表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「完結済」白い結婚を言い渡された聖女ですが、むしろ好都合なので神様に離婚届を出しました  〜婚約破棄してきた王子より、契約書を持ってきた宰相様の方がよほど誠実なんですが〜  作者: 夢見叶
第4部:後日譚&一生分の契約書編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

94/98

第4話 次世代の契約オタク

 地下契約書庫の階段は、冬でもひんやりしている。

 私は袖を握りしめながら降りて、最後の段で足を止めた。


 机の灯りが1つ。

 その下で、ティオが背筋を伸ばしてノートを開いている。羽根ペンではなく鉛筆。彼にしては珍しく、消しゴムのかすが散っていた。


「おはようございます、聖女さ……いえ、リディア様」

「おはよう。今日の顔、完全に研究者ね」


 ティオは慌ててノートを閉じようとして、逆に表紙を見せてしまった。

 そこには大きく、まっすぐに書かれている。


 老後契約研究ノート。


「……見られました」

「見た。かわいい」

「かわいくありません。真面目です」


 背後で靴音がして、セルジュさんが入ってくる。

 いつも通りの無表情。けれど机の椅子を、私の方へ少しだけ引いてくれる。


「今日の作業は、棚卸しではありません」

「え、違うんですか」

「棚卸しです。——ただし、総集編ではなく、部品です」


 セルジュさんは淡々と言って、ティオのノートの横に紙束を置いた。

 過去案件ファイル。白い結婚、奉仕無制限、命捨ての誓約、世界契約の改訂案。

 紙の山の向こう側に、人の生活が透けて見える。


「テンプレ化、でしたよね」

 ティオが喉を鳴らす。

「標準老後契約。誰でも使える形に」

「相談所の看板にするには、硬すぎる」

「硬くてもいいんです。硬いのは、盾ですから」


 その言い方が、少しだけ誇らしげで。

 私は笑ってしまいそうになって、喉の奥で止めた。


 棚の奥に、1冊だけ逆向きのファイルが差さっているのが見えた。

 誰が、何のために?

 気づいた瞬間、セルジュさんの視線が同じ場所に刺さる。


「……後で開きます」

 彼は短く言い切った。

 逃げ道を確保する声だ。


 ティオが唾をのんだ。

「逆向きって、誰かが……わざと?」

「棚が迷路だからこそ、近道を作る人がいるんです」

 セルジュさんはそれだけ言って、指先で棚の番号をなぞった。

 迷路を知り尽くした人の動き。正確すぎて、かえって怖い。

 私はその怖さを、未来の紙に封じたかった。


 私は小さく笑ってごまかす。

「それ、条文にします?」

 セルジュさんがほんの少しだけ私を見る。

「……ええ。近道は、時に命綱になります」


 私たちは、まず部品を作る。

 紙を切り、条文を短冊にして並べる。石板に貼って、分類して、言い換えて、また削る。


「『休暇』は権利じゃなくて義務にしませんか」

 私が言うと、ティオの目が丸くなる。

「義務、ですか」

「権利だと、使わない人が出る。前の私みたいに」

「……了解です。休暇義務。強い条文ですね」

「強くないと、守れないことがあるの」


 女神さまの声が、紙の匂いの隙間から降ってきた。

『うんうん。人間、優しい言葉で自分を縛るからねえ』

「今それを言われると、刺さります」

『刺さったところは、条文化して縫おう』


 ティオが、妙に真面目な顔で頷いた。

 次世代の契約オタクが、ここに育っている。


 昼前、相談所に顔を出すと、掲示板の端に小さく追記が増えていた。

 老後契約:相談増。

 平和の証拠なのに、字面だけ見ると不穏で笑える。


「宰相閣下、これ……」

 子どもを連れた相談者が、ちらりとセルジュさんを見て怯える。

 セルジュさんは表情を変えないまま、私の半歩後ろに下がった。


「今日は私が聞きます」

「承知しました」

「すみません、怖がらせて」

「怖がらせる意図はありません」


 その返しが真面目すぎて、相談者の母親が思わず肩の力を抜いた。

 私は条文カードを1枚差し出す。


「家族の看取りのとき、誰に連絡するか。ここ、先に決めておきましょう」

「……そんなの、今決めるんですか」

「今です。今の平和な顔で決めると、あとで楽です」


 相談が終わって外へ出ると、セルジュさんが当然みたいに荷物を持ち直した。

 私はその手元を見て、ふっと思う。

 あの人は、言葉より先に、手で守る。


 小高い丘まで歩いた。

 王都の川が光って、王宮の屋根と大神殿の尖塔が、きちんと同じ空の下に収まっている。


「地図にしましょう」

「何をです」

「逃げ道。集合場所。相談所。神殿。全部」

「……契約に?」

「契約に。言葉だけだと、迷うから」


 セルジュさんは頷いた。

 頷き方が、業務承認のそれで、少し腹が立つくらい頼もしい。


「逃げ道を確保します」

「うん。お願い」


 言えない願いが喉の奥で震える。

 ずっと、って言葉は軽い。軽いから、怖い。

 だから私は、夜に書く。


 家に戻って、灯りを落として、机の上に条文カードを並べた。

 ティオが作った分類が、やけにきれいだ。未来が整理されていく気がする。


「セルジュさん」

「はい」

「『頑張れ』は禁止にしましょう」

「禁止……強い言葉ですね」

「だって、頑張りすぎると、私たちは昔に戻る」


 彼の指が止まった。

 止まり方が、痛みの形をしている。


「……あなたは、私の過去の失点を知っていますか」

「数字のこと?」

「数字にすると楽だから、数字にしてきました。守れなかったものを、数える癖です」


 私は息を吸って、彼の手の甲に自分の指を重ねた。


「言葉にできない願いほど、契約に残す価値がある」

「……受領します」

「受け取る側、慣れてないでしょう」

「慣れていません。ですが、努力——」

「努力も禁止」

「……承知しました」


 笑いそうになって、私は泣きそうになって、結局どっちも飲み込んだ。

 余白に、女神さまの羽ペンがほんの少しだけ光って、静かに消える。


 そのとき、外の通りから、かすかな歌声が流れてきた。

 子どもの声。軽い節。意味の抜けた言葉。


「……おーまーえーを、あいするつもりは、なーい♪」


 私は笑いかけたまま、止まった。

 セルジュさんが立ち上がり、扉に手を置く。


「行きましょう。——今の世界を、見に」


 その声は冷たいのに、私の背中だけが、ちゃんと温かかった。


 ここまでお読みいただきありがとうございます。

 地下書庫で生まれた「休ませる義務」と、街角から聞こえた不穏な歌——平和の裏に、誰かの近道が混ざり始めました。

 続きが気になったら、ブックマークで追いかけて頂けると嬉しいです。面白かったと思って頂けたら、広告下の【☆☆☆☆☆】から評価も頂けると執筆の励みになります!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ