花舞う出会い
その少年の名はテオといった。内環諸国と外環諸国の間の山奥にあるドラン村に生まれ、そこで木こりとして生活をしていた。両親はまだテオが幼き頃に死に、頼れる親族はいなかった。山の木を切って割り薪を作っては、それを一杯背負って山を下り街で売る。そんな日常の繰り返しだった。
小規模なドラン村は細々とした暮らしを送っている。村人たちは否応無しに身を寄せ合って、協力し合うしか生きていく道がなかった。テオの薪売りは村の大切な収入源である。子どもを除いて村で一番若く力持ちであるテオを、村人も家族同然の付き合いで大切にしていた。
テオはとてもよく働いた。仕事といえば木こりしか知らず、学はない。ただ毎日を力仕事をして過ごした。そんなテオにも、ある夢があった。
魔法使いになること。それがテオの夢であった。
世界の中心にそびえ立つ世界樹。その周りは内海に隔たれ、世界樹を囲うよう円形に近い地続きの巨大な大陸がある。世界樹、内海、円形の大陸、外海と、このように世界は形作られていた。
世界樹からは、未知のエネルギーであるマナが絶えず世界に供給されていた。マナは世界に存在するすべてに影響を与え、密接な関わりを持つ。マナを有効活用できる国が富み、そうでない国は貧した。
マナの力は世界樹に近いほど大きい。従って自然と内環諸国は力をつけ、外環諸国は内環諸国の支配下に置かれることになった。しかしそれはとても統治とは呼べず、内環諸国にとっては、支配下に置いた外環諸国の数と規模にしか興味がなかった。それが分かりやすい国の軍事力の指標だった。
何故そこまで力の差が生まれたのか。それはひとえに「魔法」の存在が理由である。マナを用いて行使される魔法は、理を超えあらゆる事象をもたらす。荒ぶる炎を我が物とし、激しい水の流れを自在に生み出す。魔法は人に、世界を操作する力を与えた。
内環諸国はマナの恩恵を多く受けることができた。だから魔法という技術の研究発展がなされたのは必然のことであった。そしてその分野で飛び抜けることができた国が大国となるのも当然の帰結である。
優秀な魔法使いや魔女を多く有する国は、世界により強く干渉することができる。内環諸国は魔法の研究と、魔法使いと魔女の育成に力を入れた。マナの恩恵が少ない外環諸国は別の分野に注力したが、魔法の有無だけで、国力差は歴然のものがあった。
魔法使いと魔女は人々から敬意や称賛を集めると同時に、畏怖や憎悪を向けられる対象でもあった。しかしそれ以上に、凡人にとっては羨望の的でもあった。人知を超えた力に憧れを持つ、それはまだ世界をよく知らない少年にとって、とても普遍的な感情だった。
世界樹の枝に花が開く頃、これを萌芽の節と呼ぶ。世界樹からマナを多く含んだ花びらが風に舞い、大地に降り落ち満ちる。寒さ厳しい落葉の節を耐え忍んだ命たちが、そのマナの力を得てまた野に芽吹く。ただ巡る季節に胸躍らせるものもいれば、そうでないものもいる。
特に外環諸国の人間はその傾向が強かった。マナの恩恵を強く受けるのは内環諸国ばかりで、外環諸国にはあまり届かないからだ。その間にあるドラン村の立場は複雑である。中途半端な恩恵は軋轢を生じさせる。村の大人たちにとって、萌芽の節は悩みの種だ。
テオにとっては、もう一働き忙しくなる季節である。寒さは和らぎ始めるが、まだまだ暖に燃料にと薪の需要は高い。その日もテオは、大量の薪を売り切ってドラン村へ帰るところであった。
「運が良かったなあ、薬師が商売に来てたとは思わなかった。これでヒルダ婆の病気もよくなるといいけど」
薪を売りに行った街の市場で、薬師が商売をしていた。ドラン村の老婆のヒルダは、長い事肺を患っている。テオは稼いだ金で肺の薬を買っていた。
テオの山道を登る足取りは軽い。喜んでくれるかと思うと、先を急ぎたくなった。そしてまた木を切って、沢山質のいい薪を作って売る。金を稼いで村に貢献したいと、テオは常々考えていた。それだけ自分の住んでいる村を愛していた。
萌芽の節の麗らかな陽気に、自分の商売が上手くいったことの喜び、たまたま出店していた薬師から薬を買えた幸運。これらが重なったことで、いつもはしない致命的な油断をテオはしてしまった。
山林が仕事場であるテオにとって、そこがいかに危険な場所であるかは身にしみて分かっている。そこを住処にする野生の獣は勿論のこと、マナの影響を強く受けて動植物などが変異をとげた《《魔物》》と呼ばれる存在が、容赦なく命を狙ってくる可能性がある。
特に魔物の危険性は高い。魔物に変異する過程で、知性が弱まり理性が失われる。魔物は凶暴化して見境なく人や動物を襲うため、整備と管理がなされた街道はまだしも、山奥の村へ帰る道はまったく安全ではなかった。
だから常に警戒を怠ってはならない。しかしテオは気の緩みから、いつもは聞き逃さない茂みからの音を聞き漏らした。葉と体が激しくこすれ合う音。それは魔物が飛びかかってくる音だった。
テオはすぐさまそれに気が付き、仕事でも使う護身用の山刀を手に取る。飛びかかってきた魔物は、大きな狼のような見た目をしたワーグという魔物だった。肉を引き裂く鋭い牙が、よだれを撒き散らす口からぎらりと覗いた。
ガチンと音が鳴った。ワーグが空を噛み砕いた音だ。身を引いて攻撃を避けたテオは懐に手を伸ばした。そこから小さな袋を取り出すと、それをワーグに投げつける。
中身は刺激臭を放つ野草を用いて作った粉だ。嗅覚の鋭いワーグに対して効果的で、顔に投げつけると粉が目や鼻、そして口に入って怯ませることができる。その隙をテオは逃さない。
動きを止めたワーグの頭めがけ、叩きつけるように山刀を振り下ろす。幼き頃からの山仕事で鍛えられた膂力が、ワーグの頭蓋を割った。テオは食い込んだ刃を思い切り踏みつける。ワーグの頭は両断され血が吹き出した。
一匹は始末した。だがワーグは一匹で行動しているとは限らない。たった今始末したワーグの対処に手一杯だったテオは、その隙に背後に回り込んでいた二匹のワーグを見逃していた。
同時に二匹、テオの背後からワーグが襲いかかる。もうどれだけ機転を利かせても、テオ一人ではその二匹に太刀打ちはできなかった。ここで自分は死ぬ。それは火を見るより明らかだった。
「ごめん。父さん、母さん。村の皆」
テオは先に死んでしまった両親に心から謝罪した。これは自分の油断が生んだ結果だ。ここで死んでしまうことは仕方がないと諦めた。しかし、せめて手に入れた金や薬だけでも村に届けてから死にたかった。そうテオは後悔した。
ぎゅっと目を閉じてうずくまり、運命を受け入れる覚悟をした。しかし、テオの覚悟したことは起こらなかった。何故か。顔を上げた時にはもう、飛びかかってきたワーグの姿がなかったからだ。
「どうして…一体何が…?」
辺りを見回してすぐに状況を把握した。二匹のワーグは跡形もなく消えていた。ワーグがいたであろう場所には煙だけが立ち上っている。何らかの攻撃を受けた跡だと、直感的に分かった。
ワーグの襲撃から救ってくれた誰かがいる。テオはすぐに立ち上がってその人を探した。自分の命の恩人だ。感謝してもしきれない。
そしてテオは、その人を見つけた。静かに佇む女性は、ただじっと黙ったままテオのことを見つめていた。
陽の光に当たってきらめく、白銀色の長い髪に真紅の瞳。陶器のように真っ白な肌。艶やかな唇は微笑みはしていても、どこか物憂げな印象を与えた。間違いなくテオの行く獣道に似つかわしくない、住む世界がまるで違う美女が、そこにいた。
その女性に目を奪われたテオは、すぐに我に返ってハッとする。どうやら周りにはその女性しかいない。自分を助けたのは、彼女以外にいないと分かった。
「あのっ!助けてくれてありがとうございます!」
そうテオが声をかけると、女性はびくっと肩を震わせた。驚かせたかと、テオは言葉を続けた。
「ごめんなさい驚かせてしまって。でも、どうしてもお礼が言いたくて…」
その言葉に、女性は一度顔の近くで素早く手を動かした。しかしハッとなってすぐにそれをやめると、今度は慌てて小さな用紙を取り出して、何かを書き込むとそれをテオに差し向けた。それを見るために、近づいていいのかとテオが聞くと、女性はこくりと頷いた。
「お怪我はありませんか?」
紙には一言そう書かれていた。テオは女性のその問いに答えるために、とある行動を取った。
「もしかして、声が出せないんですか?」
テオは女性が最初にやったように、顔の近くで手を動かした。これは手話だ。手話を用いて、今の言葉を彼女に伝えた。それを見た女性は、驚いて目を丸くした。
「はじめまして。俺はテオと言います。この先にあるドラン村に住んでいます。助けてくれたお礼がしたいので一緒に来てくれませんか?それと、あなたのお名前を教えてください」
慣れた様子で手話を操るテオに、女性はおずおずと手話で返した。
「私はシズナ、旅の者です。あなたにお怪我がなくてよかった」
テオはそれを見て、にっこりと明るい笑顔を浮かべてみせた。そしてシズナに、言葉と手話の両方で「ありがとう」ともう一度伝えた。シズナもそれを見て、安心したように微笑んだ。
こうして二人は出会った。萌芽の節、動き出した運命に呼応するかのように、花びらが風に乗って宙を舞った。




