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日付けが変わっても3人で飲んでいたが、そのうちカズオが酔いつぶれて絨毯の上でイビキをかいた。疲れきったような顔をしている。
俺は女史に、「先生、これからどうすんだよ?」と聞いた。女史は酒が強いようでまったく顔色は変わっていない、グラスのバーボンを呷ってから言った。
「明日、・・・あ、もう今日ね。学校は夏休みがはじまったね。・・・カズオくんはいいって言ってたけど、東京まで私が乗せていくわ」・・・決意を変えないカズオ同様、女史も自分の中で覚悟を決めたように毅然とした表情だ。
「長野を出発して高崎で関越道に乗って、東京に着くまで5時間ぐらい。車の中でカズオくんととことん話し合ってみようと思ってるの」女史は口を開けて眠っているカズオを眺めながら、最後に自分を納得させるためか、こくんとうなづいた。
俺はその様子を見て、カズオと女史は深い信頼関係でつながっているんだなと思った。
「先生はカズオに惚れてるんだな・・・」俺はテーブルに頬づえをついたまま聞く。ターキーがだいぶ効いてて、目が自然に落ちそうになってきた。
女史はしばらく考えてから言う。「うーん、・・・しいて言えば『純愛』なの。・・・時が経過しても、違う環境にいて会えなくても変わらない、そして見返りも期待しない。・・・そんな純な愛情。短い期間のつきあいだけど、私はカズオくんに対してそう想ってる」
女史は母親のような優しい眼差しで俺を見て、そしてカズオを見つめている。その目を見ていると、俺はなおさら眠くなってきた。
「・・・ふうん、そっか。深えんだな、先生の気持ち・・・」俺はそこまで言って眠りに落ちた。
翌朝9時。女史が地下駐車場から、赤いカブリオレのホンダ・シティを乗り出して玄関先につける。カズオはウインチェスターが隠されたハードケースと、黒いバッグをぶらさげてシティに乗り込んだ。
助手席のウインドウが下がる、「じゃあな、永遠の相棒・・・」カズオの唇がニヤリとゆがむ。「・・・カズオ、ひとつ約束してくれ。俺を永遠の相棒と想ってくれるなら、・・・どうか、命を大切にしてくれ」俺はカブリオレの屋根のレザーに右手を置いて言った。
「・・・胸に刻んでおくよ、ありがとうコウジ」・・・シティはすでに真夏の陽が照りつける、陽炎の立つ道を滑り出していった。
(・・・真奈美といいカズオといい、俺の大切なヤツは旅立っていく。そして俺はそれを見送ることしか出来ねえんだな・・・いつも)シティが去ったアスファルトの路面を、虚しい気持ちでただ見ている。
俺はメゾン・ド・イナバ近くのバス停から乗り込み、ターミナルで乗換えをして玉井給油所近くのバス停で降りた。
「いらっしゃいー」近くまで歩くと園部の声が響いている。キビキビと動き回っている園部と、見習いみたいな少年が汗だくになって仕事していた。
夏休みがはじまったせいか、家族連れの車が次々にスタンドに入ってくる。サーフボードを積んだ車や、キャンピングカーも給油していた。
少年はどうやら園部の弟分らしく、園部に何か言われて小刻みにうなづいている。・・・園部が俺に気づいて少し怪訝な顔をした、そして親指を立てて店内を指差す。玉井が中にいるという合図だ。俺は園部に頭をさげて店に入る。
棚の上の売り物を並べ直している玉井が振り返り、少しとまどった表情をした。「コウジ、カズオは一緒じゃねえのか?」そう言ってビニールレザーのソファーに座ったので、俺も向かいに掛けた。
昨日今日のことを隠さずに、玉井に報告した。ひと通り聞き終えると、玉井はチェリーに火を点けて深々と吸い込む。「・・・まったく馬鹿野郎が。生き急いで、そして死に急ぎやがって。・・・腹の底のいいヤツは、どいつもこいつも・・・」玉井は空中に視線を浮かべていた。・・・きっと過去に死に急いだ人間を、カズオにオーバーラップさせているのだろう。
・・・店の扉が開く、俺と玉井は同時に振り向く。左腕に背広を掛けた新津が、白いワイシャツ姿で店に入ってくる。俺を認めて意外そうな顔をした。
「やあ、川島君、めずらしいところで会ったな」かつて待ち伏せていた時と同じセリフを吐いたが、今日は本心で思ったようだ。
「これは新津さん、いらっしゃいませ」玉井は立ち上がり慇懃に頭を下げる。「今日は非番でね・・・」それもこないだと同じセリフだった。新津は言いながらチラリと俺に目をくれる。
「今日は、ちり紙がサービスだと聞いたんで給油しに来たよ」新津は玉井のとなり、俺の向かいに腰を下ろした。
「ほう、玉井さんと川島君はお知り合いだったか」新津はガラスのテーブルの上の、タイヤのカタログをうちわ代わりに自分を仰ぐ。
「いえ、俺じゃなくてトシの方にね。先輩後輩の仲らしいんで」玉井は外で動き回っている園部を指差して言った。
「ほう、・・・でも玉井さんともお話しがあったように見えましたが?」新津は胸ポケットからわかばを出して、テーブルの上の象印の箱マッチで火を点けた。




