戦闘編:第九話 アルキメデスを許さない
私は決して障害に屈しはしない。いかなる障害も、私の中に強い決意を生み出すまでだ。
レオナルド・ダ・ヴィンチ
共和国のテバイへの攻撃が始まる二日前、テバイから北に歩いて数日の距離にある地点で帝国軍の軍団基地が襲撃を受けていた。
その攻撃は宣戦布告も、雄叫びもなく静かに始められた。見張りの兵が敵襲を伝える鐘を鳴らす間にみ森から滲み出してくる影はその数を増していく。
「ヘルメス様にお伝えしろ!敵襲!その数、四軍団相当!所属不明!ただし、『森の民』の可能性大!」
その基地の指揮官は防衛のために部下が動いているのを確認すると伝令に指示を出した。彼の推測が正しければ、共和国だけでなくこれまで中立を頑ななまでに保っていた『森の民』までも相手にする必要が出てきたことになる。これまでの西国境の防衛構想が覆るかも知れないという最悪の想像に戦慄を禁じ得なかった。
森から出てきた集団の服装、武器は皆バラバラであり、斧・剣・棍棒・槍・弓と統一感など全く無い。そこには戦をコントロールしようという意志は全く感じられない。ただの暴力。それだけの存在に見えた。そのため、基地の戦士の一人は顔に思わず嘲笑を浮かべるが、その数に唾をのむ。
もし、目のいい兵がいればその集団は皆、濁った目をしており、体から黒い靄のようなものが揺らいでいるのが見えたであろう。その場にエオスがいればエピメーテウスの『陰操』であることを悟ったかもしれない。
その兵は無造作に基地へと向かってくるが回りに巡らされた堀に阻まれる。堀に落ちても堀を登ろうとしてくるが、それを許す帝国兵はいなかった。怒濤の矢の雨を浴びせかける。
堀には死体の山が積み重ねられていくが、後から後から怯むことなく基地へと向かってくる。味方の兵の死体を全く気にする風もなく踏み越えてくる。
これに恐怖し、矢による迎撃が一瞬途絶える。その間に一人の兵士が基地の外壁に取りつくと武器を振りかぶった。その一撃を受けた壁の一部が崩壊していた。
これは常識では考えられない。城壁はそんな簡単に崩れるような造りをしていない。帝国の軍団基地ともなれば、その造りは当然のように石をしっかりと組み合わせ補強されている。都市の城壁に比べれば劣るとはいえ一撃の元、うち壊されるものではないのである。兵士の武器から陰がにじみ出し、石と石の間を駆け巡って城壁のバランスを崩し、自重で崩壊したのであるが、それを外からみれば、怪力で城壁を砕いたように見えたであろう。
それは城壁の各所で起こっておりその隙間から兵が侵入する。一度懐に入られれば、兵士一人一人の戦闘能力がものをいう。それも基地の兵の心のよりどころとも言うべき城壁が一瞬のうちに壊されるとともに、戦闘意欲も粉々に打ち砕いたのである。
その軍団基地を襲った様子は十二神武将ヘルメスの元へ届けられた。
その軍、野蛮極まりない装備、隊列で襲来し兵士一人一人の戦闘能力は想像を絶し、その軍の先頭には狼の姿をした大男がいたと。
ヘルメスはこれで西の森に釘付けにされることになる。『森の民』は決して軽視できる勢力ではないのである。
所変わって、テバイでは予想外の出血に共和国兵の足が緩まっていた。しかし、時間とともに少しずつ進んでいた。
見えない敵も、全く位置が分からない訳ではない。攻撃の瞬間には知覚されたし、すでに不可視の効力も薄れだしたと見え、隠しきれない所が見え始めていた。
しかしそれでもテバイ中心部へと向かっていった僚友が無残な姿で運ばれてくるのを見ると悲しみの前にこみ上げてくるものがある。昨日の夕食である。今朝の朝食かもしれない。
運ばれているのはまだ幸運なほうで大体はその場に積み上げられているという。これは何とか生きて逃げて来た者の言である。
このメインストリートの先にいるのはいったい何なのか。それは何も知れない。逃げて来た者も震えるばかりで具体的なところをまったく伝えられていなかったである。
そんな中、歩みを通りの半ばで止めている兵にチラリと目をやり、道を悠々と進んでいく人間が二人。その内の一人が通り過ぎた瞬間、恐怖に濁った兵士の目が戦意に燃えた目に変わった。
「・・・どうやら第一波は去ったみたいですね。」
ヤンはほっと一息つき、連射弩を地面に投げ出した。
「おいおい、丁寧に扱ってくれよ。それはまだ、耐久性に難があるんだ。点検しないと矢が詰まってしまう。」
イレーヌがそのハンマーを無造作に持ち上げ、一振りして付着物を取り払う。
「これはどうもすみません。」
ヤンは申し訳なさそうに眉を下げ、肩をすくめる。
「まぁ、これだけ時間を稼げば十分じゃないか?さっさとここから消えよう。」
イレーヌがきびすを返し、ヤンが頷きかけるその刹那、粘つくような声が二人の動きを止めた。
「あらあら、私とは遊んでくれないの?」
ヤンとイレーヌはその声にまず驚いた。ここでは性差など用意に覆る。それは知っていはいたがそれでも女性の兵士は圧倒的に少ない。彼らにとって未知な『精霊術』の使い手であることが推測された。
すぐにその女性に対して身構える。しかし、身構えた二人に何の反応もせずただ言葉を重ねるのみであった。
「すごいじゃぁない!彼らはリュカオンがこの時のために訓練をつませた正規軍よ?」
両手を前に合わせてにこやかに拍手をしてみせる。その様子は本当にすごいとしか思っていないように見えた。
「彼、泣くかしら?泣いたらからかってあげるのも楽しそうだけど・・・。まぁ、泣かないわねあの男は。見栄っ張りだから・・・。」
人差し指をあごに当てて空を見上げながら思案していると、その隙を突くようにイレーヌがハンマーを振り上げ、間髪いれずに振り下ろした。
「・・・せっかちねぇ。」
女性が目を細めてポツリと呟くとハンマーがピタリとその小さな頭に触れるぎりぎりで静止した。ハンマーだけではない彼女の体中の筋肉が動かない。
「馬、馬鹿な。体が動かない・・・など。これはいったい・・・。」
イレーヌは必死にナノマシンにより全身を精査したが異常は見られなかった。異常があるのは・・・。
「・・・私の脳か!」
イレーヌはぞっとした。脳を制御されるなどあってはならない。それは体の制御を他者に支配されるということは・・・。その推察は彼女のプライドをひどく傷つけた。
「そういえば名乗っていなかったわ・・・。私、パンドラって言うのよ。よろしくね?」
イレーヌは目の前の表情も、首をかしげながらよろしくと言ってくるその仕草もすべて気に入らなくなってきた。さらに体に力を入れるも体はピクリとも動いてはくれなかった。
「力を抜かないと疲れるわよ?」
パンドラはイレーヌの後ろに回り、肩に手を置く。そしてその首筋へと鼻を近づけて目を瞑りながら匂いをかぎ始めた。その行為にイレーヌはビクッと体を痙攣させる。
「何・・・を!」
「あなた・・・不思議な匂いがするわ。・・・森の民の匂いに近いけれど。少し違うわねぇ。ずっと甘いに匂い。男女の差・・・かしら?あなた何処の・・・。」
パンドラの言葉を継がせるものかとハンマーの先端が彼女に向かってくるが、それも余裕を持って避けられた。
「あら?どうして動けるの?あなた。」
パンドラは大きな口をあけて頬に手を当て首をかしげている。
「・・・教えると思ってる?」
「じゃあ、教えたくしてあげる。」
パンドラが目を細め、そっと息を吐く。するとイレーヌの口元が痙攣し始めた。
「・・脳の・神経回路から・・・運動神経を切・・・断し・・IISに単調な・・命令文を再設定して・・。」
イレーヌの言葉はそこで止まり、それ以上つむがれることは無くなった。口が息も漏らさぬほどきつく閉じられている。イレーヌがIISに緊急で「口を閉じろ」という命令文を入力したためである。口が閉じられているため、だんだん鼻息が荒くなっていく。
「うーん、まったく分からなかったけど・・・。私の力が効いていない訳じゃなさそうねぇ・・・。でも動ける・・・。私、こんなことは初めてよ。でも、動きが鈍っただけでも十分よね?」
彼女の後ろにはパンドラの術に懸かった共和国兵がひしめいており、今にもイレーヌに飛び掛らんと待ち構えている。
その一団に向かってヤンの矢が降り注ぐ。
「イレーヌさん、逃げますよ!こちらに走って!」
「・・・。」
イレーヌはぎこちない動作で反転すると後方へ駆け出した。
「追いなさい。出来れば女のほうは殺さずに捕らえなさい。後で聞きたいことがあるの・・・。」
そのことが発せられるや否や、共和国兵は追撃を開始した。
領主エオスの居室の鏡に映し出されるその光景をエオスは見ていた見ていたが、すでに精神力を使い果たし、全身汗だくである。残りの領民の逃げる時間を稼いでくれた二人に感謝の念が絶えなかったが、何も出来ない自分を責める内なる声に押しつぶされそうになる。彼女にはただ祈るしかなかった。彼らの幸運を。
その幸運は南の地からやってきた。その登場は多くの人間の目撃するところとなる。それは空を飛んでやってきたのである。見た人々は言い合った。願いを叶えるという流れ星の様であったと。
しかし、当の流れ星からすれば堪ったものではなかった。流れ星はいつか地上に落ちる運命にあるのだから、・・・燃え尽きなければ。
「・・・死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ、俺死ぬ。享年二十歳、ヨシヒロです。って自己紹介してる場合じゃねぇ!死ぬ、これ死ぬ!これまでのデスポイアのチョッカイが子供の遊びレベルに感じるくらいに死ぬ!修復できるレベルを超えて死ぬ!後遺症とかそういうレベルじゃなく死ぬ!あ、でも痛みを感じるまもなく死ねるから少しは運がい・・。」
涙が遥か後方に流れ、その叫びも置き去りにしながらヨシヒロは飛んでいく。
『落下予測時刻まで後2分43秒・・・。』
IISがヨシヒロの脳内に冷たい事務的な音声で余命を宣告する。
「ぎゃー、カウントダウンすんなぁ!現実から逃避出来なくなったじゃねぇか!死ぬ、死にたくない、死にたくねぇよー。あぁ、神様お助けください!ん?この状況を作った本人が神様だったか、そういえば。じゃ、合衆国空軍様、航空自衛隊様、人民解放軍様、助けてくだされば入隊します。マジで!だから誰でも良いから助けて!」
しかし、彼の願いはその誰にも届くことも無く無情に目的地へと近づいていく。
事の起こりは十数分前に遡る。この悲劇はすべてアルキメデスのせいである。
「早くしないと皆が!」
「えぇい、うっとうしいですわ!少し落ち着きなさい、義弘。」
「しかしな・・・。」
「これでも一番早く移動していますわ!」
「しかし、一直線にいけないから遠回りしている気がしてしまうんだよなぁ。」
「山の稜線に沿って道があるのだから仕方ないではありませんか。」
「直線距離が一番最短なのになぁ。飛行機とかないもんなぁ、ここ。」
「飛行機ってなんですの?」
「空を飛ぶ便利な乗り物。」
「そんなものがあるのですか?」
「あぁ、でもここじゃ空まで持ち上げる力はないだろうな。」
「上がってどうやって着地するのです?」
「揚力って不思議な力があってだな、それでソフトランディングして・・・。」
「それは精霊術の一種ですか?」
「あぁ、そんなもん。」
「それは義弘にもあるのですか?」
「ん?あるんじゃないか少しくらいは。ものっそい速さで俺がうつ伏せ姿勢で飛べば発生するかもな!」
「すごい速さで・・・。」
「ん?」
「できるかも知れませんね、アレを使えば。」
「え、何?」
「アレは本来、攻城時に石を飛ばすのに使うのですが・・・。」
「ちょっとー。」
「その揚力とやらがあれば大丈夫でしょう!」
「もしもしー?」
「では行きますよ、義弘!」
「俺のはな・・・。」
次の瞬間には義弘とデスポイアは巨大なシーソーの先端から飛び出していた。
言うべき時を知る人は、黙すべき時を知る。
アルキメデス