」

大和が紙を持って野太い声をだす。「自衛隊はある程度の余裕がありますよ」

数豊が付け足す。「長浜、米原は米どころです。合流すれば米の生産量は約3倍になります」数豊は眼鏡をかけるようになっていた。

「彦根城が琵琶湖の東側を南北に分けてるから、そこに自衛隊を置こう」「異議なし」


 会議が終わって、数豊と大和と大地と集まった。

市役所の階段を降りると食堂がある。看板には「ふきのとう、もうすぐ無くなります」と書いてある。

「学!こっち」数豊が端のテーブルに座って手を挙げる。大和が白米をたいらげている横で大地は食事に手を付けずに待っていた。一人の女性が食堂の列に並びながら学たちを見ていた。何個かテーブルがある。しかし、職員たちには、学たちが座る端のテーブルには近づかないという暗黙の了解があった。

「大和、諜報は?」「進めてる。舞鶴とつながれそうや」「穏便にな」

大地が皆のお茶を注いで口を開いた。「米原と長浜に防衛の件を話したんやけど、喜んでたわ、4月下旬に決まった」

数豊は電卓をたたきながらたまに相槌を入れる。「それは順調ですね。石油はあと2年です。学、石油の件どう?」

「北海道と連絡してるけど相手にしてもらえへん」

大和が手を握る。「あいつら何考えてんねや?学」

「まぁ、穏便にやらなやろ?大地、病院の復旧の件、理奈のこと手伝ってやって」大地はいつものように優しい笑顔を見せた。

野太い声が少し大きくなる。「学、2年やぞ?穏便にって言うても」「分かってるから」学は頭をかいて眉をひそめた。

女性の声が聞こえた。「ちょっとは休みや、皆」

女性はお盆を持っている。

数豊が急いで席をつめる。「秋、お疲れ様です」

大地がお茶を注ぐ。「秋ちゃんは事務の仕事どうなん?」

「昼までやから何とかなってる。夕方からは歯科の勉強漬けやけどなぁ」秋の目にはうっすらとクマができていた。「たまに、会議の途中に皆が暗くなるから心配やわぁ。いっつも私が入れてるお茶でちょっとはホッとしてくれたらいいんやけどな」

秋の笑顔はどことなく、少しの暗さがこもっているように感じた。

カチャカチャと皿と箸の音が鳴る。遠くでは職員や官僚の声が聞こえる。

「菜花が品薄やって」「工事にインフラ整備、忙しなりますね」「昨日のテレビおもっしょかったの(面白かったね)」


4月下旬になった。市役所前には黒塗りの高級そうな自動車と機動戦闘車が並んでいる。学はスーツを着ていた。理奈はサマーニットの上にテーラードジャケットを着こなしている。「理奈、行こう」2人で歩いて黒い車に乗った。テレビ局が一向を映している。

「見てください皆さん。これから市の一団が長浜市と米原市へ向かうところです。」

大和は迷彩を着て、戦闘車から顔を出す。

 琵琶湖を右手に北上した。しばらく走ると左手の山が近くなってきた。学が窓を開ける。「理奈、琵琶湖の方見てて」「えぇ、なに?」その時だった。辺り一面が淡い桃の色に包まれる。道路には桜の並木がずっと連なっている。琵琶湖のほとりに桜の枝が垂れるように伸びている。「学!すごい!」「ここらへんで降りようか」一団は琵琶湖のほとりに停まった。「学来て!」「理奈、これ見せたかってん」2人で歩いて写真を撮った。大和が二人を見ている。「理奈と学は付き合ってるんやな」

花穗と秋は並んで話している。「ここ海津大崎やって」

「はいチーズ!」皆で集まって琵琶湖と桜を背に集合写真を撮った。

 山を走ってしばらくすると開けてきた。インターチェンジに乗って高速道路に乗った。高島市とは比べものにならないほどの広大な田んぼが広がる。高島市で見たひときわ大きな山が遠くにそびえている。高速道路を降りて長浜の町へと入っていく。公園に車を停めると、若い人たちがお辞儀をして歩いてきた。

「どうも、長浜市長の尾瀬です。今日はよろしくお願いします」高い声をして物腰な男だった。長浜市の子どもたちが柵越しにじーっと戦闘車を眺めていた。その人たちに案内されて歩いた。「店を開いてますからお好きに回ってくださいね。うちはまだ物々交換ですからねー」高い声が道に響く。理奈は学の腕に手を添えて歩いた。フレアパンツをヒラヒラとたなびかせている。「理奈の今日の服綺麗やな」「んー、そうでしょ」理奈の笑う横顔を見ると自然と口角が上がった。

 商店街へと入っていく。「学!これ見て!」出店に蒼く輝くガラス細工の皿が売られている。

「理奈はどれが好きなん?」

「うーん、これとか綺麗じゃない?」理奈が目を見つめながら皿を持ち上げた。

「ホンマに綺麗や」

一段落してまた車に乗る。高速を走って米原市についた。少し山を登って行くと背の低い町に水路が走っている。高い声が耳を流れる。「ここらで降りてください」「ここどこなんです。尾瀬さん」「米原市の醒井さめがいです。みなさーん!」手を挙げた。「この水路をご覧ください」木陰のそばに石で作られた、人の背丈ほどの幅の水路があった。透き通った水の底で、水草と雪の結晶のような白い花が流れに揺られている。

 「梅花藻ばいかもといって天候が安定しないと見れないんですよ」

 清流は日に照らされて銀色に輝き、涼しさを感じさせる。

「うわー!きれーい」理奈が石段を降りて水を触った。理奈の肌に日の光が反射して淡く光っていた。花穗と大地が並んで話しながら通り過ぎる。その奥で秋が一人写真を取っていた。

理奈がカメラを取り出した。「学!写真撮って」


 昼過ぎ、彦根城を登った。天守を背に尾瀬と握手した。テレビ局の大きなカメラが2人を映した。

 学が微笑む。「これからは兄弟として共に長浜、米原市の皆さんと歩んでいきたいと思います」

彦根城の堀のそばには戦闘車が並んでいる。大砲は彦根市と湖南を向いている。

 夕暮れになった。長浜市の琵琶湖を一望できる旅館に案内された。広い宴会場が用意された。宴会室の前には看板が立っている。

「祝!長浜、米原、高島、敦賀、合流」

 着物を着た人が次々に食べ物を運ぶ。学の横には尾瀬が座っていた。着物を着た人のなかに年老いて腰の曲がった女性がいた。学がすかさず尾瀬にささやく。

「あの方のような年のある人は、もういないと思ってました」

「沖島っていう琵琶湖、唯一の有人島の人なんですよ。島だと隔離されてますから。感染しなかったんでしょうね」高い声が耳元に響いた。

 「そうですか」「では、すみません」

そう言って、尾瀬は宴会部屋のお立ち台に歩いていった。尾瀬がマイクを握った。

「えー、この度は湖北と高島市の合流を祝しまして、乾杯!」

「さっさ」老いた女性が大和にお茶を注ぐ。

「どうも」——

 

「湖北名物、1300年の歴史を誇る、朝日豊年太鼓踊り(ほうねんたいこ)をお見せしたいと思います」

「地元の人が多いとこういう伝統が残るのがいいですね。こっちは大阪のまつりをしましたよ」

太陽が過ぎるとどんちゃん騒ぎになった。——

 

理奈が旅館の部屋のチャイムのボタンを押した。

「ピーンポーン」「ガチャ」

学がドアを開けた。「理奈、お疲れ様。もうみんな集まってるよ」女子は浴衣を着ていた。

花穗が奥のベットからドアを見て叫んだ。「理奈ちゃん!こっちー!」

理奈は手を振って学に尋ねた。「大和さんは?」

「近江今津で集まってるみたいやわ」

数豊がベッドに横たわったビニール袋をつつく。

「学、何なんこれ」

「敦賀ポテチやで塩が入るようになったからな」

「ポテチなんか1年ぶりやな」

秋が袋を開ける。「食べよ食べよ!」

「トランプするなら手拭けよー」

皆でババ抜きをした。何人か上がって静かになると、学が口を開いた。

「秋か理奈には厚労省の官僚の仕事やってほしい」

一瞬静まり返った。

理奈が苦笑した。「いまー?学はほんまに…天国の信太に笑われるで」

花穗と学は秋の顔を見た。秋は苦笑していた。

学が立ち上がって手を合わせた。「ほんまごめん」

「今から信太、御用達の一発芸やります」

大地が声を上げる。「いいぞー」

皆で学のぎこちない芸を見て笑った。

秋も笑っていた。「学がやってもおもろないわ」——

 

 時間が過ぎた。女子は三人でベッドに横たわって、女子バナをしている。男子はトランプで賭け事をしていた。

大地が頭を抱える。「うわー負けた!」

「僕の勝ちやな」「大地、1000円没収!」

女子三人は後ろでそれを見ていた。

「男ってほんまに…」

「ほんまやで」——


 学が右手に着けた信太の腕時計を確認した。

「もうそろそろお開きにしよう」

大地と花穗がシンクロして言った。

「そうしよ」——

「ばいばーい」みんなが部屋に戻っていく。扉の前で理奈を引き留めた。

「理奈、待って」

「なーに」理奈は髪を触った。上機嫌なようだ。

「明日、俺は湖の南東に行く。理奈は高島市に帰れ」

「何で?」

「湖の南東は危ない。何かあったらあかんやろ」

「でも私は医者やし。助けが必要な人がたくさんおるやん」

「けどな…たのむ…法が無いねん。きれいごとではすまん」

「そんな大事なら」

「バタン」扉がしまった。——


 朝になった。理奈の寝顔が見える。

 自分の顔が映る。母親の顔が映る。

 自分の顔が映る。母親の顔が映る。

 自分の顔。母親の顔。

 自分。母親。


 学は信太の腕時計がついた右手で頭を抱えている。

 理奈の顔を見た。

 左手が震えてている。

 (同じだ……………………俺は…………)

 涙が一筋垂れた。

 空は曇っている。

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