第三話(第二十四話)
――ここで情報、意思疎通の齟齬は絶対にあってはいけない。
セラは必死に思考を巡らせていた。
アル夫人の話が終わった後、引き続き応接間にてセラ主導のもと状況整理や今後についての話し合いを始めた。
普段この手の案件を主導するナルザは怯えきったイマリを宥めるのにかかりっきりになっていた。齢十三のイマリは、サリャとハレが退場した今、この中では最年少にあたる。癖の強いこの面々の中で最も「普通」の女の子であり、それ故この異常事態に完全に参ってしまっている。
最年長はカルナだが、彼女にまとめ役などできるわけがなく、カルナの次に年長者であるラスタ・ウェ・ウォルはずっと黙りを決め込んで何か考え込んでいるようだった。
ラスタは普段から寡黙だが、気遣いのできる落ち着いた人物だ。本来は相当な光と風の使い手のはずだが、中々にその腕前を見せようとしないので、実際のところその実力は分からない。
齢十五のライラ・エト・アルマは、イマリ程ではないが不安そうに怯えてラスタの袖を掴んでいた。普段から内向的でおとなしい彼女は、ラスタがいるおかげでなんとかまだ落ち着いていられた。
同じく齢十五のアズミ・ワル・アルメスはただ静かにおとなしくしていた。普段はよく自分からいろんな人に絡むもののどこか捉えどころのない彼女だが、今日はずっとおとなしく、やや俯いて黙りこくっている。
エリンは相変わらず表情を無くしてたままだ。喜怒哀楽も何も窺えない。
そしてエリンと同じ齢十四のカナミ・イェ・ウル。彼女にはそもそも普段から表情といえるものがほとんどない。その声音も含めて全てが淡白で冷たい印象を与える。カルナは彼女の事を「石面」などと勝手に呼んでいる。今も彼女はいつも通りの石のような面持ちで、まるでその内が読めない。
そんな面々の中、消去法的にセラ・ウァズ・アリスがこの話し合いを主導することになった。
この緊張した状況下、ちょっとした勘違いや齟齬で今の関係は簡単に崩れてしまう。下手をするとそれは連鎖までしてしまう。そうなれば……彼女はきっと耐えられない。
セラは何とか自分を落ち着かせて平静を保ち、皆で状況、情報の整理を始めた。
まずは襲撃者が現れた時、各自が何処に居たのか確認を行った。レミとエリン以外の全員が屋敷の敷地内に居たはずだが、改めて確認することでこの場にいる者は安全だと再認識させる。
結果、やはり事件当時は全員が敷地内に居たことが各々の証言の組み合わせによって保証され、セラはほっと胸を一撫でした。
「……結局アレは私たち以外の十四人目ってことでいいのか?」
「それは……」
今までほぼ黙りをを貫いてきたラスタが声を上げた。
「エルのお嬢様はどうなのさ」
十四人目の存在を認める前に、確認せねばならない今最も重要な懸案がそれであった。
……たしかにその通りだ。この話題が持ち上がってしまった以上、ここからが自分の正念場だ。
この場には生き残っている印持ちが「ほぼ」全員いる。「ほぼ」になるのは、もう一人、儀式が始まってからまだ一度も姿を見せていない「彼女」が居ないからだ。
「元々体が弱かったのは確かだ。最近さらに奇特な病を患ったとも噂では聞いている。だが、この儀式とやらが始まってからも、私は一目足りとも彼女の姿を見ていない」
――リサ・ウ・エル。
天啓のエルの家の長女。元々体が弱くあまり人前には出てこられなかったが、最近――ここ一、二年ほどはまったくといっていいほど見掛けなくなった。ラスタの言うように難しい病を患ったらしいが、はっきりとした情報は聞き及んでいない。
「『これ』が始まってから誰か彼女を見た者はいるのか?」
ラスタは皆に問う。
セラが危惧していたのはこのままリサの潔白に疑いが残り、皆の不安、憤りといった行き場のない負の感情すべてが彼女に集中してしまう事態だ。一度そうなってしまえば暴走し、真実どうであるかに関わらず取り返しのつかないことになってしまうかもしれない。もしそれが冤罪であれば、他の全員も心に深い傷を負ってしまう。
……もちろん、最も感情的になりやすいであろう彼女にも。
「はい」
セラの懸念を一先ず払拭したのは、意外な人物――カナミだった。
「私は刻印を配られた翌日、早々に彼女のもとを訪れました。そしてちょうど昨日にも。彼女の刻印を譲り受けることができないかと交渉するためです」
これには驚いた。
静観しているだけ――少なくとも、裏ではともかく表面上は何もしていないと思っていたカナミが、早々にエルの敷居を跨いでいたとは。
その早さもさながら、「エル」という家に対して行動に出るという点そのものも意外な事実だった。
そもそもの話、普段からエル家に行きたがる、関わりたがる人間は中々いない。閉ざされた家であり規律が厳しいエルの人間に会おうとすると面倒な手順、手間が必要となる。
そんなエルの家を彼女は早々に訪れ、中でも特に面会が難しいと思われる長女に会い、さらに直球で刻印の譲渡を頼み込んだというのだ。
これはきっとナルザでもそう簡単にはできない。感心を通り越して少し彼女が恐ろしくも思える。あの娘は元より石のように動かない表情の下に何を隠しているのだろう。
「彼女は確かに二画の刻印をその手に宿していました」
全員の注目を浴びる中、眉一つ動かすことなくカナミは続けた。
「そして私はそれを譲ってくれないかと交渉しましたが、彼女はそれを断りました。
自身がこんな身である以上、最後には誰かに譲ることになるだろう。しかし、今はもうしばらく静観して、誰に譲るべきかを見定めたい――との事でした。
それと、ほぼ一日中を寝台の上で過ごし、家の中で生活するのもやっとだというのも本当のようでした」
カナミが嘘をついていない限り、エルの彼女の現状に関しては確認ができた。普段から口数の少ないカナミだが、時折彼女の見せる洞察力は常人の域を越えている。その心の内をも見透かす力は裏で「看破の紫眼」などと勝手に称され、羨望されると同時に敬遠され、恐れられている。別段そこまで強力で特殊な能力を持っているわけではなく、本人曰く「気の流れ」に敏感ということらしい。生半可な嘘や演技は簡単に見破られてしまう。彼女の前で嘘を突き通すことは不可能に近いとも噂される。
「カナミの言うことなら今はまず信じよう」
彼女はとても頭がきれる。すぐにバレるであろう嘘はつかないだろう。既にアルの人間がエル家へ今回のことで確認へ向かっているはずなので、裏付けが取れるのも時間の問題だ。
カナミのおかげで一時凌ぎとはいえ、全ての疑惑の方向がリサに向くことは避けられた。いずれリサ本人を改めて自分たちで確認することは必要だろうが、その前にやるべきことを今はこなす。
次に十四人目の襲撃者――呼びづらいので十四番と呼ぶことになった――の外見や特徴について情報整理をすることにした。
まずは外見。
服装は黒い大きな布で全身を包み、頭もすっぽりと黒布を被って隠している。顔は黒布で完全に覆い尽くされてはいないものの、木彫りの仮面のようなものを付けていたという。
体型はゆとりのある黒布のせいではっきりとは分からないものの、ある程度は痩せていて背丈はエリンより若干高い程度。エリンはやや低めぐらいなので、おそらく体格的には齢十五、六の少女の平均ぐらいのようだ。
声は女のもので、大人びた女性というよりどちらかというと少女のような若い声音だったらしい。だが、その声音とは裏腹に話し方は粗暴で男っぽかった、と。それこそカルナ以上に。
そして最も大きな問題点であるのが、十四番の使う術について。
光球を浮かべて光の矢を雨のように降らす技術。光を矢のように収束させて撃ち出す技法自体は珍しいものではないが、雨のように無数降らせるなど誰も聞いたことがない。単純な出力だけではなく、高度な技術も必要と思われる。
雷に関しては特異な使い方はしていなかったものの、単純に出力が桁違いだったようだ。この里の中でも雷の扱いだけで言えば最高位の一角であるレミを圧倒する威力を出せる者なんて誰も知らない。これが刻印の力なのだろう。
最後に風。これが問題だ。旋風を起こすこと自体はそう珍しい技術ではないが、レミの雷を瞬時に全て打ち消す程となると……やはり威力が相当増幅されているのだろう。
「……ずっと気になっていたんだが」
再びラスタが口を挟む。
「そもそもあんな至近距離でドンパチやっていたのに、誰も気づかなかったっておかしいと思わないか? 確かに敷地の入り口――正門からは死角になってはいたが、雷撃の応酬なんてあれば相当派手な音が鳴り響くはずだ」
確かにその通りだった。
私たちがあの戦闘に気づいたのは十四番が広域に目眩ましの光を放ったからだ。それに気づいた数人が外に様子を見に行くと、すでにレミは瀕死の様だった。
「たぶんだが……風で音を遮る障壁を貼っていたんじゃないか。風術というのは空気の流れを操る術だ。上手く使えば音を遮断することだってできる」
聞き覚えのない技術だが、ラスタとその母は風と光のエキスパートだ。ラスタが言うなら可能なのだろう。あの母娘は時折常識の枠を超えてしまう。
しかし、仮にそうだとすると結局十四番の持つ技術が高度且つ幅広いことになり、より恐ろしい相手と認識せざるを得なかった。
そして属性の話で言えば、もう一点思い出さなければいけないことがある。
「……ん、サリャって確か……」
そのことに気づいて最初に声に出したのは意外にもカルナだった。
(確かにそれは私が話しましたけど……ちゃんと覚えていたんですね)
なら、もう事細かに伝えるのはやめよう。姐さんにとって余計な不安が増すだけだ。
「はい、サリャも、そしてハレもおそらく氷の凶器で貫かれて殺害されました」
そう、あの幼い二人の胴を貫いた凶器は氷で作った槍状の何かであった可能性が高い。凍術の高度な使い手であれば、ただの氷であろうと立派な凶器となり得る。
「あぁ? 風と光と雷? に凍? 火以外全部じゃねぇか!」
(正解です、姐さん。そしてもう既に四属使えるとなれば……)
「ここまでくると、私はもう全属使えると言われても納得します」
それを聞いたカルナは反則かよと呟いて木の床に仰向けで大の字で寝転がった。ライラはいっそう怯えてラスタの腕にしがみついている。ラスタは真剣な顔で何か考えているようだった。カナミは相変わらず石のように表情を変えていない。アズミは明後日の方向を眺めていた。ナルザは膝に顔を埋めているイマリの頭を撫でながらも、真剣で強張った、険しい表情をしていた。
「エリン、ありがとう。大丈夫?」
十四番に関する情報は一通り出揃ったが、そのほとんどがエリンの証言に由来するものだった。そもそも奴とまともに接触したのはエリンとレミしかいない。ラスタと大人数名が逃亡直前の奴を目撃はしていたが、それだけだった。
「はい、大丈夫です」
そう答える彼女は、やはりセラの知っているマイペースでいつもふわっとした雰囲気を纏っていたエリンとは別人のようだった。顔の造形は同じだというのに、人はこれ程に印象が変わるものなのか。
「大体情報は出揃いましたが……一度全員の刻印の数も確認いたしませんか」
エリンは奴の刻印の数が十画だと証言した。襲撃者本人がそう言って見せびらかしていたそうだし、エリンの視力もいいほうなので十分宛にできる。
「では、皆さん刻印のある手の甲をお見せください」
何人かが肯定を示し、全員で刻印を見せ合うことになった。
カルナは何も言わずに大の字に寝そべったまま左手を挙げた。その手の甲には二画の線が変わらず刻まれていた。
セラも右手の甲を皆に見えるように差し出す。こちらもちゃんと二画ある。これで四画。
続いてラスタとライラ、共に二画ずつ。カナミも二画。アズミも何もいわずに左手を皆の前に差し出す。その甲にも確かに二画。ここまでで十二画。
そしてエリン。彼女の甲には四画が刻まれていた。
「レミが息絶えたとき、彼女の手を握っていました。たぶんその時に」
レミの遺体には刻印が残っていなかった。刻印は「誰が殺した」かに関わらず、絶命する折に触れた者の手に流れ込む、ということなのだろうか。――これで十六画。
残るナルザとイマリはそれぞれ一画ずつ。イマリは一画をナルザに譲り渡し、託されたナルザはハレの一画も合わせ四画となったがサリャに敗北して三画失った。これで十八画。
――あれ、おかしい。
待って、これは、数え間違えだろうか。じゃないとおかしい。
「カルナが二画、私が二画、ラスタが二画、ライラも二画、カナミもアズミも二画で十二。そしてナルザとイマリが一画ずつ、そしてエリンが四画。合わせて十八」
――藪蛇をつついてしまったかもしれない。でも今更後悔しても遅い。それに、どの道誰かが気づいてしまっていただろう。
「カナミの話し通り、ここに居ないリサの持っているのが変わらずに二画だとすると……」
「……二十画ある」
そう言ったのは意外にもずっと怯えていて目を赤くしたイマリだった。彼女は比較的頭が賢く、特に数字に強い。だからこそ、すぐに矛盾に気づいてしまったのだろう。
ナルザもハッとした。
「……エリン、確かに十四番の奴が持ってた刻印は十だったのかい」
「はい」
ナルザの問いかけにエリンが即答して断言する。
「ん、どういうことなんだ?」
話がみえないせいか苛々しているカルナを抑えつつセラが答えた。
「数が合わないんです」
そこからはナルザが変わって話を進めてくれた。
「元々刻印の管理者であったハルキには二十九画の刻印があった。そして私たち十三人に二画ずつそれを配った。私たちに与えられたのはつまり合計二十六画。ハルキの手元に残っていたのは三画。
そして今生き残っているこの場の私たちとエルのお嬢さんを合わせると二十画。十四番の持つ刻印が十画だとすると……一画多いんだよ。数が合わない」
ようやくカルナも話が理解できてきたようでおとなしくなった。
たった一つの差。しかし皆、その一画の持つ力の大きさを知っている。それは無視できるものではない。
「逆に十四番の持っているはずの刻印の数も少し計算してみようか」
引き続きナルザが話を進めてくれて、セラとしては助かった。今、彼女はカルナのほうが気になってしょうがなかった。カルナは苛々した様子が収まったと思いきや、今度は表情がどんどん暗い方へ沈んでいっている。
(わかってる、怖いんだね)
「十四番が最初は刻印を一つも持ってなかった前提で始めるよ」
ナルザが声にだして計算を始めた。
まずはサリャから消え去った五画。
次にハレから消え去った一画。
ハルキから奪われた三画。
「合わせて九、か。エリン、もう一度確認するが本当に十画だったのかい?」
こくりとエリンは頷く。
もしエリンの見間違えであったらどんなにいいか。しかし、どうもそんな楽観的にはなれなかった。
十四番目の持つ最後の一画。その一画は一体どこから来たのか。元凶の呪い師とやらが何か仕込んだのだろうか。
その後もナルザが話を進めてくれたため、セラはずっとカルナに寄り添うことができた。
カルナはもう話しかけても「あぁ」としか言葉が返ってこなくなっており、心ここに在らずといった様子だった。
――姐さん、私が傍にいますからね。




