36 スクールカウンセラー
四者面談を終えてひと月ほど経ったころに、スクールカウンセラーとの面談を申し込んだ。
毎日学校に行って勉強し、部活に出る。
ハルキにはなぜそんな普通のことができないのか。
その問いは、相変わらずわたしの中でぐるぐると回り続けていた。
ありのままの自分を受け入れられずに育ってきたハルキの心は、いまだに空っぽなのだ。だから今の状態は、たとえ非常識に見えたとしても彼の心を満たすために必要なプロセス。
そう信じてハルキと向き合おうとしてきた。
でも、もしその前提が違っているとしたら?
不登校についてあれこれ調べていると、優しくて真面目な『いい子』が頑張りすぎた結果、息切れしてしまう、という話をよく聞く。
しかしハルキは、まったくそういうタイプの子供ではない。
学校を休んでも「やったー、これで好きなことができる!」と単純に喜んでいて、罪悪感のかけらも感じられない。
いくら怒られてもケロッとしている姿を見れば、起きられないのは自分に甘いだけ、精神的に幼く自己管理ができないだけだと先生方が思うのも無理はない。
やりたいようにやらせることが、本当にハルキのためになっているのだろうか?
もしハルキがただの怠け者に過ぎなかったら?
そんな不安を抱えながら、カウンセリングの日を迎えた。
スクールカウンセラーは、穏やかな雰囲気の年配の男性だった。
柔らかな笑顔と、落ち着いた物腰。
「話しやすいことから話してもらえばいいですよ」
ソファに腰を下ろすとそう促され、まずは今のハルキの状況をひととおり説明する。
「最悪の場合、退学になっても仕方ない、と思うようにしています」
最後にそう付け加えると、カウンセラーは一瞬驚いたような顔をした。
「そこまでの状態なんですか? いや、これは私の感想ですが……なんだか、極端ですね」
そう言われて、ハッとする。
確かに客観的に見れば、すぐに退学になるほどの状態ではない。なのにそこまで考えるのは、そうしないとわたしは今のハルキを受け入れることができないからだった。
0か100、蟻一匹のために大砲を用意するような自分の心のアンバランスさ。やはりハルキの問題は、わたしの歪さに由来するのか。
そこからは、ハルキの生い立ちの話になった。
主人の実家が抱えていた借金、鬱でアルコール依存症だったわたしの父との暮らし、その後もずっと余裕のない状態が続いていたこと、しかしその頃のことをハルキがほとんど覚えていないこと。
わたし自身完全主義的な傾向が強く、小さい頃から口うるさくしつけようとしてきたけれど、大きくなるにつれ家でも学校でも塾でも言うことを聞かなくなっていったこと。
ここ1年はそれではダメだと思い、ありのままの彼を受け入れようとしてきて、少しずつ関係が築けてきたこと。
ただ、学校側から正論を言われると、私自身が動揺して苦しくなってしまうこと。でもそれは、ずっと生きにくさを抱えてきた私自身の問題であると思っていること。
ハルキが何でも「大丈夫、大丈夫」と言うのは、そもそも楽天的な性格なのか、それとも辛い状況を見ないために身につけた反応なのかがずっと心に引っ掛かっていること。
カウンセラーは黙って耳を傾けていたが、わたしが話し終えるのを待ってこう言った。
「ハルキ君はきっと、逃げることで生き延びてきたんですね。
楽天的というのとは、ちょっと違うでしょうね……」
逃げることで生き延びてきた――。
予想はしていたけれど、実際に言われてみるとその言葉は、想像していた以上に重く心にのしかかってきた。
やはりあれは幼いハルキにとっても過酷な環境だったのだ。
そしてわたしも、彼の逃げ場を塞ぎ追い詰めるような子育てをしてきてしまった。
ハルキは真剣に向き合わないことでそれらの状況をなんとかやり過ごし、そしてそのスタイルをいまだ引きずっている――。
その他にも、カウンセラーはいくつかの指摘とアドバイスをくれた。
――彼を信じていこうとするなら、受容の方向性はそのままでいいのではないでしょうか。ただ、黒か白かでなくグレーでもいいし、またお母さんひとりの責任でなく、お父さんにも負ってもらったらいい。
おそらく彼は能力の凸凹が大きいタイプだろうから、適性を伸ばしてあげることを考えてください。適正は、好きなことの周りにありますよ。
どれも的を得た指摘に思えた。何より、ずっとひとりで抱え込んでいたことを吐き出せた安心感で、面談を終えて数日は落ち着いて過ごすことができた。
しかしさらに日が経つと、わたしはおかしくなっていった。
それはまるで、洗濯機の中でかき回されてバラバラになっていくような感覚だった。今まで踏ん張って保っていた形が、ボロボロと崩れ落ちていきそうな恐怖。
何もないだだっ広い空間に放り出されたみたいに、どっちが上か下か、右か前かもわからない。両手を必死に振り回しても虚しく宙を舞うだけで、何もつかめない。
頭の中はただの瓦礫の山のよう、何もしたくない、何の喜びも感じない。
胸に広がるこの空洞は何だろう。
何かを積み上げてきた気がしてたけど、こんなに脆いものだったのか。
張りぼての自分を作り上げてきただけで、本当のわたしは空っぽなままなのか。
虚無がわたしを食い荒らしていく。
どうしてこんな気持ちになっているのか、どうしたらいいのかわからない。
道に迷った子供のように、途方に暮れてただ膝を抱えているばかり。
なのに体はいつものように洗濯をし仕事に出かけ、笑って話さえしている。空っぽのまま、普段通りの生活を崩さないように振舞っている。
怖かった。
わたしがおかしくなれば家族は滅茶苦茶になる、夫やハルキの笑顔も失われる。
それがたまらず恐ろしくて、今にも崩れ落ちそうな心を必死につなぎとめていた。




