第128話 帰る理由
王都の務めが、ひと区切りついた。
終わったわけではない。名を賭ける制度は、まだ始まったばかりだ。速さと持続の綱引きも続く。カイウスは、諦めていない。国のかたちは、途中だ。
でも、私がここでしなければならないことは済んだ。
私は、王都を離れる許しを得て辺境伯領へ帰った。
馬車が領境を越えると、空気が変わる。
土と、風と、遠い森のざわめき。誰も、私が何者だったかを確かめようとしない。
王都の絹と香水と、値踏みの視線のあとでは、その無関心が優しかった。ここでは、私はただ、帰ってきた一人の人間でいい。
屋敷の前で、見慣れた騎士たちが頭を下げた。
「お帰りなさいませ」
「ただいま、帰りました」
執務室の扉は、開いていた。
アレクシスが書類から顔を上げる。
「帰ったか」
「はい」
「王都は」
「変わりはじめました。……ゆっくりと」
彼は、短く頷いた。それ以上は聞かない。
――と、思ったら。
彼は、珍しく口を開いた。
「一つ、聞いていいか」
私は、少し驚いた。理由を聞かない男が、聞く、と言った。
「はい」
「なぜ、帰ってきた」
私は彼を見た。
あの日、出ていくとき、彼はこの問いを飲み込んだ。危険はないか。無理をしていないか。なぜ、またあの場所へ。……何もかも飲み込んで、ただ「行くのか」とだけ言った。
今、彼は飲み込んでいた言葉の、いちばん優しいところだけを掬い上げて聞いてくれた。
なぜ、帰ってきた。
「王都には」と、私は言った。「私のするべきことがありました。だから、行きました。……でも、私のいたい場所は、ありませんでした」
「それは」
「ここに、あります」
言ってから、私は窓の外の森を見た。
揺れている。光が、柔らかい。
「いつか、私はあなたに、ここがいい、と申し上げました。……あれは、ここしか知らない者の言葉でした。今度は、違います。国のいちばん深いところを見てきて、それでも――私が帰りたいと思ったのは、ここでした。役割のある場所ではなく、名誉のある場所でもなく。ただ、私の帰る場所として」
アレクシスは、立ち上がった。
窓辺の私の隣まで来て、同じ森を見た。
「俺は、あの日聞きたかったことを飲み込んだ」
「知っています」
「聞かないのが、作法だと思っていた。……だが」
彼は、森から私へ視線を移した。冷えた湖のようだと、最初に思った目。その底が今は、はっきりと温んでいた。
「帰ってくる理由を本人の口から聞くのは、悪くない」
「悪くない、ですか」
「ああ。……いや」
彼は、少しだけ言い直した。
「――いい、ものだ」
私は、笑った。
彼が、私の「悪くない」の続きを覚えていて、返してくれたのが分かったから。
「帰ってくる理由を、本人の口から聞くのは、いいものだ」
じれじれに、長らくお付き合いくださって、ありがとうございます。
次回、いよいよ、国家のかたちの、続きです。




