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解けない魔法  作者: 黒猫
~あるシンデレラの物語~
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2/23

絶望の目覚め

目が覚めて


これが夢ならよかったって



何度も思った――

 暗い通路を歩いていた。

 壁はなくて光もない、道もない場所を、歩き続けていた。

 前に向かっているのかいないのか。

 そもそも、歩いているのかいないのか。

 右も左も分からない。

 それどころか、上も下も分からない。

 手足が石になったみたいに、動かなくなっていく。

 それでも、必死になって、もがく――

 不意に明るい光に包まれた。

 ――目が覚めた。


 光の正体は天井の蛍光灯だと分かった。

 眩しくて一度目を閉じて、もう一回目を開いた。

 次に、白い天井が目の前に広がった。

 仰向けに寝かされている?

 ここは、どこ?

「目が覚めたかい?」

 聞き慣れた声がした。

「孝治?」

 首は固定されて動かせなかった。声だけで返事をする。

「綾。無事でよかった。ごめんよ、君を守れなくて」

「何が、あったの?」

 車内でうとうとして、気がついた時には大事故に巻き込まれていた。

「トラックが反対車線から突っ込んできたんだ。避けようとしたらスリップして……」

「そう……」

「しばらくは入院生活だね。けど綾が生きていていて、本当に良かった」

「……うん」

「綾、愛してるよ」

 突然の優しい言葉に戸惑う。

「なに……こんな時に、急に言わないでよ」

「今じゃないとダメなんだ。綾、ありがとう。そして、ごめんな……」

「今じゃないと……?」

 その言葉が引っかかったけど、でも、と続けた。

「孝治が生きていてよかった」

 ……?

 返事がない。

「孝治?」

 やっぱり返事がない。

 あれ?

 あたしは気付く。

 首が固定されているほどの、体を動かせないほどの大怪我なのに、何で痛みを感じないの?

「孝治!」

 あたしは叫ぶ。叫んだつもりだったのに、声になっていなかった。

「こ、う……じ」

 映画の演出に使われるような、ぐにゃりと画面が歪んで音声がスローになる現象が、あたしの目の前で起こった。

 あたしは気付いた。なんだ、そうだったんだ。

 ”目が覚めた”。

 今度こそ本当に。

 今のは夢だったんだ……。

「こ……じ……」

 唇がうまく動かない。

 麻酔が効いているんだと思う。口がうまく動かせない。

「こ、じ!」

 それでも精一杯呼びかけた――あたしの婚約者からの返答は、無かった。

 手も足も首も、動かない。かろうじて動くのは、唇だけ。

 けどああ、あたしは生きているんだ。

 どこか他人事みたいに、ぼんやりと思った。

「先生っ、患者さんが目を覚ましましたっ!」

 声が聞こえた。

 あたしのほうからは見えないけど、部屋の中に看護婦さんがいたみたい。

 うめき声にも似たあたしの声を聴いて、先生を呼びにいった。

 しばらくして、何人かの足音と人のざわめきが聞こえた。

 白衣を着た初老の男性が、あたしの顔を覗き込んでいた。

「香坂綾さん、で間違いありませんか? 私の声が聞こえたら、瞬きを二回して下さい」

 あたしはゆっくりと二回、瞬きをした。

 辺りから「よかった」とか「無事だったのね」「奇跡ね」などと声が聞こえる。

「声が聞こえるということは、耳の器官に損傷はありませんね」

 カルテに何かを記入している。

「何があったか……覚えていらっしゃいますか? 覚えていたら二回、分からなければ一回瞬きして下さい」

 首を横に振れない。あたしは一回だけ瞬きをした。

「なるほど。では次に、意識の方はどうですか? ハッキリしているなら一回、そうでなければ……」

 いくつかの質問をされて、事態を飲み込めた。

 あの日の夜、あたしは孝治と一緒に交通事故に巻き込まれたこと。

 トラックが反対車線を逆走してきたこと。

 あたしの生還が奇跡だということ。

 それより、孝治はどうなったの? 一番気になっていることが分からない。

 けどあたしの口からは言葉が出せず、誰もそのことは教えてくれなかった。


 入院生活。

 一日中、天井を見て過ごす日々が続いた。

 きっと全身、酷い傷を負っているのだろうけど、全身に打たれた麻酔のおかげで痛みはなかった。

 ただ感覚がないのに意識だけがハッキリしているので、あたしの意識だけがそこに残っていて、肉体はとっくに死んでいるのかもしれない。

 日々そんなことを考えて過ごしていた。

 入院してから何日目かな。

 眠っていたあたしは、荒々しい声と騒ぎで目が覚めた。

 部屋の外、廊下のほうで誰かが騒いでいた。

「何であの子だけ生きているのっ!」

「落ち着いてください。この中は絶対安静の患者がいるんですっ!」

「返してっ! 返しなさいっ! 息子を返してよっ」

 泣き叫ぶ声とそれを制止しようとする声が耳に響く。

 これって、まさか。

「なんで……なん……で、あの子だけが。孝治は、孝治は帰ってこなかったのに」

 孝治が……帰ってこなかった?

「落ち着いてください、お母さん」

「返しなさい! 孝治の亡骸っ連れてかえる。あの子は……私の息子……」

 コウジガ……カエッテ……コナカッタ……?

 できれば耳を塞いでしまいたかった。

 溢れる涙を止めることはできずにいたはずだった。

 あたしもお母さんと同じように、叫んでいるはずだった。

 けど今のあたしは、耳を塞ぐこともできないし涙を流すこともできないし、叫ぶこともできなかった。

 動けないことが、泣けないことが、大声を出せないことが、こんなにも……悲しいなんて。

 孝治はきっと生きている。

 それはあたしの中で唯一残っていた希望だった。

 夢の中で、孝治はあたしに話しをしてくれた。

 謝ってくれた。

 愛してると言ってくれた。

 それってまさか……最後の挨拶だったってこと?

「やめれっ! ここは病院だぞっ。先生も困ってるだろがっ」

 男性の声で一括され、泣き崩れる女性の声が聞こえた。

 あたしはただ呆然と、天井を眺めているしかなかった。

「……では、そういうことでしたら……」

 今度は小さな声がぼそぼそと聞こえ、誰かが部屋に入ってきた。

 あたしの寝ているベッドは、カーテンで仕切ってあり外からは見えなくなっている。

「香坂綾さん、よろしいですか?」

 先生がカーテンの外から呼びかけてきた。

「あなたと一緒におられた男性の方の……木村孝治さんの、ご親族の方がお見えです。お父様の方から香坂さんにお話があると……」

 あたしに話が?

「あなたに叱咤や暴言を吐きたいわけではないと。ただ、私どもも人のお話することに絶対の保障はできませんが、もし万が一、不適切である発言をした場合は、ここで殺されても構わないとの覚悟で、ご面会を望んでおられます。

香坂さんも痛々しいお姿です。面と向かって言われますと、精神的に辛い部分もございます。カーテンにて仕切らせていただきまして、最悪の事態に至らぬようスタッフも配置しております。あとはご本人さまに確認を、ということと、あなたがお話できる状態ではないということもお伝えしてございます。

ご本人様の意思確認をと、私が確認させていただきました」

「…………」

 あたしは瞬きを二回した。

 いっそ叱咤されたり暴言を吐かれたり、できれば殺して欲しいと願ってのことだった。

 カーテンの向こうで、誰かが軽く咳払いをした。

 孝治の、お父さんだと思う。

「香坂、綾さんでしたな。息子が生前は偉いお世話になりました」

 言葉が一回止まった。

「外では嫁が、騒がしくして申し訳ないです。ただ、ワシは……正直あなたのことを恨んどらんのです。それどころかうちの馬鹿息子が……人様を大変なことに巻き込んでしまって、ワシは申し訳なくて……」

 嗚咽混じりの言葉に、あたしもとても悲しくなる。

「あの馬鹿は……いつも家を飛び出しては、夜おそうまで帰ってこんと、ずっとわしらに迷惑かけとりました。ところがあの日は、わしら夫婦に土下座して、『結婚したい相手がいるんだ』って。

散々迷惑かけたけど、これからは真面目になるって。嬉しそうに、話すあいつに、わしは怒鳴ったんです。『中途半端な生き方しか出来なかったモンが、決意や結婚だけで一人前になれるかっ! 人生甘くみるな』って。

したらあいつは……ちゃんと彼女が卒業するのを待っとるっていうたんです。あいつの部屋整理してたら、就職情報誌……最近夜が遅かったのも、資格取るための勉強やら費用のためのバイトやらで……。

ワシ、遊び歩いている思うて、自分の息子のこと何も見てなかったんです。あいつが……本気で結婚したい思うて、真人間になるいうて決意したほどの女性です。

もしフラれたら、一生独身でいるいうて……そんな、人に巡りあえたんかおもうと……。ワシら……本当に感謝して……いるんですっ。あいつが、せめで、死ぬまえに、まっどうなにんげんでいられだごどを」

 一言一言が、きっと涙で濡れているんだろう。

 言葉に詰まりながら、それでもあたしに、感謝の言葉を示してくれている。

 この親にしてこの子あり……なんて言葉があるけれど。

 あたしは本当に、素敵な人に愛されていたんだなあと実感する。

「ご……ちら……そ」

 こちらこそって伝えたかった。

 精一杯の言葉だった。

 風が動いた。きっとカーテンの向こうで、大きく頭を下げてくれたのね。

「ありがどうございましだっ!」

 涙声が聞こえた。

 こんな十七歳の小娘に。

 何もないあたしなんかに。

 その言葉はあたしに、とてもとても深く染み渡った。

 だけど悲しいことに、あたし自身は天涯孤独の高校生。

 彼は、あたしの唯一の理解者であり恋人であり婚約者であり、たった一人の家族だったのに。

 すぐに「あたし、悲しいけど頑張るわ」なんて切り替えられるはずもない。

 日に日に荒んでいったあたしは、希望も望みも生きがいも何もかもを無くしてしまった。

 プロポーズされた日、神様は本当にいるんだと思った。

 同時に、神様ってとても残酷で意地悪だと思った。

 何で孝治だけ連れてってしまったのだろう。

 あたしも連れて行ってほしかったのに。

 パパもママも香坂夫妻も孝治も、もう二度と帰ってこないんだ。

 白く光る天井をぼんやりと眺め、空の向こうには本当に天国なんてあるのかな。とか考えたりした。

 徐々に治療が進み、どれだけの時間が経過したのか分からないけれど、口が動くくらいに回復した時、あたしがその、どれくらいぶりかに話した言葉は「死にたい」だった。

 かろうじて手足が動くようになった頃も、急激に動くと危ないからと手足は固定されたままだった。

 自殺防止が目的? それならそうで、どうでもよかった。

 日々死にたいと言う危ない女子高生に、日々話しかけてくれる看護婦さんも離れていった。

 天涯孤独の身になってしまったあたしには、誰もお見舞いになんて来てくれない。

「生きていることに感謝することが大切です」

 ある日訪れたどこかの偉い牧師さんが、聖書を開いてそういった。

 生きてることに感謝?

 キレイゴトね――

「あなたさ……奥さんはいる?」

「ええ、おりますが?」

「両親は?」

「健在ですが」

「友達何人いる?」

「友と呼べる者は、大勢おりますが親友と呼べる者は三人です」

「その人たちが事故でみんな死んじゃって天涯孤独になってさらにあなたが操り人形みたいに宙ぶらりんになって、それでも生きていることに感謝していますってあなたは悟ったようにいえる?」

 あたしが無表情のまま淡々といったので、牧師は咳払いをして手を合わせた。

「今は辛くても生きている限りいいことがあります。人は皆、平等なのです」

「それどこのペテン師の台詞?」

「ペテ……」

「人は皆、平等だっていうのなら、あたしの両親も育ての親も婚約者も誰も死ななかったはずじゃない!」

 あたしがヒステリックになって叫ぶと、待機していた看護婦に鎮静剤を打たれた。

 気がつくと、また一人になっていた。

 看護婦の話だと、あの牧師は事情を何も知らず『辛い目にあっている患者さんを励まして欲しい』といわれただけらしい。

 悪いことしたわ……と思うほどの余裕さえ、あたしにはなかった。

 誰にどれだけ嫌われようと、構うことなんてない。

 だってあたしは、これ以上孤独になることなんてないんだから。

 入院生活も半年を越えた。

 幸いにも腕と足は骨折していたものの、折れ方が良かったらしく、くっつき易かったとのこと。

 怪我の何箇所かはどうしても傷が残ると、言いにくそうに先生が言った。

 腕と足、胸、お腹の傷は時間が経てば治ると言われたが、問題は顔だった。

 鏡を見たとき、あたしは言葉を失くした。

(これが、あたし?)

 頬に大きな切り傷、額に広がる火傷の跡、左目まぶたの裂傷は一歩間違えると失明していた。

 顔に包帯を巻いたままでの退院になった日。

 医療費は全て、トラックの運転手の親族から出されたとも教えられた。

 過失事故。

 トラックを運転していた人物が、誰でどんな人なのかは分からなかったけど、知りたくもなかった。

 ただ分かったことは、その人物も即死だったという事実だけ。

 孝治のお墓に手を合わせたかった。

 けど孝治のご両親は、まだあたしの顔は見たくないかもしれない。

 でも、いつか御礼に伺いたい。

 こんなあたしに、生きていた価値を教えてくれたのだから。

 入院期間は約十ヶ月だった。明日を見て前向きに――というのにはまだ、早い。

 退院の日。

 病院で預かってもらっていた所持品を受け取った。

 大破した携帯電話とボロボロになった財布。

 もう着ることが出来ない洋服。

 それらの所持品に、胸が痛くなる。

 本当だったら入院して意識が戻ると所持品を返してもらえる。

 けどあたしの場合、意識だけ戻った状態で辛いことを思い出す所持品を渡されても、精神的に負担がかかるだけだという病院長の気遣いだったらしい。

 実際に、財布があっても買い物なんていけないし、携帯電話は大破してしまっている。

「それと……これだけは本来、すぐにお返しすべきか迷ったのですが……我々にとって香坂さんが、これを見て勇気をもらえるかあるいは、そうでないのかを判断するに至らず、今になっての返還をお詫び申し上げます」

 最後に差し出されたのは、小さな箱に入った指輪だった。

 他の所持品がボロボロになっているのに、この箱だけは、十ヶ月前と変わらず綺麗な形を保っていた。

「……ありがとうございます」

 その気遣いで、少し救われた気がする。

 最初にこれを渡されていたら、ショックで迷わず自殺をしていたと思う。

「そしてもう一つ。木村さんのご両親からの、手紙です」

「……!」

 びっくりしてそれを受け取り、開く。

 内容はそれほど長くはなかったけど、ゆっくりとそれを読んだ。

 指輪を一度指にはめた後、もう一度箱に戻す。

「先生、最後に一つだけお願いがあるんですけど……」

「何ですか?」

「孝治のご両親に、この指輪が届くように発送してくれませんか。孝治のお墓に一緒に入れておいて下さいって、あたしからの伝言を添えていただきたいんです」

「香坂さんは……それでよろしいんですか?」

「はい。あたしが直に孝治のご両親に会いに行くと、今はまだ嫌な顔をされると思いますし、勿論、これを返せって言われたわけでもないです。ただ、あたしが天国に行った時、もう一度彼からあたしの指に、通して欲しいので」

「……分かりました」

 先生は頷いて承諾してくれた。

 頭を下げて、もう一度お礼を言って、外に出た。

 季節はもう、秋になっていた。

 病院を出るなり待っていたのは、眩しい太陽の光でも秋の風――でもなくて。

 無数の報道陣とカメラのフラッシュだった。

「香坂さんっ。ご生還おめでとうございますっ」

「退院おめでとうございますっ」

「おつかれさまですっ」

「今の心境を一言っ」

「傷はまた痛みますか?」

「事件のときの状況を詳しくお願いしますっ」

「一言っ」

「ひとことっ」

「ヒトコトっ」

 無遠慮に光るカメラのフラッシュ。取り囲む報道陣。

 握ったこぶしに力をこめる。もしも今、例えば鉄の棒でも持っていたら何も考えずに振り回したい。

 ご生還おめでとう?

 退院おめでとう?

 おつかれさま?

 どれだけ無遠慮で無神経な言葉なんだろう。

 挙句の果てには「雑誌にインタビューと顔写真載せてあげるから」って。

 事件の時の状況。

 ヒトコト……。

 だったら話してあげる。一言だけ。

 向けられたマイクに向かって、あたしがある言葉を発しようとした時――

「うわっ!」「な、なんだっ!」「あぶねえっ」「だれだっ!」

 カメラとマイクを持っていた報道陣が散り散りになった。病院の玄関先に、猛スピードで突っ込んできた車が強引に玄関先まで乗り付けたのだ。

 危うくも報道陣たちの間近で止まった車から、スーツを着た男が一人、出てきた。

 二十代半ばで茶色の、やや長めの髪。すらりと伸びた細身の長身。

 整った顔立ちと透き通るような綺麗な肌。

 男はあたしを見ると、一直線に歩み寄ってきた。

「どけ! 俺は綾の父親だ。娘の退院だから迎えに来てみたら、なんだこの騒ぎはっ!」

 男は大声で怒鳴ると、報道陣をかき分けてあたしの腕を掴んだ。

「お父様ですか?」

「お父さんっ、今の心境を一言っ」

「一言お願いしますっ。一言っ一言っ」

 男は手近なマイクを掴み、睨みつけるように報道陣を見回した。

「あんたらにとっちゃあこの事件は、『ヒトコト』じゃなくて『ヒトゴト』だろっ!」

 それだけを言うと、マイクを放り投げてあたしを強引に車の後部座席に押し込んだ。

 走り去る車を眺めて、報道陣はただ呆然とするしかなかった。

 車は病院を抜けて大通りを避けて、裏道に入った。

「シートベルトしておけよ。最近じゃあ後部座席もシートベルトしてないと注意されるからな」

「…………」

 車が大きく揺れるので、あたしは一応従うことにした。

「あえて大通りを抜けるって手もあるが、ちと騒ぎすぎたな」

 男はミラーを調節しながら、もう片方の手でハンドルを操作する。

「……あなた誰?」

 あたしは後部座席に座らされていたので、男の背中に問いかけた。

「あ? ああ、自己紹介がまだだったな。俺は氷室陽一。フリーのジャーナリストをやってる」

「ジャーナリスト?」

「まあ平たくいえば、さっきの方々のお仲間ってわけだ」

「父親を名乗ってあたしを助けたつもり?」

「ちょっと無理があったな。兄ってことにしておけばよかったかもしれねえな」

「別にどっちでもいいけど」

「とっさにうまい言葉が出なかった。悪かったな」

「生憎とあたし、あなたが喜ぶような話はしないわよ」

「分かってる。それよりおまえさん、あいつらにマイクを向けられた時、全然違うこと言おうとしてたろ?」

 あたしは答えなかった。

 でもその言葉は言わなくてよかったと思っている。とても汚い言葉だったから。

「どこに連れていく気?」

「車を変える。尾行されているかもしれねえからな」

 車は都内の立体駐車場に入っていった。

 三階に入り適当なスペースに駐車すると、今度は白いライトバンに乗るように言われた。

 今なら走って逃げられるけど、別にどうでも良かった。素直に後部座席に座った。

「普通乗用車だと中が丸見えだからな」

 氷室はポケットから鍵の束を取り出すと、うち一つを抜いてエンジンをかけた。

「それ全部、車のキー?」

「いや、車は二つだけだ。あとはアパートだとか倉庫だとか職場とか、色々だ」

 言いながら、黒色の帽子をこちらに放った。

「……なにこれ?」

「ニット帽だ。サイズがでかいから、顔も割と隠れるだろ」

 あたしは何も答えなかった。

「わるい。顔のことは極力触れたくなかった。それは重々承知だが、その包帯の下を見たがっている悪趣味な野郎も多いからな」

「……最低な人たち」

「ああ最低だ。それに俺も元々は、目的があってお前のことを調べさせてもらった」

「人のプライシバシー覗くなんて、それこそ最低の行為じゃない!」

「正義の行為だなんておもっちゃいねえさ。天涯孤独の女子高生。恋人とドライブ中に壮絶事故。ただ一人の生存者。奇跡の生還っ。傷だらけの天使、彼女は今……。

各マスメディアが我こそはと取り上げたい特集の見出しだ。コンビニの雑誌や、テレビではこの手の記事に嬉々として目を光らせる奴らがいる。他人様の不幸は蜜の味ってなあ」

「怒ることも通り越して、呆れるわ」

「その消費者さま、視聴者さまってやつあ、他人の不幸をテレビや雑誌越しで眺めて同情したフリをして、てめえが優しい心を持った人間だってことを理解したいだけなんだ。自分に降りかかった災難じゃなくてよかったってホッとしたいから、喜んで飛びついてんだ」

「あなたもその記事を取り上げたいジャーナリストの一人なんでしょ?」

 鋭く睨みつけてやると、氷室は「いや、俺は……ああ。まあ、そんなとこだ」と苦笑した。

「けどな……あんなやつらと一緒にするなよ。本当は俺は……いや、やっぱりいい」

 と、曖昧なことを言った。

 到着した先は、まだ新しい綺麗で大きめの新築だった。

「ここは?」

「俺の家だ。他に人はいねえから気兼ねする必要はねえぞ」

「……連れてってくれるなら、山か海のほうが良かったのに」

 ぼそりとつぶやくと、氷室は「なぜだ?」と訊いてきた。

「だってどっちも、自殺にはもってこいの場所じゃない。なんだったら、手伝ってくれる?」

 自暴自棄になっているあたしに、氷室は意外にも冷静な顔だった。

「死に場所を探すのはお前の勝手だが、他人の手を借りてまで自殺しようなんて思うな。死にてえなら勝手にしろ。だが少なくとも、俺の目の黒いうちは死なせたりはしねぞ……寝覚めが悪くていけねえからな」

 何が言いたいのかよく分からなかったけど、手伝ってくれる気はないみたい。

 むしろ止めるのね。まあいいわ。

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