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「完結済」白い結婚を言い渡された聖女ですが、むしろ好都合なので神様に離婚届を出しました  〜婚約破棄してきた王子より、契約書を持ってきた宰相様の方がよほど誠実なんですが〜  作者: 夢見叶
第3部:女神と世界契約改革編

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第21話 英雄である義務からの解放

 沈黙が、会議殿の天井まで張りつめていた。

 ミレーヌは証言台の前で立ったまま、口を開いて、閉じて。さっきまで確かにあった勇気だけが、形を失って落ちていく。

 円卓の神々も、人間の代表も、誰も助け舟を出せない。出した瞬間に、彼女の「選んだ」という言葉に寄りかかってしまうから。


 そのとき、ミレーヌが銀鎖に指をかけ、喉の奥を擦るみたいに声を絞った。


「……全文、出してください。私の契約です」


 それは開き直りじゃない。

 逃げ道を、他人に預けないという宣言だった。


 レオン殿下が息を呑む音が、やけに大きく聞こえた。

 女神様は、羽ペンで机を一度だけ叩く。乾いた音が、合図になる。


 スクリーンに光の文字が走った。

 鎖みたいな筆致で、条文が上から下へ、淡々と積まれていく。見慣れた「努力義務」という柔らかい言葉が、いくつも並ぶ。

 そして――次の行で、空気が変わった。


《多数を救える局面では、自己犠牲を優先する》


 ミレーヌの銀鎖が、ほんの一瞬きしんだ。

 装飾みたいに見える細さなのに、締まるときだけ、首輪だとわかる。


「見てください」

 ミレーヌはスクリーンを見上げたまま、笑えない笑みを作った。

「ここに書いてあるのが、私の命の値段です」


 レオン殿下が反射で立ち上がった。止めたいのか、庇いたいのか、言い訳したいのか。衝動が全部混ざった顔だ。


「……そんな契約、僕は望んでいなかった」


 その言葉に、会場の視線が殿下へ刺さる。

 けれど、椅子を引く音より先に、セルジュが立った。


「望みは、条文になっていません」


 淡々とした声。冷たいはずなのに、私の胸だけが勝手に熱くなる。

 守り方が、いつも「手続き」なのが、この人らしい。


「会議規程に従い、発言順を固定します。証言者の場を乱さない」


 殿下の足が止まった。

 私は、隣にいるセルジュの背中を見て、息を整える。

 今ここで必要なのは、怒鳴り返すことじゃない。条文を、外すことだ。


 イルダがスクリーンを指し、短く言った。


「論点。努力義務の定義。撤退の権利が消えている」


 私は頷き、言葉を選ぶ。

 ここで感情で殴ったら、光の女神と聖王は「英雄の美徳」で固めてくる。だから、構造で切る。


「『努力』って言葉で、拒否権を消してるんです」

 私はスクリーンの致命条項を指した。

「本人が『救いたい』と言えば、それが同意の証になる。でも、撤回できない同意は――同意じゃない」


 言いかけて、妙に丁寧な敬語の型が口に引っかかった。

 噛んだ。最悪だ。

 セルジュが無言で水を差し出す。私は受け取り、ひと口だけ飲む。熱が喉を通って、頭が冷える。


 円卓の端で、光の女神がこちらを見ている。

 まっすぐで、冷たい光。理想を握りしめた手の光だ。

 その光が、ミレーヌの鎖を強くする。そんな気がして、私は息を吸った。


 証言台の横で、ユリウスが口を開いた。

 光の聖騎士。先ほどまで、誓願文を誇りみたいに唱えていた人。


「これは、私の……同意、です」


 言い切れなかった。

 喉元に、薄い光の枷が浮かぶ。言葉が出るたび、枷が締まる。

 ユリウスは反射で跪こうとして、椅子がガタンと鳴った。慌てて真顔で座り直す。その滑稽さが、逆に痛い。


「英雄で、い続けろと……そう書いてある」

 声が震える。英雄の鎧の内側から、人の声が漏れた。

「望むって言ったら、強いってことだと思ってた。……でも、望みたいんだ。生きたい。怖いって言っていい世界で」


 私は、詰めなかった。

 責めれば、また鎧を着る。彼は上手に英雄に戻ってしまう。


「撤退していいです」

 短く言う。

「今日だけじゃない。次も。必要なら、永遠に」


 セルジュが一歩だけ近づいた。影が、私と証言台の間に落ちる。

 腕は触れていないのに、そこに壁ができたのがわかる。圧が、少しだけ減る。

 私はその支え方を、拒まなかった。


「……はい」

 自分でも驚くくらい小さな返事が、口からこぼれた。


 女神様が羽ペンを持ち上げ、スクリーンの端に空欄の枠を出す。

《世界契約 第2条》

 まるで「早く埋めろ」と言っているみたいに、枠だけが光っている。


 イルダが読み上げる声は、いつも通り乾いていた。


「第2条。救済の対価として、生命または身体の損耗を義務として課してはならない。英雄、聖騎士、聖女その他の称号は、義務拡大の根拠にならない。自己犠牲を条件とする誓願条項は無効。撤回と撤退の手段を必ず明記する」


 私は、光の女神を見た。

 彼女の理想は「人を救う光」だ。否定したくない。否定する権利も、私にはない。

 だから、壊すのは理想じゃなくて、鎖の方だ。


「英雄であることは、義務の根拠になりません」

 私は、淡々と言い直した。

「救いたい気持ちは、願いです。義務にした瞬間、誰かの首輪になります」

「それでも救いを語るなら――救う人を潰さない形で、語ってください」


 会議殿が凍った。

 光の女神は沈黙したまま、指先だけがわずかに動く。怒りか、迷いか、それとも――。

 女神様は急かさなかった。羽ペンを署名盤の上に置き、ただ待つ。


 沈黙の間に、ミレーヌの鎖が小さく鳴った。

 ユリウスが息を吸う音が、祈りみたいに静かだった。


 やがて、光の女神が立った。

 一歩。二歩。署名盤の前へ。

 目は、私ではなく、ユリウスとミレーヌを見ていた。初めて、価値観の外側を見ている目だった。


 ペンを取る。迷いが、手首にだけ震える。


「光は、英雄を作るためにあるのではない」

 小さく呟いて、彼女は息を吐いた。

「人を、照らすためにある」


 そして――署名した。


 光が、しゅっと走った。

 スクリーンの致命条項が、鎖をほどくみたいに淡くなる。

 ミレーヌの肩が、ほんの少し落ちた。首輪が「重さ」を失ったのがわかる。

 ユリウスの喉元の枷も、きしんで、薄くなる。まだ消えない。でも、割れ目は入った。


 レオン殿下が唇を噛み、椅子の背に手を置いたまま、動けずにいる。

 私は、殿下に向けて言った。


「望まないなら――消しましょう。条文で」


 女神様が小さく言いかけて、すぐ真顔に戻した。


「同僚、今日は頑張った」


 その瞬間、スクリーンが勝手に次のページをめくった。

 太い文字が、冷たく光る。


《罰:10年》


 背筋が、ぞくりとした。

 世界は1つ条文が増えただけで変わる。なら、1つ罰条項で、いくらでも壊れる。


 女神様が羽ペンを鳴らす。

 軽い音なのに、開廷の鐘みたいだった。


「次。案件3に移ります」


第21話、英雄の首輪を外す一歩でした。次は《罰:10年》の正体へ。……リディアとセルジュは、罰条項すら条文でひっくり返します。面白かったと思って頂けたら、評価とブックマークで応援してもらえると励みになります。


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