第五話(第三十四話)
十四番は今まで印持ちを惨たらしく殺してまわっていた。だが、ライラのときだけはそうせず、刻印を宿した左手のみを持っていった。それは何故か。
ラスタには前日のレミたちへの襲撃の後から、気に掛かっていたことがあった。二画ですら強力な刻印、それを十画もその身に宿しておいて、反動はないのか。エリンから十画と聞いたときから疑問に思っていた。
おそらくその通りだったのだろう。
レミとの激しい戦いではきっと刻印の力をかなり引き出していたはずだ。その後、使い過ぎた反動があり、ライラのときは慎重になった。だから直接刻印を奪うことはせず、それの刻まれた「手」だけを切り落として持ち帰った。それを氷漬けにしてでも保存し、いざというときの切り札として取っておくことにした。そう考えると辻褄が合う。
その予想を根底に置いて作戦を立てた。この確実な根拠が何一つない推察自体が検討外れであれば、死に直結する賭けだった。
結果として、その推察は正しかった。ぎりぎりではあったものの、その賭けには勝てた。
幾重にも幾重にも策を重ね、言葉で煽り、より敵の意識が攻撃的になるように誘導する。そしてできる限り多くの力を使い続けさせる。問題は奴の身体にガタが来るのが先か、こちらの策が全て破れて詰むのが先か。できれば途中の策のどれかに嵌って終わって欲しかったが……やはりそうはいかなかった。
だが、最終的に賭けには勝った。本当に既のところだったため、正直死を覚悟した。心の中で先にライラに謝りもした。けれどその最期の一撃は訪れなかった。奴の限界が先に訪れた。これで勝った。――はずだった。
ラスタは今、自室の寝台の上に、体中あちこちに、ほぼ全身に包帯を巻かれた状態で寝かされている。薬を塗りたくられて療術も受けて、とりあえず処置は一通り終わっていたが、全身の至るところがまだひりひり、ずきずきと痛む。本当にその身体はぼろぼろだった。
今となっては、なぜ動けていたのかラスタ自身にも分からなかった。十四番に化物呼ばわりされたのも当然かもしれないと思う。
あの戦いの最後、ラスタは勝利を確信し最後に刻印を奪い取ろうと――まずは刻印を剣先で傷つけ、それで駄目なら本当に腕ごと切り落としてやるつもりだった。
だが、地べたに崩れ落ちた黒衣に向かって歩みを進めだしたとき、何かがラスタの身体に突き刺さった。限界を越えた先に勝利を確信し、ようやくささやかな安堵を覚えた直後の凶弾だ。さすがにもう、意識が持つはずもなかった。
ラスタの母曰く、戦場となっていた領域の外から現れた第三の術者が、小さな氷の刃を打ち込んできたらしい。そして術者は――こちらも頭まですっぽりと黒布で身を包んでいて、顔も分からなかったそうだが、それ以上ラスタに手を出すことはなく、十四番だけを抱えて何処かに消えていった、と。
――なぜそれを母が知っているのかと訊くと、そもそも戦いの始まる前からずっとラスタのことを見ていたらしい。
ラスタの母は光と風の奇術師と称される風変わりな天才だ。光と風の術の扱いに非常に長けているが、その能力をとても特異な形で、突拍子もない発想によって使う。ラスタの「霧の虚像」も母譲りの技を応用したものだった。
その他にも遠くの景色を――並の視力では識別できないほど遠くの景色すら、光の力で視ることもできる。その原理はラスタにもさっぱりわからなかったが、里の者たちには千里の目などと呼ばれている。同じく風の力を通じて遥か遠くの音を、声を、会話を拾うこともできる。これも千里の耳などと呼ばれている。
千里をも見透かす目と耳の持ち主。それは尊敬もされたが、それ以上に恐れられた。いつどこで何を見られて、何を聞かれているか分からないからだ。本人にそんな気がなくとも周囲の人々はそう思ってしまう。それ故、優れた術者でありながら多くの人々に敬遠されていた。奇術師という異名も正統派の術者でないことに由来する。
そんな母故、ラスタがこっそり屋敷を抜け出したところで既に気づいていて、一連の戦いもすべて観ていたそうだ。
ラスタは母に尋ねた。助けよう、もしくは止めようとは思わなかったのか、と。
「我が子が自ら決めたここ一番の正念場に、水を指すのは無粋よ」
決して蔑ろにしていたわけでもなく、愛情をもって育てた娘が自ら死線に身を投じたというのに、こうも言い切れる。そんな母には本当に、一生敵わないとラスタは改めて確信した。
それはともかく、結局十四番の正体はわからないまま。それどころか奴を助けた何者かが出現した。
ラスタの母の千里の目も遮蔽物が多いと追跡は困難であり、千里の耳も風を頼りにしているために制約が多く、林の中に消えていった影を追うことは出来なかった。
もっとも、その時はそれどころではなかった。ここまで手を出さず見守っていたとはいえ、彼女も一人の娘の母。戦いを終え、満身創痍で気を失った娘を放って敵を追う選択肢などなかった。
結局ラスタのこの死力を尽くした戦いは骨折り損で終わった……という訳でもない。
まずは、やはり十画もの刻印を行使すれば体に相当な負荷がかかることが確認された。最終的に十五画も集めることを求められているわけだから、勝者を目指すなら刻印の力の制御に慣れる必要がある。その負荷も乗り越えるべき試練ということなのかもしれない。
そして二つ目。
ラスタは自身の左手を改めて確認する。五画の刻印がそこには刻まれていた。
彼女は刻印を譲りも譲られもしておらず、最初に貰ったままの二画のみで戦いに挑んでいた。どうやら戦いに決着がつく寸前に剣撃で傷を与えた箇所の刻印が、全て流れ込んできていたらしい。つまり本人の命まで奪わずとも、刻印のみを直接害することで奪うこともできるということだ。
もっとも、あの時は相手も満身創痍で敗北を喫する直前だった。以前のナルザとサリャの戦いのときの「相手を屈服」させる定義のように、この場合にも奪うためには条件があるのかもしれない。
――それにしても。
収穫は確かにあったが、それ以上に悔しかった。
命は繋いだ。が、ライラとの思い出の数々を大量に消費した。それにその結果、代償として得られたはずだった、仮面の下の素顔を確認する絶好の機会を取り溢してしまった。刻印をどうにかすることばかりに意識をとられてしまっていたが、真っ先に仮面を剥ぐべきだった。
(大きすぎる失態だ……)
結局、声はやはり聞き覚えがない。あの声であんな話し方であんな一人称を使う輩に心当たりは一切ない。あればすぐに分かる。あれだけの死線をくぐったというのに、奴の正体には一歩も近付けなかった。悔しさと自らの失態に対する怒りでつい唇を噛み締める。
「お客さんよ」
母の声と共に、引き戸が開いた。
「ラスタ……!」
そこにいたのはライラだった。手先のない左手は相変わらず包帯でぐるぐる巻にされて首から吊るされていた。
「ラスタ……」
再びそう呼びかける彼女の目から、あっという間に大粒の涙がぼろぼろと零れ出す。
「ちょっと、どうして……イタッ」
慌てて起き上がろうとしたものの体のあちこちが痛み、思わず声を出した。
「ラスタのバカ!!」
涙で顔をぐちゃぐちゃにしたライラは、寝台の上でまだ起きられずにいたラスタに抱きつくように覆い被さった。
「こんなにぼろぼろになって……」
「いや、その、えっと、あんたに比べたらこれぐら……」
「バカ!!」
張り裂けんばかりの涙声に遮られる。
「自分がどんな状態か分かってるの? おばさんがすぐに運んできてくれなかったら死んでたんだよ!?」
「いや、下手したら死んでたのはあんたも同……」
キッと睨まれてラスタは口答えを諦めた。今のライラは初めて見る顔をしていた。
「……ごめん」
それを聞いたライラはそのままラスタの胸に顔を埋めてワンワンと泣き続けた。部屋の入り口の方を見ると母の姿は既になかった。
――やっぱり敵わないなぁ……。
泣きじゃくるライラの頭を優しく撫でながら、ラスタは囁いた。
「ごめん、もうこんな危ないことしないから」
「……ほんとに?」
胸に顔をうずめたまま、ライラは自然と上目づかいに問い返す。それにコクリと頷いて肯定する。
「本当だよ。もう、ずっと一緒だから……」
そしてライラの頭をそっと撫で、その背を優しく両の腕で抱きしめた。




