第77話 社交界の風向き
公開協議の前夜。王都では、別の戦いが始まっていた。社交界。
王城西棟の広間では、小規模な夜会が開かれている。名目は「王太子帰城歓迎」。だが実質は、情報交換の場。
私も出席することになった。逃げれば、風向きは決まる。辺境伯は同行するが、口は出さない。整えるのは、私だ。
広間に入ると、ざわめきが走る。視線。評価。計算。王都の空気は冷静だ。だが冷酷ではない。
中央に立つ女性が、ゆっくりとこちらへ向かってくる。深い緑のドレス。落ち着いた笑み。
「マルセル侯爵夫人よ」
自ら名乗る。王都社交界の中心人物。
「久しぶりね、レティシア嬢」
“嬢”と呼ぶ。貶さない。持ち上げもしない。中立。
「ご無沙汰しております」
礼をする。侯爵夫人は周囲を見渡し、わざと声を少し上げる。
「港を動かしたそうね」
広間の空気が止まる。扇の動きまで揃って止まった。
「ええ」
「なぜ王都を通さなかったのかしら」
問いは柔らかい。だが核心だ。
「通せなかったのです」
私ははっきり答える。
「物流が止まれば、領民が困ります」
扇の陰から、いくつもの目がこちらを見た。
「王都の統制を否定するの?」
別の貴族が割り込む。
「いいえ」
即答する。
「統制は強いです」
一瞬、空気が揺れる。
「ですが、一本に集めれば折れます」
私は続ける。
「港を動かしたのは、王都に背くためではありません」
「王国を持続させるためです」
“王国”という言葉を選ぶ。辺境ではなく。広間が静まる。マルセル侯爵夫人が目を細める。
「あなたは、まだ王国の側にいるのね」
試すような言葉だった。答え方で値踏みするつもりだ。
「はい」
迷わなかった。ここで迷えば、迷った分だけ噂になる。
「王都を壊したいわけではありません」
「壊さずに、支えたいのです」
静かな宣言。それは感情ではない。思想。
侯爵夫人は小さく笑った。
「明日の協議、楽しみになったわ」
周囲の空気が変わる。冷たい視線が、観察の視線に変わる。敵意はない。判断待ちだ。
夜会が終わり、廊下へ出る。
「悪くない」
辺境伯が低く言う。
「風は変わったか」
「完全ではありません」
私は答える。
「ですが、敵ではなくなりました」
それで十分だ。遠くで、ルシアンがこちらを見ている。無表情。だが目は鋭い。彼は分かっている。
これは単なる経済論ではない。思想戦だ。
明日。
公開協議が始まる。
その席で私がどこに座らされるのかは、まだ聞いていない。
聞かないまま、私は帳簿の頁に印をつけ続けた。
協議の勝敗は、たいてい前の晩に半分決まっています。




