第四話(第三十三話)
十四番は縁の欠けた仮面の下で怪訝な顔をしていた。
(――何を言っているんだ?)
罠はほぼ潰したはず。とっておきとやらも焼き尽くした。だのに、この状況で奴は笑いを溢した。まだ何か策があるのか……?
――まぁいい。
これさえ当たれば終わりなのだから。
浮かべた光球に攻撃を念じる。今度は面を制圧するような雨ではなく、一撃一撃、強く、重く、矢のように直接狙い撃つ。獲物はそれを避け続けるが、もうその身体は満身創痍にも程がある。
(よくまだあれだけ動けるものだ)
昨日の獲物も自分の雷で自分の身体を動かすとか化物じみた芸当をやってのけていたか。何がこいつらをそこまで動かすのか。なぜそこまでやれるんだ? のうのうと陽の下で生きてきた癖に。
――まぁ、そんなことどうだっていい。やることは変わらない。
奴は満身創痍で風の力を借りて辛うじて回避行動を取っている。故にその動きは大ぶりで、全て読みきれる。戦いの中、一番無防備になるのは跳躍からの着地。今狙い撃っている光矢を避けるには風の力を使いつつ、素早く、一瞬で飛び退く必要がある。その回避後の着地は今となっては無防備以外のなにものでもない。そこにこの一撃を撃ち込んで……終わらせる。
詰みまであと数発。奴はもうオレの予定通りにしか動けていない。そして弓を引き絞り、今まさに必殺の一撃を放とうとした瞬前。奴は立ち止まって左腕で光矢を受け、呟いた。
「なぁ、寒くなってきてないか」
……また何を、二回も何を言っているんだこいつは。
そういえば確かに足元から少し冷え込んできている。
――だから何だ?
再び光の矢を数本撃ち込むと奴は再びそれを回避し……今度こそ予定通りの場所に着地した。
「穿て」
必殺の一撃は予定通りに放たれた。そして狙い通りの位置に命中し、獲物を貫き、土煙をあげた。――はずだった。
「――!?」
土煙が上がっただけだった。標的に当たった手応えがまるでない。人の身体を撃ち抜いた気配がまるでしない。
「――だから言ったろ」
背後からの声に咄嗟に振り向く。
「寒くなってきたってな!」
振り下ろされた剣撃を咄嗟に弓で受け止めた。弓の弦に鋼の刀身が食い込む。必死に力を込めて耐えていると、急にスッと手応えが消えた。前によろけて倒れそうになったところをなんとか堪える。奴は地面を蹴って後ろに下がり、既に距離を取っていた。
「死に損ないがぁ!」
前方に光矢を放つ。瞬発的に拵えたので威力は低いが、とにかく奴に一撃を加えたかったので、速さを重視した。
しかし、手応えはない。放った閃光は奥の林に呑まれていった。
――何がどうなっている!?
確かに今の一撃は命中していたはずだった。それが何故、掠りもしていない。さっきの弓の一撃だって、当たらないどころかいつの間にか背後を取られていた。
(駄目だ、考えるのは後だ。とにかく今は奴の動きを止める)
再び宙に光球を浮かべようとしたところで殺気を感じ飛び退いた。
「よく避けるじゃないか」
再び背後を取られていた。一体何が起きているのか本当に分からなかった。ついさっきまで、完全な優位を取っていたはずだったのに。
今、その足元は崩れ去っている。
「ちょこまかと!」
両手で八本の光矢を放つが当たった気配はない。光球を浮かべている隙はない。あれは発動させるまでに若干時間が要る。
(まだ慣れていないが炎に頼るか)
風使いには雷も炎も防がれてしまう。しかし、炎であれば――爆炎であれば足止めぐらいはできるはず。少しでも足止めできればいい。
ともかく光矢を撃ち続ける。ありったけ、最速で。だが、それを満身創痍なはずの身体で奴は全て避けきる。コイツも化物か。
――ここだ!
奴の眼前に小さな火球を作り出し、爆散させた。
(直接体内を燃やせれば楽なのにな)
動きが読めない以上、光弓は使えない。そもそも先程、迂闊にも弓を損傷させてしまった。この弓はそれ専用の特別製――エルの家に眠っていた骨董品だ。それ故、深く傷がついてしまってはおそらく使い物にならない。光球は浮かべて攻撃に転じるまでは若干の間が生じる。直接の光矢さえなぜか当たらない。そして奴は気づけば消えていつどこから襲ってくるかわからない。
――考えろ。
あの女に対して優位に立てるのは、まずこの圧倒的な刻印の数の差。術の威力も持続力も圧倒的だ。そして多種多様な全属性の術技。刻印があるからこそ扱い為せる多技。加えて最も得意な光術は奴にも防ぐ術がない。小さく細い光矢であれば、何よりも早く撃ち出せる。
奴が優位に立てていた条件の罠はほぼ残っていないはず。なら、もう既に勝敗は決したも同然だったというのに、何故だ。何故、奴は未だ倒れない。根性だとかそんな話なのか? あの身体で何故そこまで動ける?
しかも、今、あきらかにその動きはおかしい。風の加速なんてものでは説明がつかない。
「くっ……」
再び死角から繰り出された剣撃をぎりぎりで回避する。
――何故ここにいる。
爆風で足止めしたはずの奴が再び背後から斬りかかってきた。心の焦りが加速する。
――何故だ! 何故だ! これはどんな手品だ!!
光矢、雷矢、火球、風刃。――とにかく物量で押すために素早く放てる術技をがむしゃらに、片っ端から全方位に打ち放つ。けれどその甲斐もなく、奴は思わぬところから剣撃を振り降ろしてくる。
――落ち着け、冷静になれ。
目視では駄目だ。だが耳を澄ましても奴の使う風の音が方向を惑わす。かといって、「気」を追おうとしても掴みきれない。互いに術で力を使い過ぎたために、この場の力――気が乱れに乱れている。罠が多数炸裂して地面の表層が抉れた上に、それが力の吹き溜まりとなり余計に場を乱している。この一帯の気の流れは全てもうぐちゃぐちゃである。罠どころか人の位置さえもうまともに掴むことができない。
(――まさか奴はここまで計算していたというのか?)
気を追えないなら結局目視に頼るしかないが、夜も更けた暗闇の中、星月の灯りと光技と火技ぐらいしかそもそも光源がない。いつのまにか霧も深くなっていて、尚見づらい。そして何故か気づけば奴は死角に回り込んでいる。
――ん? 霧??
そうだ、奴はさっき言った。「寒くないか」と。奴の持つ適性は光と風。そしてこの霧……霧……そして……光……もしや……!
「吹き飛べええええええええ!!」
自らを中心に竜巻のように旋風を起こす。
――すべて、この霧をすべて吹きとばせ!!
「……ばれちゃったか」
そう呟いた奴は、今まで目視していたはずの方向とはまるで違う位置に立っていた。
「――ど畜生が」
霧は小さな小さな水滴。そこに光を通しわざと屈折させ……細かい原理はよくわからないが、今まで奴は霧と光を利用して自らの幻影を映し出していたのだろう。
……そうか、さっき派手にぶちまけていた氷の罠も、霧の元となる水蒸気を一気に増やすため……。
「――出鱈目過ぎるだろ」
「お前だけには言われたくない」
(あぁ、確かにその通りだろうよ)
でもな、そんなオレみたいな規格外に出鱈目呼ばわりさせるお前も大概だぞ。
「ハァ……ハァ……」
必死になるうちに、気づけば息が上がっていた。心臓はどくどくと激しく鼓動を打っている。とはいえ、奴はそれ以上に傷だらけで、比較にならないほど消耗をしているはずだ。そして幻影の絡繰りも看破した。あとは押し切るだけ――。
「!?」
(霧が……霧が戻ってきた!?)
「私の適性を忘れたか?」
――畜生!
風か。風の障壁か、クソが! 辺り一帯を囲んでやがったのか!
「大体この霧にしたって、もっと外側に仕掛けた罠で徐々に冷やしてきたおかげなんだぜ。
――最初に言ったよな? 周囲六十間は私の領域だと。
だが、さっきお前が看破したつもりになっていた罠は、せいぜい四十間の範囲内のものだけだ。私が戦っていたのも実際、その程度の範囲内だ。
そして、それより少し間隔をあけた外側に仕掛けた凍の霊石が、徐々にこの場、この地を冷やし……あとは分かるな?」
奴は挑発的にニヤリと笑んだ。
……あんな身体でなぜ笑える。
なぜそんな表情ができる。
しかも……あれだけの戦いを演じながら、傷を、深手を負いながらもその風壁を維持していたというのか? 出鱈目過ぎる。
――クソが。クソがクソがクソが!!
「さぁ、また追いかけっこを始めようか」
霧が再び足元にまで満ちてきた。
「クソがああああああああ!!」
片膝を地につけ、自身の周囲に風を渦巻かせる。
「すべて喰い千切れ! 風の壁ごと、すべて!!」
自身を中心に、全力を賭けて再び旋風を巻き起こす、
――まだだ。
まだ足りない、まだいけるだろう。その十画もある刻印の力、伊達ではないとを見せてやれ……!!
まるで竜巻だった。彼女は周囲六十間のさらに外側に張られた風の壁ごと、本当にすべてを自分の風で吹き飛ばさんとした。ラスタは風の防壁の力を強めたが、完全に抵抗することは敵わず徐々に蝕まれていった。
そして竜巻は遂には防壁を食いちぎり、その形を散らした。制御を失った風は出鱈目に場を掻き乱し、そして徐々に静寂が訪れた。
「……打ち破ったぞ」
十四番は思わず勝ち誇るように声にした。
周囲を覆う風の障壁は、霧もろともその外へと、今度こそは完全に、文字通り霧散した。
「本当に化物だな」
そう言うラスタは片膝をついてゼェゼェと息を切らしていた。今まで動けていたのが既に異常だったが、今度こそはもう限界といったところか。
「異常なのはお前だ」
二画対十画。コイツはその圧倒的な差をあの手この手で覆そうとした。そしていくら傷つけられても倒れなかった。
「随分とたくさん小細工を凝らしてくれたじゃねーか……」
ラスタは普段はその力を伏せてはいるものの、本来屈指の術者であることは十四番も聞き及んでいた。だが、まさかここまで翻弄されるとは思ってもみなかった。今まで圧倒的な刻印の力に頼り過ぎてきたせいやもしれない。
「遺言も何も聞いてやらねぇ」
黒衣は再び光球を浮かべる。
「――死ね」
ズキッ
まさに最後の一撃を放とうとしたとき、右腕に――十画の刻印を宿した右腕に激痛を覚え、思わず片膝と片手を地につけた。
「ぐぁっ……」
(気を確かにもて。今は奴に止めを……)
なんとか意識を繋ぎ視線を上げると、すぐ眼前に奴の姿が見えた。剣を振りかぶっていた。表面を飾っていた雑草らは既に燃え尽き、その燃え滓さえも吹き飛んだ何もない剥き出しの地面に、一閃の血が走った。
……ち……く……しょう……。
「――まだ動けたか」
咄嗟に風を使って飛び退いたが、同時に凄まじい激痛が右腕を、いや、もはや全身を襲った。そのまま着地に失敗し、受け身もとれず転がり、何もない地べたに躰を打ち付けられた。
「かはっ…………」
気力を振り絞り流血の源であろう右手をみると、刻印の幾つかに跨り深い刃傷があり、そこから血が流れ出していた。だが、傷を受けたのは右手で間違いないというのに、全身に激痛が走っているように感じる。
(痛い……痛い……痛いよ……)
「ごほっ……」
咽るように身体が反射的に何かを吐き出した。血だった。真っ赤な血反吐だった。
どうして。
傷を受けたのは右腕だというのに。
「吐血か……」
奴の声がする。もはやその姿を探す力も出ない。意識を保つので精一杯だ。
「お前、どんだけ使い過ぎたんだよ、その力」
――あぁ、そうか。やりすぎたのか。
たった二つでも大きく力を増幅させる刻印を十画も宿し、惜しみなくその力を行使してきた。自分でもその強すぎる力に身体がついてこないことはこれまでも少しはあった。
昨日の昼間の襲撃でも、その後の疲労感は半端ではなかった。だというのに、このいくら傷を負わせてもあの手この手の反撃を止めやしない難敵に対して、そんなことは完全に忘れて力を、全身全霊の力を振り絞ってしまった。
――いや。
そうか、奴が無駄に冗長に喋っていたのもこのためか。このオレを煽り、加減を忘れて力を使わせ続けるための……。
「正直賭けだったんだが……やはりぎりぎりだったな」
奴は言葉を続けた。
「お前、頑張りすぎ。何がそこまで駆り立てるんだ」
――分かってたまるか。
この積年の辛さ、苦しみ、孤独。そしてそれが全くの無駄無意味であったと知ったときの絶望を。
「正直私はお前を殺したい。だが、お前にはまだ訊きたいことが山程ある。だから仕方なく、生かして連れ帰る。刻印だけは封じさせてもらうがな。
傷つけたぐらいでどうにかなるのかな、これ。最悪腕を切り落とすことになるかもしれないが、ライラにもやったんだから別に問題ないよな」
そう言って奴が再びオレの右手の刻印に剣を突き立てようとしたとき、奴の身体を何かが貫ぬいた画が視界に映った気がした。
――それを最後に、十四番と呼ばれた少女の意識は深い闇へと落ちた。
こうして十四番目の襲撃者と、おそらくこの時点で――大人を含め――この里で最強であろう術者との戦いは幕を閉じた。




