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37 記憶

 心が壊れてしまいそうな感覚は、数日間続いた。

 最後にはとうとう仕事に行けなくなり、膝を抱えてひとり泣きながら考えた。


 どうしてこんな気持ちになってしまうのだろう。


 胸の中をそっとのぞいてみると、鉛のようにそこに詰まっていたものは、『ハルキ君はきっと、逃げることで生き延びてきたんですね』というカウンセラーの言葉だった。

 その言葉の持つ容赦ない重みは真っ黒な滴となり、わたしの中にすでにできあがっていた自責の回路に、隅々まで行き渡っていく。


 ――ハルキが今こうなっているのは、やはりわたしのせいなのだ。


 寄せては返す波のように、どこまでも胸を打ち続ける痛み。



 そしてもうひとつ、心に引っかかっているやりとりがあった。

 それは、ネットゲームをしているハルキの頭を撫でた話をしたときだ。


 カウンセラーはボソッと「それってダブルバインドじゃ……?」と呟いた。つまり、本心ではゲームをやって欲しくないと思っているのに、表面的には『いいよ』というメッセージを送ってハルキを混乱させている、と。


 厳密にいえばその通りなのかもしれない。わたしはハルキがゲームをやることを心の底から喜べているわけじゃない。


 それでも『こんな自分でも愛してくれるのか』というハルキの不安を受け止めてやりたかった。学校に行けなくなっても退学になったとしても、ありのままのハルキを受け入れようとしているんだと、そのことを伝えたかったのだ。


 結局のところわたしはあの面談で、今までしてきたすべてを笑顔でさらっと否定されたと感じ、静かに打ちのめされていたのだった。



 さらに、ハルキが能力の凸凹が激しいタイプだと言われたことが気になって、帰宅後に発達障害について調べたことも影響しているようだった。


 それまでわたしは発達障害について大雑把な知識しか持ち合わせていなかったが、もしかしたらハルキにはその傾向があるのでは? と思ったのだ。


 しかしその内容は、ハルキよりもわたし自身に当てはまっていた。


 そういえば子供の頃から言葉を言葉通りにしか受け取れず、冗談が通じずによくみんなにからかわれていた。思ったことをそのまま口にして相手を怒らせ、何が悪かったのかがわからず途方に暮れることもよくあった。

 何でもない『雑談』も苦手で、何を話していいのかわからず、大勢が集まる場所になるといつの間にか周囲から浮いていた。


 こだわる部分と無頓着なところが極端で、一度こういうものだと思い込むとそのルールを簡単に変えることができないこと。

 初めての経験や行ったことのない場所に必要以上に緊張し、イレギュラーなことが起きると対応できずパニックになってしまうこと。


 読めば読むほど、思い当たることばかり。

 ひょっとして、いじめられていたのもそのせいだったのか?



 成績は良くても冗談が通じず、普通のおしゃべりもできなかったわたしは、いつもみんなから浮いていた。


「おまえ、何言ってんの?」


 そう馬鹿にされるのが悔しくて、むきになって言い返した。

 けれどわたしがむきになればなるほど周囲はますます面白がってからかってくる。


 何も悪いことをしていないのにどうしてそんな扱いを受けるのか理解できず、自分を守るため正論という剣を振りかざし、ますます孤立していった。


 クラスメートの執拗にまとわりつく嘲り声、ひそひそ話。

 面白がって教室に閉じ込められ、あからさまに仲間はずれにされた。


 わたしが何をしたというの?

 暗黙のルールがわからない、冗談が通じない、でもそれは私が悪いんじゃない。


 わたしはずっと、顔を真っ赤にして怒り続けていた。

 でも、誰もわかってくれなかった。


 みんなにとってわたしはただの変な奴。

 からかうと面白い、何を言ってもいい相手。


 泣かなかった。

 ただ悔しくて、腹が立って、どんどん心を堅くしていった。

 絶対負けるものかと思いながらも怒りを封印し、みんなの嘲笑をかわすために感情を表に出すことをやめ、石になった。



 記憶の底に沈んでいた感覚が怒涛のように蘇り、息ができなくなっていく。


 そうだった、子供のわたしはずっとこんなに辛かったのだ。

 辛いと思ってしまったら、生きていくことができないほどに――。

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