帝国編:第十話 のーそん
良いお年を
風が頬をくすぐり通り抜けていく.その風は多少肌寒いものではあったがそれにも増して麦穂が風に揺られる様はそれを見る人にそれを忘れさせる.
ここはテバイ郊外の農村である.テバイの麦はここで賄われていると行っても過言ではない.それだけの規模の農村である.しかし,よほどの用事でもない限り一般人は寄り付かない.
しかし,今日はこの静かな農村に来訪者が現れた.その男は気がつけばそこにいた.気がつけば明らかに周りの景色から浮いている.浮きまくっている.真っ昼間ののどかな農村など全く似合わない男がいた.
「のどかだなぁ.」
男は風に揺れる麦穂に目を細めながら農村の人々が働いている姿を眺めていた.
「何年か前は飢饉で大変だったって聞いたけど今年は大丈夫そうだな.俺の知ってる麦穂に比べればかなり小さいけど,このあたりの地力ではこれが限界だろうなぁ,IISこの土地の成分分析を開始.」
男は土を一掬いして匂いを嗅ぎ,少し口に含みながら言った.周りの人々は驚愕した.「この人,土食ってるよ」と口々に言い合った.
『Ph6であり標準的な値を示しています.粘度成分が多いため通気性が良くなく,根が酸素不足を起こす危険性があり,排水性が悪いため根腐れを起こす危険があるため,土壌改良の必要があります.深耕も有効でしょう.また窒素,リン,カリウムが不足しています.』
「ふーん.IIS今日の天気は?」
『この地点の過去の観測データが不足しています.』
「過去の観測データを地球上の類似地点の物と同じとして計算しろ.」
『気候,風土が地球,フランス南部のデータと97%一致,計算を開始します.』
「実行.」
『本日の天気は晴れ,しかし現時点の観測データからにわか雨が降ることが予想されます.』
「それはいつだ?」
『今から1時間後です.』
「どこかに雨宿りを頼むか.」
畑で麦の刈り取り準備をしている娘がいた.娘はさっきから土を食べたり空を眺めながら独り言をぶつぶつ言っている男のことが気になって仕方が無かった.ちらちらと男を盗み見てはやっぱり怪しいという思いを新たにしていた.そうこうしていると男の方から近づいてきた.
「わっわわ.(まずいわ.盗み見てたことに気づかれたのかしら.どうしよう.このままじゃ私はこの男に...)」
「あの.」
「なっ何?!(だめよ!ここで負けちゃだめ!しっかりするのよ,私.)」
「もうすぐここで雨が降りそうなんでどこか雨宿りでいる所を貸していただけませんか?馬小屋とかそういうところで構いませんので.」
「う,うん.それくらいなら.でもこんなに晴れてて気持ちのいい気候なのに雨が降りそうなの?(あら?以外と礼儀正しい.)」
「えぇ,ほぼ間違いありませんよ.」
「うーん,じゃあ私の家までついてきて.ところで少し聞きたいことがあるのだけど.」
この男が見かけ程変な男ではないと思ったのか警戒心が若干無くなっていた.
「はい?」
「何故机と椅子を持ってるの?」
「・・・一応,これは私の財産だからですよ.」
「ふーん,変わった財産だね?普通,金貨とか銀貨を持つよ?かさばるし.」
「そうですね.これ売ろうとも思ったんですよ.それで買い手は付きそうにはなるんですが,この机と椅子を細部まで見たとたん無理だといってみんな行ってしまうんですよ.」
「ふーん,見た所そんなにおかしな物でもないのに変だね.」
「そうなんですよね.でも捨てる訳にも行かず持ち歩いている訳です.」
「そっか.まぁいいか.おいで.」
「はい.」
「ところであんた名前は?」
「前田 義弘です.あなたのお名前は?」
「コレーよ.」
少女の家は畑からほど近い所にあった.家は畑の真ん中にあり,家から放射状に農道が延びている.その家は義弘の予想を大きく上回る規模であり,口を大きく開けて歓声を上げていた.
「大きいでしょ.でも家は多くの小作人を抱えてるからこのくらいの規模の家を持たないと小作人に甘く見られて逃げられちゃうんだって.お父様が言ってた.」
「ふむ.なるほど.そういうものですか.すごいですね.家が住む場所であるだけでなく,示威のためのものとは.お父様はやり手でいらっしゃる.」
義弘が妙に感心しているとコレーはその様子を見て笑い出した.
「ははは.妙な所に感心するのね.大抵の人はこれを聞くと嫌な顔をするわ.小作人を威圧するなんてって.」
「人を集団として束ねるには皆に認められる必要があり,その一つの手段として大きな家をお作りになった.家は住人の器の象徴なのですね.そう考えれば必要なことだと思えますよ.別に暴力をふるわれている訳ではないのですから.小作人の方々の顔つきを見ていれば分かります.皆抑圧されているようには見えませんでした.やさしいお父様ですね.」
「そう,そうなの!お父様とても優しい人なのよ!ところでヨシヒロは何をしている人なの?学者さんか何か?」
コレーは機嫌良く答えた.彼女は優しくも威厳ある父親を敬愛しており,小作人とも仲良くしていた.小作人もこの少女を親しみをこめて『お嬢』と呼んでいた.
「そうですねぇ.まぁ,学者というには未熟ですし.学者の弟子といった所でしょうか?」
「へー,きれいな帝都訛りだもんね.帝都から来たの?」
「いえ,海を越えて来ました.遥か彼方から・・・.」
「そっか.」
コレーはそれ以上聞かなかった.義弘が少し寂しそうな顔をしたからである.
壮大な門を通り,屋敷の玄関に入った.
「お邪魔いたします.」
家令らしき人に義弘はお辞儀をした.
「お荷物お預かりします.」
「はい,ありがとうございます.」
「失礼ですが.お腰の物もお預かりいたします.」
「わかりました.」
義弘はすべての荷物と腰に吊っていたナイフを渡した.
家令は恭しくそれらを受け取り使用人に指示を出して去っていった.
「ありがとうございます.ちょっと雨宿りさせてもらうだけのつもりがこんなにお世話になりまして.」
義弘はかぶっていたマントを取り去り,シャツにズボンという普段着姿で出されたお茶を飲んでいた.
通された応接間はリラックス空間であり,思わず寛いでしまい本音で語りたくなるようなそんな雰囲気の場所であった.
「いいのよ.なんかあんたの事気に入ったし.というかそんなこうしてたのあんた.なんで割とまともじゃない?」
「どういうのを想像してたんですか.ていうか気に入ったって出会って間もない人捕まえて,勘ですか?」
「勘よ!」
義弘は思わず吹き出してしまった.
「なんで笑うのよ!」
コレーが頬を膨らませてて怒った.
「いや,知り合いに似たような事をいう人がいるなぁって思いまして.」
「人って女の人?」
コレーは一瞬目を光らせて聞くと
「はい,そうですけどまた勘ですか?」
「ま,まあね.女は勘が鋭いっていうでしょ?それよ!」
「はぁ.」
義弘がコレーの剣幕に押されていると後ろのドアが開いて人が入って来た.
「コレーがこんなに素直に話をする人は初めてだよ.父親として喜ぶべきかな?
どうも,コレーの父親のヘリオス=ニールセンです.」
その男は口元に豊かな髭を蓄えていた.その容貌は温和そのものである.
「義弘前田です.お嬢様にはお世話になりまして雨宿りさせていただいています.」
「ふむ.雨宿り?見た所雨は降っていないようだが.」
ヘリオスが怪訝そうにしていると
「これから降るのよ.ヨシヒロがそう言ってたわ.」
「そうなのかね?」
「はい,そうですが.」
「何故,そう思うのかね?」
「それは・・・.(おい,IIS.雨が降るという予想の根拠を教えろ.最優先事項だ!)」
「・・・答えられないかね?」
「いえ,そんなことは・・・.(『積乱雲が南東15kmに観測され,北西に時速10km前後で移動していました.そこから一時間でにわか雨が降ると予測しました.』)」
「君は,もしかして『精霊憑き』かい?」
「いえ,そんなことはありません.私は・・・.(何て言えば良い?15kmの距離にある縦長の雲を見つけて,それがこっちに一時間くらいで付きそうなスピードでこちらに向かっていたからなんて言える訳がない.明らかに『普通』ではない.『異常』は排除される対象になりやすい.何かないか,何か.くそ!こんな事なら.どこか適当な所の軒先を借りれば良かった.)」
「・・・隠さなくていい.『精霊憑き』は帝都では奇異の目で見られるがここでは『精霊憑き』は珍しくないそういった差別とは無縁だよ.」
ヘリオスは気遣わしげに義弘の肩をたたいた.
「・・・すみません.(本当にすみません.うまく説明できないんですよ.主にこっちの都合で.)」
「あぁ,ゆっくりしていきたまえ.コレーちょっと来なさい.」
「はーい.」
〜ニールセン家書斎〜
「お父様.いったいどうしたの?」
「お前はあの男についてどこまで知っている?」
「何者って,天気に詳しい帝都訛りの海の向こうから来た旅人?」
「なるほど.これは何か分かるか?」
ヘリオスはコレーに古びた机と椅子を指し示した.
「何って机と椅子でしょ?」
「そう『机と椅子』だ.机と椅子の出てくる童話をしてやったことがあったろう?」
「それって『皇帝の贈り物』のこと?」
「そう.皇帝が一人の少年の才気を見抜き,その少年に机と椅子を送った.その少年はその後,名役人として辣腕を振るったという.」
「それがどうしたの?」
「それで『机と椅子』を送るというのは将来の成長を感じた相手に今後の成長の手伝いをしますという意思表示に使われるようになったんだよ.」
「へー.」
「それで,この机と椅子を良く見てご覧?」
「?普通だよ?絵がかいてあるけど.」
「その絵はね金槌だよ,これは職人の『組合』の紋章なんだ.我が家の家紋が麦とフォークのように.」
「ってことは組合さんに机と椅子をもらったってこと?」
「そういうことだ.」
「それってすごいの?」
「すごいなんて物じゃない.『組合』は帝国全土にその影響力を持っている.その『組合』が今後の援助を約束したんだ.それにこのナイフ.」
「ナイフ?」
「これはね『クローソのナイフ』といって工房の主の持つナイフだよ.」
「えぇ,じゃあヨシヒロは工房のマスターなの?」
「そうだねマスターを名乗る資格を得ていることは確かだよ.」
「すごいねー.」
(そんな彼が何故こんな農村に来ているのだろうか?)
ヘリオスがそんな疑問を持っていると屋敷の窓ガラスを雨水が打ち付け,雷が落ち始めた.
「ヨシヒロの予想当たったね.」
「・・・彼についている精霊はいったいなんなんだ?」
ヘリオスの困惑は深まるばかりだがそんなことを知りもしないで久しぶりに飲むまともな飲み物に感激しているヨシヒロであった.
やっと休みでですわ




