第2話 再入学と不良たち
十日ほどして、ティラはタルタニアに向かっていた。
懐はずしりと重い。バイト代と称した小遣いに、湧き上がる喜びを隠せない。
ティラの“コーティング”は非常に評判がよく、雨が降った日などは店に列ができたほどである。
新事業【梱包請負サービス】も後押ししたのも大きい。これは文字通り、“防腐・防湿”のコーティングを施した箱の中に、パッカーが鮮やかな手際で商品を包んでゆく、と言うものだ。子供たちはゴーレムの作業を見ようと、連日押しかけたほどだ。
完璧な仕事をするパッカーに対し。悪戯な大人たちは、どうにか失敗させられないかと画策した。
ある日、箱から飛び出すほどの卵を持ってきては、『これを箱内に納めてくれ!』と、無茶苦茶な要求をつきつけたのだが、
<カシコマリマシタ>
パッカーはいつも通り返事をするや、いとも簡単に箱に納めた。……だけでなく、何とおがくずまで入れ、更には箱にまだ入りそうなスペースを作るほど、完璧な仕事を見せたのである。箱はティラの“耐衝激”のコーティングが施されていたため、わざと衝撃を与えて卵を割る――などの小細工が出来ず、大人たちは追加料金を渋々支払わされた。(もちろん、裏でティラが指示していた)
そんなことも相まって、“コーティング&パッケージ”の話題は尽きることを知らなかった。
そして、タルタニア魔法学校に戻ってからも、二人は小さな話題となった。
「――ティラミア。もう次はありませんよ。
本校に戻ったからには、これまで以上に勉学に取り組みなさい」
「は、はいっ!」
教員室の応接室。久々に見る元担任・シャイアは相変わらず厳しい目をしている。……が、以前に比べてどこか柔和さが垣間見られ、肌つやも良くなっているように見受けられた。
しかし、今はそんなことを気にしている余裕はなかった。
彼女が受け持つクラスの中に、“ゴーレム操作術”は含まれていない。
なので、新たな担任と引き合わされることになっているのだが――。
(オークになりかけ……?)
それと顔を合わせるなり、ティラは真っ先にそう思った。
肌質が悪く、出っ張った頬骨が顔の輪郭をゴツゴツしたものに見せる。
ゴーレム関係に相応しいとも言える岩石顔であるが、ぶよぶよの顎がそれをミスマッチさせていた。服装からして女だが、『実は男だ』と、言われても驚きはしない。むしろそっちの方が納得できる。
目つきも悪い。新たな担任は、グロリア・ラックスと名乗ったが、ティラは顔を見つめたまま立ち尽くしていた。
「――何か?」
グロリアは低く抑揚のない声で、ティラをギロりと睨み付けた。
「あ、い、いえっ……へ、編入学することになったティラミア・レンタインです!
よ、よろしくお願いしますっ!」
ティラは胸の前で腕を交差し、すっと片膝を落とした。
それにグロリアは「ふん」と鼻で返事をする。隠しごとをしない人物のようだ。
「ティラミア・レンタイン、でしたわね。
あなた、聞くところによれば、“火球”の魔法すらロクに扱えないとか。
それで学校を去った……のに、そんな落ちこぼれがノコノコと戻って来た、だけでなく、何と次は私が受け持つ科に……ああ、なんて嘆かわしい。
しかも、ゴーレムはしみったれていますし。あなたが居る限り、我が“ゴーレム操作術科”の評判は上がることはないでしょうね」
「…………」
ティラは奥歯を噛み、ぐっと堪えた。
「ま、貴女のクラスはEです。明日から、そこで勉学に励みなさい」
「グロリア先生、そこは――!」
それにシャイアは何かを言おうとしたが、グロリアが目でそれを押さえ込んだ。
揺れ動く顎をしゃくり、退室を促される。悶々とした気持ちを胸に抱いたまま部屋を後にした。
寮は以前と同じく、エルメリアと同室となっているようだ。
しかしそこは、以前よりも心安まる場所になりそうだ……と、予感めいたものを感じていた。
・
・
・
その予想は当たってしまうことになる――。
翌日、指示された教室に足を踏み入れたティラは、『教室を間違ったか?』とまず思った。
教室が暗い。それは後ろの座席にいる女たちが原因である、とすぐに感じ取った。
(なるほど。隠れ不良の巣穴、ってわけね)
身なりは良家のお嬢様であるが、胸元を大きくはだけたあられもない姿をさらしている数名の女たちがいたのだ。
髪は染色し、耳には悪趣味なイヤリングをぶら下げ、頭痛がするほどの香水の臭いを振りまく。
中には両脚を机に乗せ、恥ずかしげにスカートの中を露わにしているのまでいた。
その姿に、衣食足りてとはいかないようだ……と、ティラは呆れかえった。
(花も恥じらう乙女も、親元を離れれば“おしべ”を求めるだけの女……親がこれを知れば、きっと卒倒ものね)
家では“お嬢様”を演じているのだろう。このような者は少なくない。
不良娘の人数は五名――他は真面目に通う善良な生徒が九名。残りは二十近い空席が目立つ教室である。教室を告げられた時、シャイアが何かを言おうとした理由が分かった。
悪貨は良貨を駆逐する。その悪貨は、新入りを値踏みするように眺めていた。
自分たちの近くに座るのを見て、彼女たちはあくどい笑みを浮かべ合う。
「ねー? なんか、おしっこの臭いしないー?」
両脚を机に乗せた女は、ティラに目を向けながら鼻をつまんだ。
周りの者はそれに同調し、汚い笑いを浮かべ合った。
すると、机に脚を乗せた女はティラの方に鼻を向け、すんすんと音を立て始めた。
「ねぇ貴女、ちゃんとアソコ拭いてる?
学校のトイレの紙ぐらい、しみったれず贅沢に使っても構わないのよ」
貧乏くさくなっちゃうわ、と女は顔をしかめると、周りも「こっちまで臭ってるー」と鼻をつまんだ。
それにティラは小さく息を吐き、目線だけを脚を乗せた女に向けた。
「――アンタから臭ってんじゃないの?」
「あ?」
「さっき入り口から見えたけど、クロッチに大きな楕円形の染みが出来てたわ。
尿漏れしてるんじゃないの?」
「う、嘘……っ!?」
女は慌てて脚をおろし、股ぐらに手をやった。
「嘘よ。そこまで見えるはずないじゃない。
お嬢様はそうやって、地に足着けた方が美しく見えましてよ」
ほほほ、とエクレアの口まねをしたティラに、女はギリッ……と奥歯を噛みしめた。
恐ろしい目で睨み付けるが、ティラは涼しい顔で頭を揺れ動かす。
(それで睨み付けてるつもりかしら?)
ドワーフの国王を前にした時の方が怖かった、と思っている。
誰かが「覚えておきなさいよ」と言ったが、ティラは「退学させられるほど頭悪いからね」と適当にあしらった。
女の恨みは蛇より深い、と言う。
出席している九人は気配を消して生活しているようだが、今日だけは存在すら消したいようだ。
担任のグロリアに紹介され、二限目の授業を終えた頃には三名早退した。
理由は至極簡単。ティラと不良女たちとのバトルが原因である。
授業中は舌打ちとゴミの投げつけ。中には魔法を、“水球”にした唾を放ってきた者もいたが、ティラは“水の盾”を使ってはじき返す――それが不良仲間に当たり、『目がぁッ!?』と悶絶して床の上を転げ回った。
そして、三限目の終わりにエクレアがティラを訪ねたことで、不良女たちの敵意はいよいよ本格的なものとなった。
「Eクラスと聞いて少々気にかかっておりましたが……まぁ、杞憂のようですわね」
「不良に憧れるお嬢様、ってとこね。正直、やること小さすぎて困っちゃうわ」
「私が留守の間に、パワーバランスが崩れたようですわね……三学年でも、似たようなのが増えてウンザリですわ」
「アンタがのさばったから、『私も思うままに行動しよーっと』ってなったんじゃないの?
ルール違反がまかり通れば、そこから腐っていくものよ」
「お、おほほ……それは多分ない、ですわ。多分……」
エクレアの目が泳いでいた。
髪はこれまでのように爆発四散したような頭をしており、服装も目が痛くなるほどの黄色いドレスに身を包んでいる。
だが、しばらくエルメリアの所にいたせいか、少し落ち着いた雰囲気が垣間見られた。
恐らくそれもあり、お山の大将争いが勃発したのだろう、とティラは予想している。
「――ところで、カルラさん見ませんでした?」
「いや? こっちに来てるの?」
「ええ。何やら貴女に言い忘れていたことがある、と仰ってましたが……先に食事にいらっしゃったのかしら」
そう言うと、エクレアはゲンナリした顔をしたので、ティラはどうしたのかと訊ねた。
「ラクアにいた時『ウンディーネはどこだ? ヌルヌルの体液をくれー』と探し周りましたの……。
ウンディーネ様も『妾にそのようなケはない!?』と、誤解を解くのと匿うのに必死で……」
それは、領主・ユリアやエルメリアたちが目の下にクマを作るほどであった、と続ける。
「アレをラクアに近づけさせない方がいいわね……」
「そうですわね……。ああ、近づけさせないで思い出しましたが、四限目は実技でしょう?
パッカーにあの不良娘たちを近づけさせないよう、注意してくださいまし」
「ま、碌でもないことをしそうね。格好の獲物だしさ」
「噂では、卑猥な落書きをしたり、部品を壊したり……それで涙した者が多いと聞きましたの」
また退学にならないよう気をつけて下さいまし、と言い残しエクレアは身体を翻した。
確かにその通りだ、と頷く。自身のことは構わないが、相棒のパッカーへの嫌がらせは我慢ならない。
目を離さないようにしなければ、とティラはパッカーの待つ実技教習用の教室へと足を向けた。
実技教習用の教室は、学科棟とはまた別の棟にある。
渡り廊下を渡ると、すぐに通常の倍はあろうかという高い天井が出迎える。それは天井だけでなく、壁も扉も大きく、ゴーレム用の教室だと呼んでも過言ではないだろう。
ティラたち一年の教室は最奥にあり、そこに向かう長い廊下を歩いていると――
「おー! いたいたっ! おーい、ティラー!」
静かな廊下の向こうから、ひたすら大きな声が響き渡った。
視線の先には、赤い何かがある……としか思えないのに、声だけは目と鼻の先にいるような音声である。
そのすぐ傍は、ティラが目指していた教室だった。
「あ、アンタどれだけ声デカいのよ……」
「あっはっはー! エルデルクはこの倍はあるからなー!」
「で? どうしたのよこんな所で……。
私たちならいいけど、ドワーフがエルフの巣窟に足を踏み入れ、ウロウロするのは好ましくないわよ」
「平気平気! 街中でも全員問題を起こさなかったから!
まぁそれはいいや。ちょっとお前に言い忘れてたことあるんだよ」
「エクレアもそう言ってたけど、いったい何なの?」
「前の修理ん時、パッカーに“悪戯防止装置”つけてたんだけどさ。
そこに搭載した生卵、定期的に交換して欲しいんだよ」
「は、はぁっ!? な、生卵って何よ!?」
ティラは指を折り、最後のメンテ日から今までの日数を数えた。
搭載箇所は腰だと言う。確かに、腰部に何らかの“穴”ができていた覚えがある。
知っていれば“防腐”のコーティングをするが、知らなければ当然していない。
「ま、悪意を持って近づいたりしない限り、多分平気だから! じゃ、確かに伝えたぞー!」
「ちょ、ちょっと!? そんな機能いらないから外し――」
風のようにビュンと駆けたカルラに、ティラは「んもう!」と地団駄を踏んだ。
そんな物はすぐに外さねばならない。どこにあるのかパッカーに聞いて……と考えながら、教室に入ると――入れ替わりに六人のクラスメイトが飛び出し、そこから流れ出た強烈な腐臭に、ティラは強く顔をしかめた。
「な、何よこれ……!?
お、おぇっ……パッカー、いるの?」
教室の中は、目も開けられないほど臭い。
まとわりつく悪臭を手で払いながら、薄目で相棒を探した。
<イラッシャイマセ>
その中心地にパッカーがおり、ゆっくりとティラに歩み寄ってきた。
『悪戯防止装置が作動しました』
パッカーが黒い面を向けた先に女が一人、白目を剥いたまま横たわっていた。
「腐った生卵のパック――殻付きとは斬新な美容方法ね」
その手には、黒いペンを握り締めている。
ティラは鼻をつまみ、くぐもった声で『貧乏くさくなっちゃう』と言い捨てた。




