第22話 罰十年、罪は一瞬
「10年は、短いほうです。……ここでは」
そう言ったマリアンヌ司祭の声は、祈りみたいに澄んでいた。白い石造りの建物は修道院のように静かで、扉の金具まで磨かれている。外から見れば、理想郷ルミナリアの「更生施設」だ。
でも、扉が開いた瞬間に匂いが変わった。鉄と薬草と、濡れた布。清潔さの下に、湿った息が重なっている。
通路の先で、灰色の服の少年が膝をついて床を拭いていた。拭くだけなのに、指の腹が割れて赤い。私は反射で歩幅を速めかけて、そこで止まる。
少年の手首に、細い輪があった。札のような金具に、小さく数字が刻まれている。
10。
「……万引きです」
マリアンヌ司祭が言う。目は少年を見ていない。見ないことで、祈りを守っているみたいだった。
「罰は10年。贖罪奉仕として労働し、その間、家族は同伴できます。……ただし」
そこで一拍、彼女の呼吸が詰まる。
「離脱は禁止です」
胸の奥で、何かが音を立てて割れた。軽い罪に重い年月。出口のない慈悲。これを正義と呼ぶ国で、私が叫べば異端は私のほうになる。
拳を握りしめた瞬間、隣のセルジュさんの指が、そっと私の手を包んだ。冷たいのに、離れない。手のひらで、私の怒りを「外に出さない」形に整えるみたいに。
「今は、見ます」
彼はそれだけ言った。
私は頷くしかなかった。感情で壊さず、条文で折る。ここは、その現場だ。
◇
案内通路は、ガラスの壁で作業場を見下ろせる造りだった。床は水拭きされ、花瓶の白い花だけが完璧に整っている。なのに、下から聞こえるのは布を擦る音と、息を吸い込む音ばかりだ。
「皆、同じ制服なのですね」
私は言いながら、気づいたことを喉の奥で噛む。罪の重さで色分けされていない。軽犯罪者と重罪者が、同じ列で動いている。
監督役らしい男が、柔らかな笑みで頷いた。
「皆、同じく罪人です。光の前では差はありません」
その言葉の美しさが、逆に怖い。差がないのは平等じゃない。分類がないのは、管理が楽だからだ。
「分類がないのは、管理が楽だからですか」
セルジュさんが、いつもの丁寧な声で刺した。
監督役の笑みが一瞬だけ薄くなる。
「更生のためです。無用な優劣は、心を濁します」
濁るのは心じゃない。人生だ。
私は視線を下へ落とす。少年が布の束を抱えて歩いていた。小さな肩がふらつくと、横の老人が支える。老人の手首にも10。支え合いが美徳に見えてしまうのが、また残酷だ。
その隣で、髪を結った女が目を伏せて同じ布を畳んでいる。手首に札はない。けれど足首に、薄い輪の跡がある。鎖を外した痕みたいな円。
「家族同伴、ですよね」
私が言うと、マリアンヌ司祭はロザリオを強く握った。
「……支え合えば、耐えられると教わりました」
「耐えさせる設計になってます」
口にした自分の声が、妙に落ち着いていた。怒りが消えたわけじゃない。怒りを燃料にして、論点に変えただけだ。
視線の端で、小さな女の子が少年の手首に触れかけた。次の瞬間、年季札が小さく点滅した。警告みたいに。
母親が、即座に子どもの手を引く。引き方が、慣れている。
「……今のは?」
私が問いかけると、監督役は笑ったまま答えた。
「戒めの合図です。触れてはいけないものを教えるための」
教えるため、という言葉ほど人を縛るものはない。
◇
書類室は、作業場よりもさらに綺麗だった。棚には革表紙の台帳がぎっしり並び、封蝋と紙の匂いがする。綺麗に整った暴力は、いつも言葉が通じにくい。
「契約条文を確認させてください」
私は深く頭を下げ、法務の声に切り替える。丁寧に、冷たく、逃げ道を塞がない程度に。
監督役は当然のように一枚の契約書を差し出した。
「贖罪労働契約です。罪を犯した者は、10年の奉仕労働に従事することで罪を軽減されます。光の女神の慈悲です」
私は目を走らせる。美しい言葉が並び、肝心の定義が空白だ。
労働内容の範囲。健康配慮。途中評価。短縮条件。解除手続き。何もない。
「軽微な罪でも、10年なのですね」
「罪の大小を測るのは傲慢です」
「では、罰の大小は誰が測るのですか」
私の問いに、監督役は眉を寄せた。
「ここは牢ではありません。更生の場です」
「更生なら、出口を作ってください」
言い切った瞬間、空気が硬くなる。マリアンヌ司祭が唇を噛んだ。
私は続ける。声の温度は上げない。
「10年の間、離脱は不可。家族は同伴できるが、事実上、家族も拘束されます。労働内容は『必要な奉仕』としか書かれていない。必要の定義がない契約は、必要なだけ搾れます」
「言葉が過ぎます、聖女殿」
「過ぎているのは年数です」
監督役が、やわらかな笑みを作り直す。
「祈れば、心は軽くなります。罰は魂を浄めます」
前世の記憶が、いやに鮮明に刺さった。残業を「やりがい」で包む。倒れた人を「自己管理不足」で片付ける。数字を出すと、空気が悪くなると言って黙らせる。
「亡くなった方の記録は」
思わず口にすると、監督役の目が冷えた。
「死者を数えるのは不敬です」
私は息を吸う。怒りが火になる前に、言葉を整える。
そのとき、セルジュさんの指先が、私の手の甲に軽く触れた。押さえるのではなく、支える触れ方。
頭の奥で、女神の声が囁く。
『ねえ、世界契約の原型、覚えてる? 本来は「罰は罪と相当で」って、ちゃんと入ってたのよ』
軽い口調なのに、今日は笑っていない。
相当性。ここを折れば、救える。
◇
マリアンヌ司祭が、低い声で言った。
「……会ってほしい方がいます」
連れて行かれた先は、書類室の奥の小さな礼拝室だった。薄暗い机の前に、年配の書記が立っていた。彼は私たちを見るなり、深く頭を下げる。
「聖女殿。私は、記録係です。……昔の運用台帳をお見せできます」
机に置かれた台帳は、背が擦り切れていた。ページを開くと、そこには「罪名」「年数」「評価」の欄が並んでいる。
「以前は……罪に応じて年数を定めていました」
書記の指が、古い欄をなぞる。私は胸の奥が少しだけ息をした。相当性は、最初から死んでいたわけじゃない。
だが、途中のページから空気が変わる。年数欄が、まとめて塗り潰されている。上から新しい追記。封蝋の跡が残り、そこには――鎖の紋。
そして、一律に書かれた数字。
10。
「……誰が、これを」
私の声が震えそうになるのを、舌で押さえる。
マリアンヌ司祭がロザリオを握りしめ、目を閉じた。
「私は……祈って、許してきたつもりでした。これが慈悲だと、信じたかった」
書記が、震える指で最後のページを押さえる。
「いつから10年になったか、記録に残っています。ですが……」
彼は封蝋の鎖を見つめ、呟くように言った。
「この追記、神殿のものではありません。神の封です」
背筋が冷えた。誰かが、信仰を利用して条文を塗り替えた。しかも、人の手続きじゃない。
私は息を整え、セルジュさんを見る。彼は一度だけ頷いた。視線の温度が、私に言う。焦るな。勝てる。
私は台帳の上の鎖の紋から目を離さず、静かに宣言する。
「……これなら、折れます。正義の言葉は守ります。歪ませた追記だけを切ります」
その瞬間、セルジュさんが私の手を取った。今度は隠すようにではなく、支えるために。
「あなたの怒りは正しい。だから、手順で勝ちます」
私は小さく笑って、握り返した。
ここは牢じゃないと言うなら、出口のある更生に戻す。10年の鎖を、条文でほどく。
そして、鎖の紋の主を――必ず、突き止める。
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