第37話 彼女を呼ばない理由
王都からの返事は、やはり届かなかった。
というより、こちらが返していないのだから、届くはずもない。
執務室で書類を整えながら、補佐官はふと口を開いた。
「……そろそろ、何か動きがあるかもしれません」
辺境伯アレクシスは、ペンを置かずに答える。
「そうだろうな」
「再度の書簡か、あるいは直接の使者か」
「どちらでも同じだ」
淡々とした声。
補佐官は、少しだけ迷い、そして言った。
「レティシア嬢には、話さなくてよろしいのですか」
室内の空気が、わずかに変わる。
アレクシスは、ゆっくりと顔を上げた。
「話して、どうする」
「彼女の意思を、確認するべきではないかと」
もっともな意見だった。
本人の人生に関わることだ。知らされないままでは、不誠実にも思える。
だが。
「確認すれば、選択肢になる」
アレクシスは、静かに言う。
「選択肢は、重さを持つ」
王都に戻るか。
ここに留まるか。
その二択を提示することは、決断を迫ることと同義だ。
「彼女は、選ばされることに慣れている」
言葉は短いが、重みがある。
補佐官は、目を伏せた。
王都での立場。婚約者としての役割。常に、誰かの期待に応える形で生きてきた。
「また選ばせれば、彼女は自分を後回しにする」
アレクシスの声は、低い。
「王都が困っていると知れば、戻る理由を探すだろう」
「……その可能性は、あります」
「だが、それは彼女の望みではない」
室内に沈黙が落ちる。
窓の外で、風が木々を揺らす音が聞こえた。
「守るのではない」
アレクシスは続ける。
「選ばせないだけだ」
補佐官は、ゆっくりと頷いた。
それは過保護ではない。
信頼だ。
彼女が自分で決められるようになるまで、余計な選択肢を持ち込まない。
それが、今できる最善の判断。
「使者が来た場合は」
「私が会う」
「彼女を同席させずに?」
「当然だ」
迷いはなかった。
一方、その頃。
私は、書庫で本を整理していた。
今日は、少しだけ肩が軽い。
理由は分からない。何かが解決したわけでもない。
ただ、空気が穏やかだ。
廊下を歩くと、辺境伯とすれ違った。
視線が合い、軽く頷く。
それだけ。
問いも、確認も、探るような目もない。
私は、そのまま歩き出す。
もし、何かが動いているとしても。
それは、私の知らないところで処理されている。
決断を迫られない。
選択を突きつけられない。
その静けさが、今日もここにある。
私は、窓の外の森を眺める。
呼ばれなければ、答えなくていい。
問われなければ、迷わなくていい。
それが、どれほど大切なことか。
私は、静かに息を吐いた。
知らないままで、いられる。
それが、今の私にとっての、何よりの優しさだった。




