人狼⑤
翔の叫びが、嘆きが、マンションに巣食う狼を喰らい尽くしていく。小さく隠された呪いも全て。
「ルゥ、やれば出来るじゃない」
佳子の声を聞いて翔が滑る様に、移動して来る。そして片膝をついた。
「大丈夫か?」
「落ち着いた?」
「少し。なぁ、質問に答えろ。大丈夫か?」
「ん……。骨もいってるね。でも動くようになるよ」
「そうじゃないだろう!!」
翔は佳子の肩に触れた。彫刻刀がはえている。流れる鮮血は翔の渇いた喉を焼いたが、それよりも血が失われていく身体を心配した。このままでは佳子の身体が死んでしまう。離れる事は何よりも怖ろしい。
「人狼の呪いは?どうなんだ!」
「…やっぱバレるかぁ」
「なんで、隠せると思うんだ…」
人狼は、大城夕夏ではない。夕夏は人狼の呪いを受けた人間でしかない。本物の『人狼』は呪いを生んだ、益川菜々美だ。
佳子はその手から攻撃を受けた。
「普段なら呪いもこんな攻撃も軽くいなしてやるんだけどね」
佳子は戯けて言う。息は、荒い。
「佳子、佳子っ!」
「ごめんね、可奈。大丈夫だから」
「全然大丈夫に見えないよ〜…。佳子ごめんね、ごめんね」
可奈は泣く。恐怖で涙が溢れてくる。混乱に塗り潰された頭で佳子を心配する心だけがこの場に踏ん張る力をくれる。
そんな可奈を見て徹也も身体に喝をいれる。
「そうだ!救急車、呼ぶよ!」
「じゃあ大城さんの呪いを解かなきゃ」
佳子はぐったりとした大城夕夏の側に行った。気を失っていて、先程の獣の様な姿ではなく、本来の夕夏の体型に戻っていた。しかし、ボロボロなのは変わらない。
「無理をするな」
「んー。少しだけど、力は戻ってきてるから」
ゆらゆらと、翔の羽はまだ揺れている。危惧、憂慮、沈痛、無力感。激しい怒りと殺意。そんな心と共に揺れる。
破壊しか出来ないならば、せめて相手を滅する事が出来ればと思わずにはいられなかった。
佳子はその気持ちを知りながら、言う。
「大丈夫!」
佳子は夕夏の隣に座った。頭を優しく撫でる。ゆっくりと夕夏の全身が光りに包まれていった。
「宝具は無いし、力も不完全だからもどかしいね」
光りが夕夏を癒やしていく。歪になった肌を滑らかにして、爪が剥がれた指の血がとまる。ボサボサは落ち着いたが、白髪は戻らないようだった。
ふぅ、と佳子が息を吐いた。直ぐに翔が側による。
「これは抜かなくていいのか?」
翔は彫刻刀を指して言った。触れるのは躊躇われた。
「抜くと逆に危ないかな。ルゥほど回復力は無いし、やっぱ力が無いのは不便だね」
吸血鬼の力はその身の内で発揮される。驚異的な再生回復力、怪力。黒い霧も身体の一部といえる。服に変えたり、翼にして飛んだり、従者を作ったり。身体を動かすエネルギーだ。
しかし、仙女の力はいわば電気だ。宝具と呼ばれる道具を使う為にある。宝具があれば、壁を直したり、呪いをつけたり外したり、半死半生の怪我だって治せた。しかし、今は知識だけが佳子の武器だった。
「わかってるなら無茶するなよ…。頼むから」
「はーい!そうだ、ルゥ。そろそろ力を抑えないと救急車来れないよ」
翔はため息をついた。佳子の説得は難しい。辺りを覆う黒い霧が晴れていく。怒りの感情を抑えるのはまだ難しいが、力を抑える事は出来た。羽も鎧も仕舞って、空は夕暮れに染まった。世界が光を取り戻す。
雲の隙間から光線が注いでいるのが見える。あれは天使の縄梯子。
「可奈、徹也君。ごめんね…。菜々美先輩は諦めてね」
佳子は悲しげに呟いた。けれど。誰もが分かっていた。ヒステリックに叫ぶ声はまだ二人の脳にこびり付いている。
彫刻刀なんて物で人を刺せる事も、年下の女の子に呪いを植え付ける事も、たかだか好きな人と仲良くしているくらいで殺意を懐く事も。もう、人間の出来る事じゃない。
益川菜々美は、自らの呪いに取り殺されたのだ。
遠くで救急車のサイレンが聞こえる。
誰も彼もがボロボロで、何も言えなくなっていた。
音を聞きつけた野次馬達が見た物は、抉れた道路と壊された壁。そして。血や埃に塗れた、4人の子供達だった。
人狼の呪いはまだ佳子の体内を燻り、満身創痍ですが、人狼の話はこれにておしまい。




