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「完結済」白い結婚を言い渡された聖女ですが、むしろ好都合なので神様に離婚届を出しました  〜婚約破棄してきた王子より、契約書を持ってきた宰相様の方がよほど誠実なんですが〜  作者: 夢見叶
第3部:女神と世界契約改革編

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第22話 罰十年、罪は一瞬

「10年は、短いほうです。……ここでは」


 そう言ったマリアンヌ司祭の声は、祈りみたいに澄んでいた。白い石造りの建物は修道院のように静かで、扉の金具まで磨かれている。外から見れば、理想郷ルミナリアの「更生施設」だ。


 でも、扉が開いた瞬間に匂いが変わった。鉄と薬草と、濡れた布。清潔さの下に、湿った息が重なっている。


 通路の先で、灰色の服の少年が膝をついて床を拭いていた。拭くだけなのに、指の腹が割れて赤い。私は反射で歩幅を速めかけて、そこで止まる。


 少年の手首に、細い輪があった。札のような金具に、小さく数字が刻まれている。


 10。


「……万引きです」

 マリアンヌ司祭が言う。目は少年を見ていない。見ないことで、祈りを守っているみたいだった。

「罰は10年。贖罪奉仕として労働し、その間、家族は同伴できます。……ただし」


 そこで一拍、彼女の呼吸が詰まる。


「離脱は禁止です」


 胸の奥で、何かが音を立てて割れた。軽い罪に重い年月。出口のない慈悲。これを正義と呼ぶ国で、私が叫べば異端は私のほうになる。


 拳を握りしめた瞬間、隣のセルジュさんの指が、そっと私の手を包んだ。冷たいのに、離れない。手のひらで、私の怒りを「外に出さない」形に整えるみたいに。


「今は、見ます」

 彼はそれだけ言った。


 私は頷くしかなかった。感情で壊さず、条文で折る。ここは、その現場だ。



 案内通路は、ガラスの壁で作業場を見下ろせる造りだった。床は水拭きされ、花瓶の白い花だけが完璧に整っている。なのに、下から聞こえるのは布を擦る音と、息を吸い込む音ばかりだ。


「皆、同じ制服なのですね」

 私は言いながら、気づいたことを喉の奥で噛む。罪の重さで色分けされていない。軽犯罪者と重罪者が、同じ列で動いている。


 監督役らしい男が、柔らかな笑みで頷いた。

「皆、同じく罪人です。光の前では差はありません」


 その言葉の美しさが、逆に怖い。差がないのは平等じゃない。分類がないのは、管理が楽だからだ。


「分類がないのは、管理が楽だからですか」

 セルジュさんが、いつもの丁寧な声で刺した。


 監督役の笑みが一瞬だけ薄くなる。

「更生のためです。無用な優劣は、心を濁します」


 濁るのは心じゃない。人生だ。

 私は視線を下へ落とす。少年が布の束を抱えて歩いていた。小さな肩がふらつくと、横の老人が支える。老人の手首にも10。支え合いが美徳に見えてしまうのが、また残酷だ。


 その隣で、髪を結った女が目を伏せて同じ布を畳んでいる。手首に札はない。けれど足首に、薄い輪の跡がある。鎖を外した痕みたいな円。


「家族同伴、ですよね」

 私が言うと、マリアンヌ司祭はロザリオを強く握った。

「……支え合えば、耐えられると教わりました」


「耐えさせる設計になってます」

 口にした自分の声が、妙に落ち着いていた。怒りが消えたわけじゃない。怒りを燃料にして、論点に変えただけだ。


 視線の端で、小さな女の子が少年の手首に触れかけた。次の瞬間、年季札が小さく点滅した。警告みたいに。

 母親が、即座に子どもの手を引く。引き方が、慣れている。


「……今のは?」

 私が問いかけると、監督役は笑ったまま答えた。

「戒めの合図です。触れてはいけないものを教えるための」


 教えるため、という言葉ほど人を縛るものはない。



 書類室は、作業場よりもさらに綺麗だった。棚には革表紙の台帳がぎっしり並び、封蝋と紙の匂いがする。綺麗に整った暴力は、いつも言葉が通じにくい。


「契約条文を確認させてください」

 私は深く頭を下げ、法務の声に切り替える。丁寧に、冷たく、逃げ道を塞がない程度に。


 監督役は当然のように一枚の契約書を差し出した。

「贖罪労働契約です。罪を犯した者は、10年の奉仕労働に従事することで罪を軽減されます。光の女神の慈悲です」


 私は目を走らせる。美しい言葉が並び、肝心の定義が空白だ。

 労働内容の範囲。健康配慮。途中評価。短縮条件。解除手続き。何もない。


「軽微な罪でも、10年なのですね」

「罪の大小を測るのは傲慢です」

「では、罰の大小は誰が測るのですか」

 私の問いに、監督役は眉を寄せた。


「ここは牢ではありません。更生の場です」

「更生なら、出口を作ってください」

 言い切った瞬間、空気が硬くなる。マリアンヌ司祭が唇を噛んだ。


 私は続ける。声の温度は上げない。

「10年の間、離脱は不可。家族は同伴できるが、事実上、家族も拘束されます。労働内容は『必要な奉仕』としか書かれていない。必要の定義がない契約は、必要なだけ搾れます」


「言葉が過ぎます、聖女殿」

「過ぎているのは年数です」


 監督役が、やわらかな笑みを作り直す。

「祈れば、心は軽くなります。罰は魂を浄めます」


 前世の記憶が、いやに鮮明に刺さった。残業を「やりがい」で包む。倒れた人を「自己管理不足」で片付ける。数字を出すと、空気が悪くなると言って黙らせる。


「亡くなった方の記録は」

 思わず口にすると、監督役の目が冷えた。

「死者を数えるのは不敬です」


 私は息を吸う。怒りが火になる前に、言葉を整える。

 そのとき、セルジュさんの指先が、私の手の甲に軽く触れた。押さえるのではなく、支える触れ方。


 頭の奥で、女神の声が囁く。

『ねえ、世界契約の原型、覚えてる? 本来は「罰は罪と相当で」って、ちゃんと入ってたのよ』

 軽い口調なのに、今日は笑っていない。


 相当性。ここを折れば、救える。



 マリアンヌ司祭が、低い声で言った。

「……会ってほしい方がいます」


 連れて行かれた先は、書類室の奥の小さな礼拝室だった。薄暗い机の前に、年配の書記が立っていた。彼は私たちを見るなり、深く頭を下げる。


「聖女殿。私は、記録係です。……昔の運用台帳をお見せできます」


 机に置かれた台帳は、背が擦り切れていた。ページを開くと、そこには「罪名」「年数」「評価」の欄が並んでいる。


「以前は……罪に応じて年数を定めていました」

 書記の指が、古い欄をなぞる。私は胸の奥が少しだけ息をした。相当性は、最初から死んでいたわけじゃない。


 だが、途中のページから空気が変わる。年数欄が、まとめて塗り潰されている。上から新しい追記。封蝋の跡が残り、そこには――鎖の紋。


 そして、一律に書かれた数字。


 10。


「……誰が、これを」

 私の声が震えそうになるのを、舌で押さえる。


 マリアンヌ司祭がロザリオを握りしめ、目を閉じた。

「私は……祈って、許してきたつもりでした。これが慈悲だと、信じたかった」


 書記が、震える指で最後のページを押さえる。

「いつから10年になったか、記録に残っています。ですが……」


 彼は封蝋の鎖を見つめ、呟くように言った。

「この追記、神殿のものではありません。神の封です」


 背筋が冷えた。誰かが、信仰を利用して条文を塗り替えた。しかも、人の手続きじゃない。


 私は息を整え、セルジュさんを見る。彼は一度だけ頷いた。視線の温度が、私に言う。焦るな。勝てる。


 私は台帳の上の鎖の紋から目を離さず、静かに宣言する。

「……これなら、折れます。正義の言葉は守ります。歪ませた追記だけを切ります」


 その瞬間、セルジュさんが私の手を取った。今度は隠すようにではなく、支えるために。

「あなたの怒りは正しい。だから、手順で勝ちます」


 私は小さく笑って、握り返した。

 ここは牢じゃないと言うなら、出口のある更生に戻す。10年の鎖を、条文でほどく。


 そして、鎖の紋の主を――必ず、突き止める。


ここまでお読みいただきありがとうございます! 理想郷の「10年」は、あなたはどう感じましたか。続きが気になったら、広告下の【☆☆☆☆☆】で評価&ブックマークで応援していただけると、とても励みになります。感想も一言でも嬉しいです。次話も全力で更新します!


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