35 やじろべえ
面談を終えたその日のうちに、ハルキはネトゲ友達に挨拶をしてゲームをアンインストールした。その後は普通のゲームをしたり、動画を見て過ごすようになった。
が、乱れ切っていた生活サイクルを元に戻すのはやはり簡単なことではないようで、新学期が始まって1週間ほどたったある朝、声をかけてもベッドから起き上がることができなかった。
面談の時に、長時間パソコンをやっていたら注意して欲しいとハルキ自身に頼まれて、以来最低限の声掛けだけはするようにしていた。しかしそうしながらも、本当はすべて本人に任せるべきなのにと、ずっともやもやした思いを抱えていた。
だからその日も、いつもの時間に声をかけて起きれないのだからとあっさりあきらめて、さっさと学校に欠席の連絡を入れたのだ。
すると、すぐに担任からの折り返しがあった。
「どんな様子ですか?」
起きれないようだと伝えると、受話器の向こうで小さなため息が聞こえた。
「ハルキ君は能力は高いと思うのですが、自分に甘いのがダメなところです。今は、それを自分ではどうにもできない状態のようですから、周りが助けてあげないといけません。できるだけご家庭でも、もう少しがんばってみない? とか、前向きな声かけをしてあげてください」
面談のときも同じようなことを言われた。学校側はわたしがもっと積極的に働きかけることを期待している。つまりは、黙って信じて見守るだけではダメだと言っているのだ。
この数か月試行錯誤しながらも、着替えや弁当箱やそれ以外の日常の場面でもだいぶ手出しをせずに放っておけるようになった。本当に困ればハルキは自分でどうにかするということもわかってきた。
だからこそ、「朝起きる」という行為も彼の手に返したかった。学校に行こうと彼が本気で思えばいずれ自分でどうにかする、それを信じて見守りたかった。
しかし学校は待ってはくれない。
「成長期なので眠いのは当然と思います、それでもみんな来ていますから、しんどかったら休んでもいいんだ、というのを許してしまうのはよくないです。
前回の話し合いで、彼は自分の力だけでやるのはまだ難しいから、周りが手助けをしてやる、という方向性を決めましたよね?
それに、朝は大変でも来てしまえばあとは元気に楽しそうに過ごしていますから、ここはお母さん、なんとか頑張って起こすようにしてください!」
担任の言葉に心が揺れる。
本当は、わたしが少し手を貸せばこの子は立ち上がれるんじゃないか。すっかり本人に任せることで、逆にそのチャンスをつぶしているのではないか。
ハルキは他の子よりも自制心が弱く、幼いと先生は言う。許されたぶんだけ「遅刻しても別にいいんだ」「嫌なことはやらなくてもいいんだ」と、どんどん自分に対して甘くなっている、と。
そして、その言葉をきっぱりと否定できない自分がいる。
しかしそれでも、わたしの心のアンテナが反応するのはそれとは真逆の発想だ。
常識や世間体にとらわれず、ありのままの姿を受け入れてもらうことで、子供は自分の足で歩きはじめる。みんなそういう力を持っている。
ハルキもまた自分で歩きだす力を持っている、腹をくくって彼の人生を彼の手に返すことが、結局は一番の近道なのだ。
心からそう思えた時は、腹の底から力が湧いてくる。
自分のその感覚を、信じたい。
なのに。
それからも、ハルキが欠席するたびに学校側との同じようなやり取りが繰り返された。そのたびに激しく不安を搔き立てられて頭の中がぐちゃぐちゃになっていく。
そんなある日、夫と些細なことから口論となった。
普段は滅多に喧嘩をしないわたしたち。
こんなことでピリピリするほど、わたしは今すごく不安で一杯一杯なんだと思った。
結局こちらが謝って仲直りしたが、ふとこんな想いが湧いてきた。
――わたし、すご~くがんばってるなぁ……。
そう思ったら急に泣けてきて、ポロポロ涙が止まらない。
突然のことに驚く夫。
「どうしたの?」
「うん、わたし、すごくがんばってるな、って思って」
そう言いながら、熱い涙が次々と頬を伝う。
夫は今わたしがしていることをすべて理解し受け入れることはできないだろう。
そこまでは求めちゃいけない、でも。
「よくやってるよね、わたし」
泣きじゃくりながらそう言うと、夫がふっと優しいまなざしになる。
「だからね、こういう時には、よく頑張ってるねって言って、頭をこうやってなでなでするんだよ……」
わたしは泣きながら夫の手を取り、そのまま自分の頭にのせた。
夫は、わたしが泣き止むまでずっと、そっと頭を撫でていてくれた。
流した涙の分だけ心が軽くなり、自分自身に対してほんの少しだけ、優しい気持ちになれる気がした。




