メイク・アップ
心に化粧は出来ないから?
…いつもそんな恥ずかしいこと言っているわけ?
「ん……」
目が覚めたのは、携帯電話のアラームでもなく氷室さんの声でもない、乱暴なノックの音だった。
「ちわーっス。こんにちわーっス」
聞き覚えのない声。あたしは飛び起きて身構えた。
誰? この家の人? でもここ一週間でそんな人見たことないし知らされてもいない。
「氷室さん? いないんスか?」
氷室さんの知り合い?
「開けますよ……あだっ!」
ゴン。と鈍い音がして、今度は遠慮がちなノックの音が聞こえた。
「氷室だ。驚かしてわるかった。昨日言ってた客がな、勝手に入っていやがった」
「……?」
「氷室さん、例の女子高生、この部屋にいるんスか?」
「ああそうだ。頼んでいた道具は持ってきてくれたか?」
「バッチっス。どれが合うかわかんないんで、一通りそろえてきましたケド……」
「手間かけたな」
勝手に話が進んでる。
寝起きだけど妙に冴えていた頭の中で、あたしは考えていた。
氷室さんはあらかじめ、今日は客が来るって言ってた。
もしも騙しとか脅しをかけてくるのなら、もっといい方法がいくらでもあったと思う。
「綾。着替えたらリビングに来てくれ。紹介したいやつがいる」
「城戸雄介ス」
先に自己紹介された。声の調子は、軽そうな人だなって思った。
リビングに行くと、氷室さんとさっきの声の主、城戸さんが座っていた。
年は十八歳~二十歳くらい。
金髪に近いロングヘアーに、黒を基準にした独特のファッション。
十字架とジュエルストーンをあしらったネックレス。
整えられた眉毛と顔立ちは女の子と見間違えそうなほどキレイで、かわいい顔をしていた。
大きくて黒いアタッシュケースが置いてある。さっき聞こえていた『道具』?
「……どうも」
ぺこりと頭を下げる。
何だろうこの人は。
あたしを見てニコニコしているけれど、どうせ内心では『気持ち悪い包帯女』とか思っているんでしょ?
「香坂綾ちゃんだよね。改めて初めまして。城戸雄介っス」
「……よろしく」
「かたくならずに、まあくつろいでっす」
「ここはあなたの家じゃないでしょ?」
「あ、そっか。ごめん。ウチと勘違いしてたっす。あっはっはっはっ」
城戸……さんはソファーの上で、あぐらをかいて、この上なくだらけているように見える。
外出するか? って言われていたのに、この人は何の関係があるの?
じっ。とあたしを見つめて、座るのを待っているみたい。少し警戒したけど、椅子を引いて黙って座った。
城戸さんは立ち上がると、あたしの前に立った。
「触っていいスか?」
唐突な言葉に、あたしは椅子ごと後ろに下がった。
「あ、違う。主語が抜けてたス。変な意味じゃなくって。顔、触ってもいいスか?」
「……」
あたしは毎朝見ている暗い瞳で城戸さんを見上げた。
口は漢字の一みたいに閉ざされているし、顔全体を覆う包帯のせいで、一層不気味な印象を受けたと思う。
けどこの人は、動じない。
「調べたいことあるんスよ。触るのは顔だけだし、変なことしないスから」
「……」
あたしが答えられずにいると、
「顔以外のところを触ったら俺がつまみ出す。安心しろ」
氷室さんがそう言ってくれたので、あたしは首を小さく縦に振った。
「痛かったら言って下さいネ~」
城戸さんは口調こそ変わらないけど、真剣な表情になってあたしの顔を覗きこんだ。
軽いタッチで顔を撫で、時には押したりしている。
傷の箇所を分かっているのか、それともあたしの皮膚はもう痛覚がないのか。痛みは感じなかった。
「ふうん……やっぱりそうか」
何が?
一人でつぶやくと、城戸さんは氷室さんを見て頷いた。
次に、傍らに置かれた黒いカバンを手元に引き寄せる。
「……ずいぶん、重そうな箱ですね」
気になっていたので尋ねる。
「これ? 商売道具っスよ」
「へぇ」
素っ気無く返すものの気になってしまう。
「綾は、外出するとしたらどこに行きたい?」
尋ねてきたのは、氷室さんだった。
突然だったけど、行きたい場所といえば決まっていた。
「孝治のお墓参りに、行きたい」
「墓参り、か。そうだな……しかし、いいのか?」
その言葉は、多分、色んな意味を含んでのことだと分かった。
「うん。場所も、分かるし」
言葉を続けようとしたけれど、続かなかった。
孝治が死んだ。と聞かされたのは、十ヶ月前。
まだ雪の残る季節。あたしが入院した日。
そして退院する日、所持品の中に入っていた、孝治のご両親からの手紙。
気を遣って挨拶に来なくてもいいこと。
迷惑じゃなかったら、退院したら一度くらいは、孝治の墓参りに行ってやって欲しいこと。
自分たちは、あなたのことをもう恨んでなんかいないこと。
しっかりとした文体が、肉筆で書かれていた。
孝治のお墓の場所が書かれた地図も、同封されていた。
「……保障は出来ないが、一時でも元の顔が戻せるかもしれないと思ったら、迷惑か?」
「どういうこと?」
あたしには意味が分からなかった。
「雄介は『メイクアップアーティストリー』だ」
「……なにそれ?」
「女優にメイクを施したり、まあ人に化粧をしたりするのが仕事だ。今、骨格を探ってもらったら、変形や歪みはない。傷さえ隠せれば、元の顔に近づけられるんじゃないかと思ってな」
なるほど。だから一時的、なのね。
「ただ、オイラも傷を隠すメイクなんて初めてだし、化粧も万人に合うあわないってありまスからね。絶対じゃないンすよ」
「期待だけさせてガッカリさせたくなかったからな。詳細は伏せていたんだが、どうする?」
「……是非、お願いします」
孝治のお墓に、包帯でグルグル巻きにした痛々しい姿で行きたくない。例え一時でもいい。
可能性があるのなら、それに賭けてみたい。
「じゃ、俺は席を外している」
「氷室さんのアドバイスがあったほうが、助かるンすけど」
「プロだろうお前は。それに、綾はできるだけ人前でその包帯を解きたくねえだろ。俺が見ていても何もできやしない。終わったら呼んでくれ」
早々に立ち去ってしまった。
二人っきりで残されてしまって、あたしはちょっと気まずかったけど、城戸さんは気にしていないみたいだった。
「リラックスしてください。自然にしていて欲しいっス」
カバンを開けると、色とりどりのメイク用の化粧や道具が出てきた。
化粧なんてしたことのないあたしは、それぞれの道具の名称も、どれがどれだかも分からない。
「じゃあ、包帯解いてもらっていいですか?」
いつになく、いっても初対面だけど。緊張した感じが、声から伝わってきた。
「夢に見るかもしれないですよ?」
少しいじわるっぽく言うと、
「いい夢見せてあげられたらいいんスけどね」
と返された。さすがプロね。
しゅるしゅると包帯を解く。あたしは初めて、医師意外の人間に、素顔を見せた。
「……傷は結構浅いっスね。骨には達していなさそうだし、問題なさそうス」
化粧水らしいものをペタペタとつけられた。
少し染みるけど、それほど気にならない。むしろ心地いい。
「どこのメーカーの化粧水ですか?」
「これ? ただの水っス」
なんだ。あたしはおかしくて笑いそうになった。
「いいね、人間は笑っているときがやっぱりいいッスよ。歌にもあったじゃないっスか。いつでも微笑みを、とかなんとか歌っているやつ」
「知らない。歌はほとんど聴かなかったから」
「こりゃ失礼。えっと、化粧はいつもどのメーカーのやつを?」
「よく分からないわ。化粧なんて今までしたことないし、メーカーもわからなくて」
「化粧品の高級か低級かを見極めるのは、サンスクリーンを見ろって話があるンすよ」
「サンスクリーン?」
「日焼け止めのことなんすケドね。その化粧品メーカーが扱ってる日焼け止めを見れば、他の化粧品が高級かそうじゃないかって分かるんスよ。値段に関係なく」
「……そうなんだ」
自分で化粧をしないあたしにはあんまり興味のない話だった。
「見分け方はSPFの数値が――ああそれより、しみないっスか? オーガニックコットン使ってるんスけど」
「うん、大丈夫です」
まずはフェイスパウダーを使って、炎症起こさないか確かめますね。でもって、ファンデーションいきますんで……。
とか色々説明されていても、さっぱり理解できない。
「いい形の骨格しているし、お肌も炎症起こさないみたいだから、キレイになるっスよ」
「キレイ……ですか。あたしは別に、普通でいいです」
謙遜のつもりだった。リップを筆みたいな道具で調整しながら、城戸さんがちらりとあたしを見た。
「普通ってどんなんスか?」
「え?」
「綺麗になるのは、女の特権っすよ。
それに、本当のキレイっていうのは、顔とかスタイルじゃないンすよ。心と体のバランスです。心の寂しさは目にでるんスよ。元気出して下さい、なんて軽い言葉はオイラにはいえないけど――彼氏さんに挨拶に行かれるんでしょ?
さすがにオイラも、心に化粧はできないスから」
「……心に化粧って、いつもそんな恥ずかしいこと言ってるの?」
今朝も見た、底なし沼に沈んだような、あたしの目を思い出す。
そのせいだろうか、つい毒づいてしまった。
「ホント、恥ずかしいっスね」
はは。っと城戸さんが悲しそうに笑った。
あたしはハッとして、慌てて謝った。
「ごめんなさい。その…」
うまく言葉を続けられない。
しかし城戸さんは、首を横に振った。
「恥ずかしいのは、自分の腕の未熟さっスよ。『化粧』ってのは、化けるって字が入っているでしょ? 元々、江戸時代の花魁と呼ばれる女性の方が、性格を変える、別人になる為のものだったんスけど。オイラの腕じゃ、まだまだっスね」
「そんな……」
あたしがオロオロしていると、城戸さんは急にパッと顔を上げた。
「なんて。冗談っスよ。そんなに落ち込んでやいませんって。それに性格を変えるほどのメイクなんて、オイラにゃまだまだですけど、その分やりがいがあるってモンすよ」
なんだ。あたしはホッとした。
意外と意地の悪い人なのかもしれない。これからは気をつけないと。
「それに、心に化粧って、最初に言ったのは氷室さんっスよ。あの人がいうとサマになるンすけど」
「氷室さんが?」
それってどういうこと?
聞こうとしたところで、
「余計なこと言いました。はい、完了っス」
話をしながらだったせいか、あっという間。というのが正直な感想だった。
「鏡見るっスか?」
差し出された手鏡を、恐る恐る覗き込むと――あたしじゃない人が、そこにいた。
いや、確かにあたしなんだけど、あたしじゃない。
なんていうのかな、とにかくビックリするくらい、劇的な変化だった。
「氷室さん、いいっスよ」
「終わったか?」
しばらくして、氷室さんが部屋入ってきた。
すぐにあたしと目があって、お互いがそのまま固まってしまった。
「こりゃすげえ……。腕を上げたな、雄介」
「素材がいいからっスね。エクステかウィッグを使おうか迷ったんですけど、どうします?」
「エクステって?」
「付け毛のことだ。髪はそのままでいい。それより雄介、アイラインだが、それだけだとちょっと弱いな。青を重ねたほうがいいぞ」
「なるほど。了解っス」
城戸さんがちょい、ちょいっと調整をしてくれた。
なんで氷室さんまで詳しいのかは、謎だった。
「じゃあ出発するか。雄介、今日は悪かったな」
「とんでもない。お役に立てて幸いっス。来週も、日曜の朝なら空いてまスんで」
靴を履いていた城戸さんにお礼が言いたくて駆け寄ったあたしに、城戸さんは凄く真面目な顔で振り返った。
「そうそう。今回は試験的にメイクしてみたンすけど、時間が経てば炎症を起こす可能性がありますンで。一応、正午をめどにメイク落としで落とすようにしてください」
カバンの中からチューブ入りのメイク落としをあたしに渡すと、それではまた。と言って帰ってしまった。
「正午ってことは、十二時か。今が九時半だから…まあ問題ねえだろ」
時計を見れば、まだそんな時間だった。
城戸さんはこの後もお仕事があるらしく、朝の時間だけ空いていたらしい。
今度会ったときは、絶対にお礼を言いたい。
「じゃあ出かけるか」
「あの。でも氷室さん、いいの?」
気になっていることを聞いた。
あたしが外に出ると、マスコミの人たちに気付かれるかもしれない。
「心配ない。誰も綾の素顔は知らねえし、化粧だってしている。万が一何か聞かれても、すっとぼけてりゃいい」
「うん」
そう聞いて安心した。
車に乗り込んで地図をみせると、氷室さんはああ、と頷いた。
「俺の職場の近くだ。ナビを使うまでもねえ」
少し風が出ていたけどいい天気だった。
今日は学校に向かう通学路じゃなくて、紅葉真っ只中の街道を走る。
キレイだけど、どこか切ない秋の空気が好き。
いつもと違って顔を下げていなくてもいいのは、少し新鮮だった。
「下ばっかり向いてっと、それだけで気分は落ち込むんだ。辛い時でも上向いてりゃいい。そうすると少し楽になる」
氷室さんが優しく微笑んで、あたしの頭に手をのせた。
「子供扱いしないでよ」
あたしはそっぽを向いたが、前みたいに、手で払いのけたりはしなかった。
車はあたしが思っていた通りの通路ではなく、全然違う方向に走っている。
「こっちだと逆方向なんじゃないの?」
「こっちでいいんだよ」
「だって……」
「お前、墓参りに手ぶらで行くつもりか? 花の一つでも添えてやれよ」
あたしは――孝治のお墓に行くことで頭がいっぱいになっていた。
ううん違う。
心のどこかでは孝治が死んだということをまだ信じきれていなくて。
実はその場所に行くと「おかえり」って、孝治が待っててくれるような、無意識にそんな期待さえしていた。
花屋さんでお墓参り用の花を買って、すぐに墓場に向かう。
車で十五分くらいで到着した。
「メイクのこともあるからな、あんまり長居はするなよ」
氷室さんは車で待っていると言っていた。
「うん」
あたしは急に震えだした足をどうにかごまかして、孝治のお墓に向かった。
誰ともすれ違うことはなかった。
お墓には【木村孝治】と彫られていて、それを見たとき、ああ本当に孝治は、この世から巣立っていってしまったのだと実感した。
しおれかけた花が活けられていた。孝治のご両親が来られたんだ。
あたしは花を取り替えて、手を合わせた。
「孝治…あなたのおかげで、あたしはこうやって生きています。あの日誓った約束、果たせなくてごめんなさい。あなたの妻になることが出来なかった、けど…今はこうして、生きていることが、何よりの……。何より……。孝治っ。
何で先に逝っちゃったの。何でっなんで……未だに信じられないよっ。なんでっ……」
覚悟はしていた。
頭では分かっていた。
でも、分かっていた。つもりだった。
あの日あんな告白さえされなかったら、あたしは彼のことをまだ仲のいい友達だと思っていた。
友達。恋人。
どちらも大切には違いないのだけど、男女の友情は存在しない。って誰かが言っていたっけ。
みんな、恋を意識してしまう。
だから、別れが辛くなるのに。
友達にも戻れない関係になるのに。
もしも同じクラスメイトだったとして、ただのクラスメイトにさえ戻れないのに。
分かって――いる。
命は果てるもの。分かってはいるけど――
墓石にすがるように泣き続けたあたしは、ようやく恋人の死を受け入れられた。
きっと目はウサギみたいに真っ赤だし、せっかくのお化粧も半分は落ちてるかもしれない。
あたしは車に戻ると、早々にニット帽で顔を隠した。
「もういいのか?」
「うん。ありがと……」
あえてあたしの顔を見ないようにしてくれたのは、氷室さんの優しさ。
醜い顔を見たくないんじゃなくて、あたしが見せたくないことを分かってくれていたから。
幸いにも炎症とか痛みは無かったけど、念の為に帰ってすぐにメイクを落とした。
勿体無いなあと思ったけれど、仕方無かった。
夜、あたしは早々に部屋に入ると、ベッドに横になった。
「綾。今日は、何だか悪かったな」
ドア越しに聞こえる氷室さんの声。
「何が?」
「俺が、どこか外出しようかなんて言ったばかりに、辛い思いをさせちまったんじゃねえかと思ってな」
「……ううん。孝治には早いうちに、といってももう十ヶ月も経っちゃってるけど、ちゃんとお別れを言ってきたかったし。氷室さんがわざわざメイクの人まで呼んでくれたのは嬉しかった」
「ならいいが…明日から月曜日だろ。学校は平気か? たまにゃ休んでもいいんじゃねえのか?」
「大丈夫……学校から逃げて引きこもっていたんじゃ、孝治に笑われちゃう」
一呼吸置いて。
「そうか。じゃあ、お休み」
氷室さんの足音が遠ざかっていくのが分かった。
週末はあっという間に過ぎて、翌朝は相変わらず包帯を巻く手は重く感じる。
メイクに関してはほぼ三時間しかもたないし、学校に毎日化粧をしていけない。
何より、今から化粧をした顔で登校したら、それはそれで暇なクラスメイトの行動に火をつけるだけ。
だからこのままで過ごしていたほうがいい。
そのうち飽きるだろう。そう思っていた――




