第二話(第四十五話)
「……正直に言うと、私は貴女とはもう戦いたくないです」
そう言ってエリンは紙ヒコーキをそっと宙に押し出し、カルナに飛ばして返した。
「じゃあ、その刻印黙って寄越してくれるのか?」
カルナは宙を滑ってきた紙ヒコーキをくしゃりと掴み、そして燃やした。役目を終えた果たし状は一瞬で灰となり、風に散った。
エリンは首を横に振って否定する。
「私の倒すべきは貴女じゃないからです」
――あたしは眼中にないってか。
「あんたにその気がなくてもあたしにはあるんだよ!」
エリンは少し悲しそうな顔をする。
――ふざけるな。
今のお前にとって、あたしは取るに足らない存在かもしれない。だが、こっちはそうじゃないんだよ!
もう負けたくない、逃げ出したくない……!!
「――分かりました」
そうだ、それでいい。
「ですがその前に……少し私の話をしてもいいですか」
反射的にふざけるなと言いかけたところを既で飲み込んだ。
いつも人の輪から外れて隅っこにいるあぶれた子。そんな彼女をカルナは少しだけ自分と同類のように見ていたこともあった。いや、その普段からのぽわっとした熱量の無さから、同類どころか下に見ていた。年齢とかそういうことではなく、人として。
それが……どうしていきなり、あんなに強くなった。
レミを――大切な人を喪ったからなのか? 自分はセラを喪っても強くなれる気なんてしない。むしろもう生きていられないかもしれない。
――奴が強くなった理由が知りたい。
「好きにしろ、待ってやる」
では……とエリンは話はじめた。
「私は物心ついた頃から、なぜか他人に興味が沸きませんでした。
親や大人たちの言いつけは守りましたし、言われたことは大体はちゃんとやっていました。けれど家族のそれぞれひとりひとりにはあまり興味が沸きませんでした。両親、その他も皆良い人ばかりで、きっと恵まれていたはずなのに」
まるでカルナと真逆の境遇だった。物心ついた頃には既に家の中では誰もまともに取り合ってくれなかった。実母と最後に会話をしたのなぞ、何年前かわからない。幼心ながらに誰かに構って欲しくて、必死に言葉を覚えた。結局それはセラに出逢うまでは何の意味もなさなかったが。
心に込み上がってくる何かを抑えながら、カルナは黙って続きに耳を傾けた。
「歳を重ねていってもそんなだった私が、最初に心を許したのはレミでした。彼女はそれはもう、よくも飽きずにしつこいぐらいに私に関わってきて……気づけばとても大切な人になっていました。
――そして二人目はアルト。
偶然私のお気に入りの場所で出会い、初対面の人間と初めて何かの波長? があったような、そんな気がして……それがそのまま初恋となりました」
「……惚気話するならもう終わってくれねーか?」
ここにきてカルナは話を遮ってチッと舌打ちした。唐突に始まった恋話にはさすがにイラッときた。
「すみません、ここからが本題なのでもうしばらくお付き合い願いします」
不服そうにしながらも、カルナは握りしめた拳を収めて続きを待った。
「そんな二人の大切な人ができても……私のそれ以外の他人への無関心は変わりませんでした。
二人共がいないときは、結局以前と同じように風とお話をしていました。――これ、やっぱり意味が分からないですよね。でも、その言葉の通りなんです。
私は小さい頃から、風と言葉を交わし遊ぶことが好きでした。まだ風の適性が判る前からです。
普通の子供が親や、家族や、友達と話すようなことをずっと一人で風に話かけていたのです。たった一人のごっこ遊びのように。傍から見たら、いつもぶつぶつ独り言を呟いている頭のおかしい子だったでしょう」
カルナにも覚えがあった。何もない外に向かって彼女が何か呟いている姿。その時はただ寂しいやつとしか思わなかったが……。
「やがて私は風の適性を発現しました。すると、今までと同じように風とお話をしたら、何か応えてくれるようになったのです。それまではなんとなく聞いてくれている気はしていたけれど、実際独り言に近いものでした。はっきりと言葉が返ってくるといったわけではないのですが、話し掛ければその返事が感じられるようになったんです。
余計に風とのお話は楽しくなりました。同時にレミとアルトと話したり遊んだりすることももちろん大好きでした。二人のことも大好きで、二人のことはよく分かっているつもりでした。――それは本当に酷い思い上がりでした」
淡々と話していたエリンの表情と声に、ここで翳りが現れた。見計らったかのように冷たい風が通り過ぎ、肌をなぞる。
「知っての通り、私とレミはあの弔式の前日にも十四番に襲われました。その時は一撃だけ、強烈な雷を撃ち込まれました。ですが、ぎりぎりでレミが相殺してくれてそのまま十四番は逃げていき、私は一旦は助かりました。――そしてその後……私はレミに告白されました」
……ん?
「そのままの通り、愛の告白です。ずっと私が好きだったと。
そんな意味で愛されていたなんてまったく気づきもしませんでした。だってレミは今まで私の初恋の惚気話さえ、にこにこして聞いてくれていたんです。
――そしてその翌日、私が答えを出す前にレミは死にました。それが悔しくて、悔しくて堪らないのです」
話の内容を飲み込むのに少し時間がかかった。
(――あぁ、そういうことか。でもそう珍しいことでもないんじゃ。ラスタたちなんてあたしでさえ見てればわかる)
一息おいてからエリンは話を続ける。
「レミが死んだことは本当にとても悲しいです。ですがそれ以上に……レミという一人の人間を、最も近くにいた大事な人を分かったつもりで何もわかっていなかった自分が、自分が情けなくて、情けなくて悔しかったんです!」
悲痛な感情を曝け出すように、語気が乱れた。ここ三日間、行き場を見つけられず燻っていた感情をぶちまけるような、心からの叫びが漏れ出ていた。
「……すみません取り乱しました。結局私は数少ない大事な人のことをまるで分かっていませんでした。――いえ、いくら仲が良くても、心の内のすべてまで分からないこと自体は、当たり前かもしれません。ですが、私はそれを『分かったつもり』になっていた。
――それが悔しくて、許せないのです」
何も言えない。
自分とは正反対な境遇のはずなのに、カルナにはなにか心に突き刺さるように感じられた。
(あたしは……欲しかったのに……家族からは居ないようなものとして扱われて、がんばって友達を作ろうとしても全部失敗して……。だからこいつとは、本当に正反対なはずなのに、どうして自分のことのように痛むんだ……?)
「レミが死んだあと、私はずっと考えていました。何がいけなかったのかと。……結局、あの二人と以外はほとんど風とばかりお話していたからなんですよね。
風と話をするのはやはり楽しいし、それをしてきたこと自体は後悔はしてません。ですが、私が人であり、人の中で生きていく以上……もっと他人を見るべきだった。風だけではなく、他人に興味を向けるべきだった。
レミとアルトがいるから、そして風がいるから。
――そんな言い訳をしてそれ以外の誰のことも知ろうとしなかった、関わろうとしなかった。だから大事な人の気持ちにも気づけず――いや、気づけずとも、分かったつもりになんてならなかったんじゃないか。もっとたくさん人と接していれば、人の心はそんなに簡単に分からないという、そんな当たり前のことぐらい分かったはずだ!!」
涙を零しながらの心の叫びだった。
――わかった。
あたしは皆に拒絶されたから、また拒絶されるのが怖くて逃げ出した。拒絶されるぐらいならこっちから願い下げだと、自棄になって暴れた。
こいつは逆に、たった二人の友と風の存在に満足して何もしなかった。拒絶されて拒絶した自分。満足して何もしなかったこいつ。本当に真逆だ。
だが、同じだ。こいつも自分も、それぞれ特定の僅かな相手とだけで自分の世界を完結させていた。理由は真逆でも、嵌ってしまった土壺は同じなんだ。
そしてこいつは大事な人を喪って、やっとその愚かさに気づいた。
なら私は何を失う?
――セラしか思いつかない。
あたしはこいつと違って、セラのことが分かっているなんて思っていない。というか、アイツは普段から何考えてるか分からんことのが多い。その癖こっちのことはなんでも見透かしてやがる。
ここに来る前、こんな状況であたしなんかとつるんでて本当にいいのか? と再び聞いた。実に三度目。
するとアイツも再び「私は姐さんを信用して信頼してますから」「私は最期まで姐さんの味方ですから」とかこっ恥ずかしいことを顔色一つ変えず、平然と言ってのけやがった。本当に何考えてるかわからん。
――けれど。
アイツがあたしの癒やしであり、安息であり、居場所であること。これは誰にも曲げようがない事実だ。
エリンは喪ってから大事なことに気づいた。
あたしはまだ……失っていない……!
「ごめんなさい、取り乱しました……」
頬を伝い落ちた涙の跡を拭い、エリンは話を再開する。
「聞いてくれてありがとうございます。どうしても誰かに聞いて欲しかったのです。ですが……私は友達がいませんので」
そういって彼女はにこりと苦笑いをした。
(あぁ、お前の気持ちはよく分かった。だからこそ、あたしだって敗けるわけにはいかない)
「私はこの一連の儀式が終われば、できるだけ多くの人たちと話して、できれば友達になりたいと思っています。……こんな事態のあとで、今まで他人に無関心だった私に簡単に友達なんて、できるか分かりませんけれど」
そして柔らかな微笑みを浮かべ、二本の指でシュッと宙を払って風を起こした。
「風さん、私を包んで。赤子を抱える様に柔らかに。子を護る親のように強かに」
ただ旋風を自身の周りに纏っただけのこと。
だが、気の所為かもしれないが、カルナにはその風から何か優しさのようなものが感じられた。
「これ、言霊っていうらしいですね。……先ほど言った通り、小さい頃からずっと風とお話していたら自然と身に付いていたんですよね、これ。
ですが実践的な使い方を――それ以前に人前で使ったことすらなく、あの日は咄嗟に使うことができませんでした。
今は昔レミが探してきてくれていた古書を引っ張りだして読み返し、付け焼き刃ですが実戦的な使い方も学びました。
私はこれが終わったら、一人でも多く友達を作りたいです。ですが、今はまだその時じゃない。先にやるべきことが私にもある。だから……今の私に残された最後の、唯一の友達の力に頼ります」
エリンを覆う風の優しい雰囲気が一変し、鋭さを増した気がした。
――あたしだって敗けられねぇ!!
あたしは……大切なものを失う前に、あたしはあたしを乗り越える。
「友達作りする前に、消し炭にならないように気をつけるんだなぁ!!」




