第一話(第三十五話)
「あーもうわけわかんねぇ!」
カルナは煙管を壁に投げつけた。お気に入りだったはずのその煙管は壁に弾き返され、ぽっきりと二つに折れて床に投げ出された。
「十四番どころか共犯者ってどういうことだよ!!」
これまでの経過を頭の中で整理しようとしたものの、苛々が止まらず纏まらない。その感情のぶつけ先もなく、余計にカルナは苛立っていた。
昨夜のラスタの大立ち回りは既に彼女の母によって、その詳細が全ての関係者に知らされていた。もちろん十四番の共犯者の存在についても。
「さっさと終わっちまえばいいのに……終われよ……」
――疲れた。
そもそもそこまでして正妻なんぞになりたいなんて思わない。正直もうアルトのぼんぼんもどうでもいい。
カルナは相変わらず冷たい木の床に寝転がって天井を仰いだ。苛々が落ち着いてくると今度は疲労感、そして不安が心の表層に満ちてきた。
だが、すぐにその感情は何処かに流れ消えることとなった。先程からしばらく、床に正座したまま黙って何か考えごとをしていたセラが唐突に、とんでもないことを口にした。
「――姐さん、私がやりましょうか?」
(ん、何を?)
「姐さんがそんなに今の状態が嫌なら……私がさっさと終わらせてきましょう、と言ったのです」
セラはいつも通り、カルナにだけ見せる穏やかな微笑みを湛えたままそう言ってのけた。
――一体何を言っているんだ?
「いや、何言ってんの、それってつまり、どういうことだよ」
「私が十五画揃えてこの茶番を終わらせます」
顔は微笑んでいた。だがその目は笑っておらず、真剣そのものだった。カルナにはわかった。これは本当に、本気の目だ。
「だって姐さん、怖くて、不安で、日々怯えるのが辛いんでしょう?」
心の内の痛いところを突かれた気がした。
(怯え……? あたしは……怯えているのか……?)
「何日も何日も気の休まらない日々が続き、それは終わるどころか不安要素が増える一方。このまま戦々恐々とした日々が続くと思ったら、私だって恐ろしくて堪りません」
(――あぁ、それは恐ろしい、怖い、冗談じゃない)
「姐さんのストレスもそろそろ限界でしょう。だったら私がもう、さっさと全て終わらせてきます」
……いやいや、いきなり何故そこまで話が飛躍する? そんな簡単に終わらせられるものなら苦労しないだろ。それをあたしのストレスを取っ払う為にするとか、何馬鹿なことを言っているんだこの子は。
「そもそもまず何する気なんさ。そんなさらっと終わらせられるもんなら誰も苦労しねーだろう……」
はい、と彼女はカルナのほうを改めて向き直って続ける。
「ですから私の打てる手、その手段のすべてを用いて終わらせてきます」
――これはマジだ。大マジだ。
普段はあまり見せないが、芯の強い彼女が一度こうなると誰も曲げることなんてできないことは知っている。
……待て、今、すべての手段とかなんとか言ったよな?
「おまえ……人を殺す気か?」
「――もし必要とあらば」
セラは穏やかな表情のままさらり言ってのけた。背筋がぞわりとした。
――違うそうじゃない、あたしはそんなこと望んでない。
セラは優しい。普段はあたしに引っ付いているせいか一緒くたに敬遠されることもあるが、あたしと違って他人を気遣える、本当に優しい娘だ。そして、こんな出来損ないの不良娘と違ってあの娘はとても頭がいい。才女だ。そんなよくできた娘に好かれ懐かれている自分は幸せ者だ。
だというのに。
こんな時までも、すべて任せっきりでいいのか?
しかも、その手を血で濡らすことも有り得るというのに。さらに言うならその血は顔見知りのものかもしれないのに。
いつも迷惑ばかりかけて世話ばっかり焼かせているが、あたしはこれでも一応は姉貴分だ。少なくともそのつもりだ。自分の手を汚さずに、こんな良い子に汚れ仕事を任せていいのか? この心の根から優しい娘に。
「……やめろ」
カルナは強い語調で一言そう言って起き上がり、セラのほうを向いて座り直した。そして真っ直ぐとその瞳を見つめた。
揺るがない本気の眼。それを止めるにはもうあたしが腹を括るしかないのだろう。
「アンタはやらなくていい」
そして一呼吸置いて気合をいれ、続ける。
「――あたしが自分でやる」
自分でも一体何を馬鹿げたことを言っているんだと思う。――でもセラ、アンタよりマシだ。
セラはその穏やかな表情を少しだけ曇らせたように見えた。
「いえ、いいんですよ、わざわざ姐さんがやらなくても。いつも通り昼寝でもして待っていてくれれば、その間に終わらせてきますから」
「アンタだけにこんな汚れ仕事させられっか」
「ですが……」
「それに、だ」
カルナはまた一呼吸おいて、自分に言い聞かせるように、力強く言った。
「あたしはアンタの姉貴分だろ?」
こうして里一番の利かん坊で一番の臆病者は、引き返せない道への一歩を踏み出した。




