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解けない魔法  作者: 黒猫
~あるシンデレラの物語~
10/23

雨の日

雨の日って憂鬱


決まってよくないことが起こるのは


なんでかな?

 帰ってすぐに、メイクを落とした。買ってきた服と靴を氷室さんに見せたりして、夕食の準備を二人でして、食卓についた。

「氷室さんって先生をやっていたのね」

「ああ、野上さんから聞いたのか。俺の本職だ」

「だからケーキの作り方とか、メイクについても詳しかったんだ」

「覚えたくて覚えた技術じゃねえが、今は役にたっている。ありがたいと思ってるさ」

 何か意味深な言葉だったけど、あたしがそれを詮索するのは興味本位でしかない。

「そうなんだ」

 とだけ答えた。

「……ところで綾、あの辺りでは時々、変なキャッチの奴が声をかけてきたりするが、気にするんじゃねえぞ」

 急に切り替わった話についていけない。

「なに、何の話?」

「いや、キャバクラだとかAVだとか、中にはちょっと強引に勧誘する奴もたまにいてな」

 付け合せのサラダを口に詰め込んで、氷室さんは早口でしゃべる。

 ああ、もしかして昼間泣いていたのを、ずっと気にしてくれていたのかな?

「実は今日、懐かしい友達にバッタリ会ったの」

「友達?」

 心なしかその表情は、少しホッとしたものに変わる。

「愛の告白をされちゃった」

「告白を? そりゃまた、急な話だな」

 氷室さんの表情からは、何も読み取れない。

「あたしには、大切な人がいるからってお断りしちゃったけど」

「そうか」

 しばらくの間、二人のフォークを動かす音だけが響いた。

「ねえ氷室さん。人はなんで泣くことが、恥ずかしいって感じるのかな。人が泣いてるのって、そんなに面白いのかな」

 コップに注がれた水を眺めながら、あたしは訊いた。

 卓巳兄ちゃんが涙を流してお別れを言った時、店の外から笑っている人がいた。

 あたしが氷室さんとの待ち合わせ場所に向かっている時、あたしが泣いているのを見て笑う人がいた。

 何人かがすれ違いざまに振り返って、ずっとあたしを眺めていた。

 笑いながら。

 泣いている姿っていうのは、事情を知らない他人から見ると実に面白くみえるのかもしれない。

 ニュースのインタビューで泣いている人がいると、いちいち目元をアップにして映している。

 そんなに涙が見たいなら、自分で鏡の前でずっと泣き続けていればいいのにって思う。

「なんでだろうな。人は悲しいと涙を流す。当たり前のことだし、子供は泣いても許されるが大人が泣くと恥ずかしいなんて言われたりもする。俺は、ちっとも恥ずかしいことじゃねえと思う。

むしろ、泣いている人間を指さして笑ったり、肉親の死や、辛い別れも悲しい時に恥ずかしいからって泣かない奴のほうが、よっぽど恥ずかしとはおもわねえか?」

「……そうだよね」

 あたしは氷室さんの顔を見て、もう一度、

「そうだよね」

 と言った。

「何で同じこと二回言っているんだ?」

 くしゃくしゃとあたしの頭を撫でてくれた。

 なぜかまた、涙が出そうになった。



 一夜明けての月曜日。

 昨日夜中に大きな雷が落ちて、目が覚めたまま眠れずにいた。

 何だか幸せな夢を見ていたような気がする。

 それはとても素敵だけど、夢だったのが残念。

 もう一度寝れば続きが見れるかもと思ったけれど、いい夢じゃなくて悪い夢ならいつも続きを見る。

 そのまま眠れず、朝を迎えた。

 ドアがノックされた。

 氷室さんの「起きてるか?」の声に「今日は学校休むから」と伝えた。

「体の調子でも悪いのか?」

 薬箱ならリビングにあるからな。とかそんな心遣いも嬉しいけど、

「平気。行きたいところがあるだけだから」

 と、断った。

「出かけたいところ?」

「その件で、城戸さんにお願いしているの」

「そうか。あいつを家に入れることは別に構わねえよ」

 ははっ、と笑われた。城戸さんのこと、信頼しているのね。

 一緒に朝食をとって、玄関先で氷室さんを見送る。

 先生のお仕事頑張ってね、と手を振ると、「講師のお仕事だ」と訂正された。

「出かける時は鍵だけはかけていけよ。それと、ガスの元栓も気をつけてな。それから――」

 子供に言い聞かせるようなことをいくつか言い残し、車で職場へ向かった。

 手を振って見送った。

 さて。あたしはまず、電話を使って学校に休むことを伝えた。

 本当だったら保護者が電話しなくちゃ許可してもらえないけど、あたしの場合は事情が知られているので問題なかった。

 次に財布の中から、先週もらった名刺を取り出して電話をかける。

『城戸ですっ。あ、綾ちゃんっスか?』

「おはようございます。前にお願いしていた件、いいですか?」

『あ、了解ッス』

 月曜日の朝、一時間だけなら大丈夫――そう言って駆けつけてくれた城戸さんは、慌てず騒がず、メイクをしてくれた。

「ごめんなさい。忙しいのに…」

「平気っスよ。それより、昨日のメイクは問題なかったスか?」

 最後は涙でグシャグシャになってしまった、とはさすがに言えなかったけど、おかげさまで充実した一日を過ごせたと伝えた。

「野上さんも最初はキツい人だと思ったけど、思ったより話しやすい人だったし」

「ホントっスか? オイラなんていつも、ちゃんとした格好しろとか変なアクセサリーはつけすぎるなとかダメ出しされるんスよ」

「アハハ、そうなんだ?」

 城戸さんは確かに、両手両耳には沢山のリングやピアスをつけていて(勿論、メイクの時は外してくれているけど)独特のファッションをしてるなとは思う。

「今日はオシャレをされて、どこにお出かけすか?」

 あたしは昨日買った服を先に着てから、メイクをしてもらっていた。

 褒められるとやっぱり嬉しい。

「野上さんに借りていた衣装を返しにね」

 目的はそれだけじゃなかったけど、あえて場の雰囲気を重くして城戸さんに気を遣わせるのも嫌だから、それだけしか言わなかった。

 日に日に城戸さんのメイクが肌に馴染んでいくような気がする。

「どんな時も手を抜かないのがオイラのモットーですからっ」

「ありがとう。いつもいつも本当にっ」

 いつもなんだかんだで言えなかったお礼をやっと伝えることができた。

「こちらこそ、どういたしまして」

 太陽のように明るい笑顔で、城戸さんは答えてくれた。

 次の仕事場へ行くついでだから――ワガママついでに、城戸さんの車に乗せてもらい、適当な場所でおろしてもらった。

 ジムニーっていうらしく、軽のジープらしい。

 車から降りて昨日買ったばかりのコートを着て、城戸さんの車が走り去るまで見送った。

 それからあたしは、目的地へ向かって歩き出した。到着するまでにちょうど、花屋さんがあってよかった。

 お供え用の花を買い、孝治のお墓がある墓地に、到着した。

 十二月に入り肌寒い。

 空模様も少し怪しかったけど、今日の十二月七日は孝治の誕生日だった。

 寒々としているのは気温や空模様のせいだけじゃなくて、誰もいない平日のお墓はまるで、あたしの心を反映しているみたいだった。

「あ……」

 先客がいた。

 手を合わせるでもなく、その女性は孝治のお墓の前に立っていた。

 五十代くらいの、年配の女性だった。その人があたしに気付いた。

「こ、こんにちわ」

 頭を下げると、女性は優しく微笑んだ。

「香坂綾さん?」

「え? あ、はい」

 その声に聞き覚えがあった。

 あたしが入院していた時、病院に来られていた、孝治のお母さん。

 あの時はカーテン越しでお互いの顔は見えなかったけれど、こうして面と向かって会うのは始めて。

「えっと…」

『何であの子だけ生きているのっ!』

『孝治を、孝治を返してよっ!』

 あの時の叫び声を思い出して、あたしは言葉に詰まってしまう。

 そうよね。

 今日は息子さんの誕生日だったんだがら、家族の方が来ているのは当然じゃない。

 あたしなんかが来ちゃ、いけなかったかな。

 花を抱えてうつむいていると、孝治のお母さんは優しく微笑んだ。

「ありがとう。今日は孝治の誕生日だって覚えていてくれたのね」

「……はい」

 緊張したけれど、あたしだってこの為にここに来た。

 孝治のお墓の前で、手をあわせた。

「前にも一度、来て下さったのね。新しい花が活けてあったから……」

「はい」

「もう、お体のほうはいいのかしら?」

「ええ、おかげさまで」

 あたしたちはしばらく黙ったまま、孝治のお墓の前に立っていた。

「あのときはごめんなさいね。ほら、あなたが入院されて間もなかった頃の……」

「いえ、そんなこと…」

「あの時は確かに辛かったし、あなたを恨んだけど、旦那も言ってたの。最愛の人を守って死ぬなんて、あいつも立派な最期だったって。悲しいけれど、これは事故。あなたを恨むなんてお門違いもいいところだったわ。

辛いのは、あなただって、同じなのにね」

「……」

 あたしは何も言えなかった。

 肯定も否定もできなかった。

「ずっと気になっていたの。あなたに酷いことを言ってしまったって。今日はあの子の誕生日だから、あなたが来てくれるんじゃないかと思って、待っていたのよ」

「そうだったんですか」

「救われた、なんて変な言い方だけど、きっとこの子が巡り会わせてくれたのね」

 空の色は優れないのに、孝治のお母さんの顔は、晴ればれとしていた。

「ええ、そうですね」

 あたしたちは線香をあげて花を添えた。

 あたしは先日の買い物で買った誕生日プレゼントを出した。

 孝治がいつか付けてみたいと言っていたシルバーのピアスを供えて、手を合わせた。

 不意に空が暗くなる。

 今朝見た天気予報では、午後からの予報は晴れになっていたのに、空模様が怪しくなってきた。

 あたしは孝治のお母さんに挨拶をすると、足早に駆け出した。

 雨に降られてしまうと、メイクが溶けてしまって大変なことになる。

 それに買ったばかりの服と返すつもりで持ってきた野上さんの服を汚したくなかった。

 手ごろな喫茶店を見つけた。間一髪、店内に滑り込むと雨がぽつりぽつりと降り出して、瞬く間に大雨になった。

 ここでしばらく雨がやむまで待って、それでもずっとやまなかったらタクシーで帰るしかない。

「いらっしゃいませ。ご注文は」

「ホットコーヒーを一つ」

 と注文して、あたしは雨の一粒一粒を眺めながら、それを涙に例えてみたりした。だとしたら泣いているのは誰? 空が泣いているのかな。

 雑誌やラジオにも興味がなく、ただぼんやりと雨が通り過ぎるのを待っていると、雨は通り雨だったみたいで、すぐに晴天が戻った。

 雨宿りをする必要はなくなったけど、せっかくコーヒーを注文したんだし、ぼんやりと外を眺めてみた。

 二人の男女が別の店から出てくるのが見えた。

 あたしと同じく、雨宿りのつもりでどこかのお店に入っていたのかもしれない。

 あれ?

 男性のほうには見覚えがあった。

 覚えがあるも何も――いつも色違いのシャツを着て、ネクタイを締めてビシッとしたスーツを着て出かける。

 いまどき銀行で働いている人だって私服なのにとあたしが笑うと、これが俺のスタイルだとかっこつけていた人。

 氷室さんだ。

「お仕事って講師をしてるんじゃ……」

 隣にはモデルさんか女優さんかって思うほどの、栗色の長い髪の、びっくりするくらいスタイルがよくてすっごい美人の女性がいた。

 二人は親しげに笑いながら、話しながら、女性は氷室さんの腕に抱きついたり、氷室さんは優しい笑顔でそれに応えていたりしていた。

 傍目からみてもそれは兄妹とか友達同士というよりは、恋人同士だった。

「お待たせしました」

 と言われたか言われてないのかは分からないけれど、テーブルにはいつの間にかコーヒーが置かれていて、あたしはそれを口に運ぶ。

 砂糖もミルクも入っていないコーヒーは、とても苦かった。

 何だか妙に苦かった。

 これってコーヒーじゃなくて、別の何かってくらい苦かった。あたしは一気にそれを飲み干した。

 けれど苦い苦い液体は、あたしの心を黒く染めるわけでも何でもなく――すんなりと胃に到達すると、今度はじんわりと熱さが込み上げてきた。

 そっか。とあたしは内心つぶやいた。

 氷室さんくらいの人だったら、お付き合いされている方がいても何も不思議じゃない。

 あたしと暮らしているからと言って、恋人同士でも兄妹でもないし、ましてや親子でもない。

 何で今まで、気付かなかったのかな。

 あたしはズキン、ズキンと痛む胸を押さえて、店を出た。

 野上さんに衣装を返しに行く目的もあったのだけど、不安定な空を見ているとこの先も安心できない。

 それに――

 あたしは手を上げてタクシーを止めると、氷室さんの家を告げた。

「……」

 部屋に戻ってくると、妙な寂しさを覚えた。

 普段、平日の学校へ行っている間以外は、土日だったら必ず氷室さんがいてくれた。

 約三ヶ月足らずの、あたしが生活していた部屋。

 服があり靴があり、氷室さんが揃えてくれた生活雑貨の数々。そのどれもが、輝いて見えた。

「うん……」

 帰り道にタクシーで寄ったカバン屋さんで、旅行用のアタッシュケースを買っておいたので、それに荷物を詰める。

 出ていこう。この家を。

 よく考えてみると、あたしはこの家にいることで迷惑ばかりかけた気がする。

 氷室さんは毎日の食事と洗濯をしてくれて……たまにあたしもやっていたけど。平日はあたしを学校に送ってからの出勤。

 帰りは絶対、校舎の前で待っていてくれたし、休みの日には退屈させないようにって楽しませてくれた。

 けど、氷室さんが自分の為の時間って、ちゃんととれていたのかな。

 今日一緒に歩いていた彼女さん? だって、一度も家に連れて来てないみたいだし、あたしがいるせいで遠慮されているのかな。

 氷室さんに出会わなかったらどうなっていただろう。

 一人ぼっちで家に帰って、連日マスコミに追われて、事故のことを話せ、今の心境を話せと迫られて。

 きっと凄く汚い言葉をカメラに向かって叫んだ後、焼身自殺か何かをしていたかもしれない。

 香坂家にもずいぶん長い間、帰っていないから、ガス、水道は止められているかもしれないけど――

 コンビニエンスストアとか漫画喫茶という便利なものだってあるんだし。

 心残りなのは、さよならの挨拶をせずに出ていくことと、野上さんに服と靴を返せなかったことかな。

 何も言わずに出て行くと心配させてしまうから、置手紙を残していこう。

 どこがいいかな。

 あたしの寝泊りしていた部屋とか、二人で食事をしていたリビング。

『起きているか?』

 いつも起こしにきてくれていったっけ。

 子供じゃないんだから。お節介なんだからって思ってた。

『メシにしよう。腹減ったろ、今から、作るからなっ』

 そんなに慌てて帰ってこなくたって、自分でどうにでもできるのに。

「単に一人で夕ご飯食べるのが寂しいだけじゃないの?」

 あたしが冗談めかして訊いてみると「馬鹿いうなっ」て言い返してくると思ったけど。

「……ああ、そうかもしれないな」

 素直にそう言われた時は、何だか悪いこと言った気になっちゃった。

 思い出の詰まった場所にさよならの置手紙なんて、無神経なことはしたくないし。

 あちこちをうろうろしていると、今まで一度も踏み込んだことのないドアの前に来た。

 鮮やかな茶色のドア。

 ネームプレートも貼ってないけれど、誰の部屋かすぐ分かった。

 コンコン。

 ノックをしてみる。勿論、返事は無い。

「最後だし、いいよね……」

 理由をつけてノブをひねった。鍵はかかっておらず、あっさりと開く。

 キッチリと整理されたシンプルな部屋。

 タンスがあってベッドがあって、デスクにパソコン、本棚には資料かな? たくさんのノートと本が入っていた。

 デスクの上に置いていこうかな。

 部屋に入って手紙を置こうとすると、パソコンの陰で見えなかった場所に写真立てが見えた。

 自然とそこに目が動く。

 あたしは動揺して固まった。そこには氷室さんと、知らない女の人が写っていた。

 二人は手を組んでいて笑っているんだけど、服装はタキシードとウェディングドレス。

 これって、結婚式の写真?

 その女性は、何となくあたしに似ていた。

 勿論それはあたしじゃないし、あたしのお母さんでもない。

 あたしが動揺した理由は、そのことじゃなかった。

「氷室さん…結婚していたんだ」

 でもここに写っている女の人は、今日一緒にいた人じゃない。

 だとすると、この人は誰なんだろう?

 疑問が浮かんだけど、それをあたしが知ってもいいことじゃないし、知る権利がもない。

 割と長い時間そこにいたような気がする。

 どれくらい経ったかな。

 手紙を置いて部屋を出ようとした時――

 部屋の外に立っている人にも気付いてなかった。

「綾?」

 開けっ放しだったドアの向こうには、氷室さんがいた。

 あたしは驚いて頭が真っ白になって、わけが分からなくなった。

「なんで氷室さんがここにいるの?」

「俺が自分の家にいたら変なのか?」

「そうじゃないけど、だって今日、仕事は?」

「昨日の夜中に落ちた雷のせいで電気系統がイカれてな。講義は中止。今朝から緊急工事をやってた。俺がいてもやるこたあねえし、今日は有給にして切り上げてきた。あの状態で講義をしても生徒たちにわりいしな」

「あ、そうなんだ」

 納得。

「で、お前は何故俺の部屋にいるんだ?」

「いや、あの、話せばややこしいことなんだけど……」

「リビングに置いてあったアタッシュケースは何だ? 旅行にでも行くつもりだったのか?」


(出ていくつもりだったの)


 本人を前にして、ハッキリと言い出せない。

「まあ、そんなところ。氷室さんこそ、一緒にいた女の人はどうしたの?」

 隣に居るはずの女性が見当たらない。

 かといってあれは、人違いじゃなくて、紛れもなく氷室さん本人だった。

「ああ、エレナのことか。なんで知っているんだ?」

「喫茶店から、二人のことが見えたの。綺麗なモデルさんみたいな人と一緒にいたよね? まるで――恋人同士みたいだったけど」

「ああ、そっか、見られていたのか」

 少し困った顔をしてるけど、まんざらでもない様子。

「だからあたし――」

 邪魔になっているんじゃないかと思って。

 言いだす前に、氷室さんが口を開いた。

「だが、妹と一緒で恋人同士だと言われても、嬉しくはねえなあ」

「妹?」

「ああ」

「似てないけど」

「義理の妹だからな。実際の兄妹は、男と女でも似てるのが自然なのか?」

「……それは、分からないけど」

「帰り際にバッタリ会ってな。買いものに付き合って欲しいとさ。久しぶりに会ったから俺も楽しかったが」

「腕に手を回していたみたいだけど?」

「海外育ちだから、スキンシップは積極的だし、あいつは顔もいい。兄としては先行き不安なところもあるが」

「本当に義理の妹さん?」

「おいおい、なんの理由があって俺が嘘をつくんだ。それに、あいつが俺の恋人だったら、午前中いっぱいでバイバイするか?」

 ……言われてみれば。

「まだ学生だからな。これからデートなんだって言ってたぞ。ところで綾のほうは、ずいぶん詳しく見ていたみたいだが、今日学校を休んだ予定ってのは、俺の尾行をすることだったのか?」

「ち、違うわよっ!」

 孝治のお墓に行ってきたってことは、あえて黙っていた。

 ただ雨宿り先で見た光景は、あたしの早とちりだったわけだけど、何だかとっても恥ずかしいのとほっとした気持ちがごちゃまぜになっていた。

「何怒っているんだ? まあいいか。昼は食べたか?もし帰ってきているんだったら、一緒にと思ってな」

 お昼と聞いて、あたしのお腹がくぅっ。と鳴った。

「……うん」

 部屋を出ようとして、やっぱり写真立ての二人が気になってしまった。

 氷室さんはあたしの視線の先に気付いたみたいで、小さく寂しそうに苦笑した。

「……みたのか、それ」

「ごめんなさい。見るつもりじゃ、なかったんだけど」

 軽々しく他人が見ていいものじゃない――ってことは、氷室さんの表情で分かった。

「食事の準備、手伝ってくれるか?」

 そのことには触れず、氷室さんは背中を向けてリビングに向かった。

 あたしは黙って、その後をついていく。

「レタスをちぎってくれるか? ああ、包丁じゃなくて、手でやったほうがいいな」

「塩はどこ? あ、ごめん、あたし手に持ってた」

「油がはねるから、離れていたほうがいいぞ」

「お皿出すね」

「慌てて転ぶなよ」

 二人とも写真の話には触れず、食事の準備をした。

 レストランで出されるような豪華な食事が、テーブルの上に並ぶ。

「平日にお昼を一緒に食べるのって初めてね」

「不思議な感じだな」

「こんなに凄いお料理作れるんだったら、お店でもやればいいのに」

「……そうだな。田舎町の自然に囲まれた緑の中で、かといって山にも海にも近すぎず、人々が気軽に来れるような場所に、これまた人々が肩の力を抜いて食事できる洋風レストランとかな」

「いいじゃない。総料理長が氷室さんで、コックは桜さん、デザートは徹さん、あたしはウェイトレス」

「野上さんに衣装担当、雄介にお色直しのメイク担当、結婚式場にするってのも面白い」

「凄いっ。具体的なプランがもうあるんじゃないっ」

「ああ――いずれ店を始める、つもりだったからな」

 つもりだった。

 過去形の言葉にあたしはきっと、言っちゃいけないことを、言ってしまったと気付く。

 料理上手だしお店でも開けば。

 それはきっと普段の会話なら「そうだな。じゃあ明日から始めるかっ」とか、そんな気はなくても冗談で返してくれたと思う。

 きっとそれが過去のことになっているのは、あの写真に写っていた人との約束だったから。

「……妻の睦月(むつき)とは幼馴染でな。俺はあいつのことが昔から好きで、あいつもどうやら、俺のことが好きだったらしい。まあ言うなればお約束ってやつなんだが、現実では好き合っていたからって即くっつけるかというと、これは別問題だ。

 子供じゃないんだから、好きだからじゃあ将来結婚しましょ、付き合いましょって簡単にはいかねえ」

「うん、それは分かるわ」

「まあ、色んな事情があってな。迷いながら遠回りしながら、やっと式を挙げたのが五年前。その一年と三ヵ月後に、俺たちは別れた」

「別れ……どうして?」

 氷室さんは手元の、残った料理に目を向けたまま、少し黙っていた。

 あたしは急かすこともなく、ただ黙って待っていた。

 しばらくして。氷室さんは水の入ったグラスを回し、自嘲気味に笑った。

 氷がクラスに当たり、カランカラン、と音がする。少しだけ、風鈴の音に似ていると思った。

「料理にメイク、ファッションアドバイサー。全てにおいて、天才だ鬼才だとちやほやされて、あちこちを飛び回っていた時期もあった。

 睦月には専業主婦をしてもらっていたんだが、ある日言われちまった。『あなたの作っていってくれる料理はとても美味しいけれど、いつも一人で食べる料理ほど味気ないものはないわ』って」

「……うん。それは、とってもよく分かる」

 それは本当に、独りを経験した人が分かる重みのある言葉だった。

 だからだったのね、と理解する。

 氷室さんがどうして、息を切らせながらも帰ってきて、できるだけ一緒に食事をしようとするのか。

 あたしを一人で寂しがらせない為だったんだ。

 それなのにあたしときたら――胸が痛くなる。

「あいつが寂しくねえようにって店をやろうと考えたのは、衝動的で突発的な俺の案だ。さっき話していたプランが、睦月と考えていた俺たちの未来予想図ってやつだ」

「田舎町の自然に囲まれた緑の中で、山にも海にも近すぎなくて」

「睦月の故郷が、そういうところだったからな。まあ俺は、どこでもよかった。あいつが居れば」

「じゃあ、じゃあどうして、二人は別れなくちゃいけなかったの? あたしなんかに、構っている場合じゃないじゃない!」

 思わず声を荒げたあたしに、氷室さんは優しい口調と優しい目で教えてくれた。

「睦月は死んだ。俺があいつの実家に迎えに行った時には、もう手遅れだった」

 死因は何? そんなことを聞くほど、あたしは野暮でも馬鹿でもない。

「そう」

 一言だけ返した。

「……つまらん話をして悪かったな」

 料理には半分も手をつけてないままに、氷室さんは席を立った。

「ねえ。一つだけ聞いてもいい?」

「何だ?」

「あたしが睦月さんに似ていたから、助けてくれたの?」

「……俺は、妻に似ているというだけで、一人の人間をずっと守れるほど器用でも不器用でもねえ」

「だったら……」

 なんで、と続ける前に、氷室さんが口角を吊り上げて意地悪な笑みを浮かべた。

「それにお前と初めて会った時は、包帯で顔を巻いていたろっ。どうして睦月と似ているって分かるんだっ」

「あ……」

「誰かの代わりなんていやしねえんだ。睦月は睦月で綾は綾だろ。俺今護ってるのは綾だ」

 それだけを言い終えると、くるり。とあたしに背を向けた。

「夜は何が食べたい? これから出かけるかも知らないが、夕飯までには帰ってこいよ」

 ……子供じゃないんだから。

 あたしはその背中に向かって、舌を出した。

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