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解けない魔法  作者: 黒猫
~あるシンデレラの物語~
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クリスマス前夜

某サイトで掲載させていただいていた小説を、こちらでも掲載させていただくことになりました。私をご存知の方がおられましたら、お知らせください。

 十二月の時期はどこか切なくて――無性に泣きたくなるのは、この時期に悲しい出来事が沢山あったからだと思う。

 ガラス越しに見える街の灯りは蜃気楼みたいに揺らめいて――

 あたしもその中に溶けてしまいたい。

 春の訪れと共に消える、雪みたいに。

「どうかした?」

 声をかけられて、はっとする。

 夢から覚めたみたいに、現実が形を取り戻した。

「ごめんね。少し、ぼおっとしちゃった」

 夜景が見えるレストランでの慣れない食事に、あたし、香坂綾(こうさかあや)は、緊張していた。

「奇遇だね。ぼくもだよ」

 目の前に座っているスーツの男性、木村孝治(きむらこうじ)くんは、照れ笑いを浮かべた。

「久しぶりに食事でも」

 そう言って誘われた時は、いつものファミレスかラーメン屋かと思ってた。

 迎えに来てくれた木村くんは、スーツ姿。

 就職の面接にでも行ってきたのかな?

 深く考えていなかったあたしを、いつもよりぎこちない木村くんが連れて行ってくれたのは、ミシュランで三ツ星をつけられた夜景の見えるレストランだった。

「今日って、何かの記念日?」

「いや。ただの平日さ。だけどぼくらにとって、特別な日になるかもしれない」

 意味深な木村くんの言葉に、あたしは「ふうん?」と答える。

 素直にいうと、理解できなかった。

 お店からワインを勧められたけど、彼は車の運転であたしは未成年で、と丁重に断った。

 代わりに新鮮なグレープジュースをグラスに注いでもらって「ワインみたい」と笑いながら乾杯をした。

 夜景を眺めて感傷に浸っていたあたしは、改めて木村くんを見た。

「このお店、結構高いんじゃない?」

「綾は気にしなくていいよ。大丈夫だから」

 そう言う木村くんは終始ぎこちなくて、何が大丈夫なのかと訊きたくなった。

 食事を終えて外に出ると、冷たい風があたしたちを包んだ。

 今年の冬は特別寒くて、夕方からの予報は雪らしい。

 四時を過ぎた辺りから段々空模様が怪しくなってきて、曇っているのか夜なのかの判断もつかないままに、街は宝石箱を引っくり返したようにきらびやかなクリスマスのイルミネーションを、その身にまとっていた。

「送っていくよ」

 木村くんがいつものように助手席のドアを開けてくれた。

 あたしは「ありがとう」と言って車に乗った。

「タバコ吸ってもいいかな?」

「うん」

 彼はタバコを吸うとき、必ず一言断ってくれる。

 窓が開いて、生まれたての煙がゆっくりと外に流れていく。

 ――空から白い羽が舞い降りてきた。

 あたしは窓から手を伸ばしてそれを手のひらで受け取った。

 すっ……と消えてしまった。

 羽だと思ったのは雪だった。溶けて消えたのだ。

 木村くんがハンドルを握ったまま、顔をこちらに向けた。

「どうしたんだい? 綾」

 木村くんがハンドルを握ったまま、顔をこっちに向ける。

「よそみしないでっ」

「大丈夫だよ。綾は心配性だな」

 ははっ。と笑いながら、小さな子供をあやすように、彼の手があたしの頭を撫でる。

 大きくて温かい、男の人の手。

「……あなたの吐いた煙が、羽になって落ちてきたのかと思ったの」

 笑われるかもしれないけど、別にいいと思ってそう言った。

「羽? なんのことだい?」

 それには答えずに黙っていると、彼も外に気付いた。

「あっ! 雪だ。今年の初雪じゃないか」

 今年で二十歳になったのに、子供みたいなはしゃぎかた。

 思わず笑ってしまった。

「綾にはこの雪が、煙が羽になって落ちてきたように見えたのかい?」

「そう見えただけよ」

 少しムキになって言い返してみる。

「だとすると、ぼくはまるで魔法使いだなあ」

 彼はいつも困った顔をして、どうにかあたしを笑わせようとしてくれる。

 木村くんとあたしが知りあったのは一年前。

 彼は十九歳であたしは十六歳だった。

 家にも学校にも居場所がなくて孤独な毎日。

 両親はあたしが六歳の時に他界した。小学校の入学式を一週間前に控えての、突然の出来事。

 飛行機の墜落事故だったらしい。

 親の顔はあまり覚えていないけど、幼い頃父と母と三人一緒に川の字になって寝た記憶がある。

 親戚の家を転々として、最終的に孤児院に預けられたあたしは、十三歳までそこで過ごした。

 それから、子供のいない香坂夫婦に引き取られて、あたしの姓は『香坂』になった。

 誰かの優しさとか温かさなんてわずらわしくて。

 差し出された手を振り払って、優しい言葉に耳を塞ぎ、温かな家族という居場所から逃げていた。

 けど。ほんの些細なキッカケで、あたしたちは『家族』になることができた。

 あたしが手にした、束の間の幸せの記憶。

 母の日にカーネーションを送り父の日には白い薔薇を送った。

 あたしが初めて、プレゼントを渡した日。

 父も母も、涙を流して喜んでくれた。

 いつも羨ましかった、温かな家庭。

 あたしが欲しかったものは、素敵なドレスでもおいしいごちそうでもなくて、パパとママのいる普通の家族。

 そんな当たり前の日常。

 ある日父が過労で倒れ入院が決まった。

 病院に通いつめていた母も、何かの病気をわずらっていて、すぐに入院することになった。

 後で聞いた話だけど、父は母の為に手術代を稼ぐため、昼夜問わず必死になって働いていたらしい。

 あたしを引き取ることなんてなかったら、もっと平穏に暮らせていたはずなのに。

 あたしはお見舞いにいった病院で、母と父にしがみついて、声を上げて泣いた。

 母の病気が何だったのか、あたしはよく知らない。

 母は病院のベッドであたしの手を握り締め『大丈夫だから』と笑った。

「お前が来てくれたおかけで、わしらは本当に幸せだった。心残りがあるとすれば、綾の花嫁姿が見られないことだな」

「何弱気なこと言っているのお父さん。綾、大丈夫よ、私たちは大丈夫だからね」

 そしてそれが――あたしの見た父と母の最期。

 あまりにも突然で。

 言葉も出なくて。

 涙も出なくて。

 呆気に取られていた。

 ただ呆然と、お見舞いの花を持って、病室の前で立ちつくしていて。

 日が昇ってから落ちるまで、多分ずっとそこにいたんだと思う。

 嘔吐した……ような気もする。

 ずっと、ずっと、冷たい風が吹き込む廊下の先を眺めていた。

 気がついたのは病院のベッド。

 腕から伸びる点滴が、母の腕に付けられていた点滴を思い出してまた泣いた。

「精神的なショックが大きすぎたんだね」

 なんて言って、お医者さんが安定剤をくれた。

 元気を出しなさいなんて肩を叩かれたけど、他人事だから笑顔でそんなことが言えるんだ。

 世界は暗澹としたものになり、無気力な日々が続いた。

 あたしは『両親』を二度無くしたのだ。

 その日以来、あたしは笑顔を無くした。

 涙も無くした。

 心も、無くした。

 それでも生きている限り、日々の生活で眠たくはなるし、お腹もすく。

 心はもう無いのにあたしは生きている。

 誰にも必要とされず、誰にも見つけてもらえず、まるで物置の奥で眠り続ける人形のように。

 ただ生きているだけの生活が、半年続いた。

 ある日、特にあてもなく街を歩いていると、声をかけてきたのが木村くんだった。

 いきなり腕を掴まれて、抱きしめられた。

「……」

 ひとさらいでも通り魔でも、何でもよかった。

 いっそ殺して欲しかった。

 無表情で見上げるあたしに、彼は言った。

「――ごめん。放っておくと、消えてしまいそうだったから」

 名前も知らないあたしを。

 日が差すと地面に伸びる黒い影のようなあたしを、彼が見つけてくれた。

 彼も言う。無我夢中だったんだよ。

 あの時の綾は、火のついたタバコみたいでさ。

 放っておけなかったんだ。

「なにそれ?」

 あたしにはその例えが分からなかった。

「火のついたタバコってのはジリジリと短くなって最後は煙と灰だけになって消えちゃうだろ? 綾が……死に場所を探しているように見えたんだ」

 彼もあの頃の話をちゃんと覚えている。

 あれからもう一年。

 今はぎこちないけど、ちゃんと笑顔もつくれるようになった。

 けど涙は出ないのは、きっと心が空っぽだから。

 何もかもが満たされるのは、まだ早すぎると思っていたから。

「ちょっと寄り道していくよ」

 木村くんがハンドルを回して、いつもの道を外れた。

「どこに行くの?」

「それはついてからのお楽しみ。目を閉じてなよ」

 優しく微笑むと、車はゆっくりと坂を上り始めた。

 どれくらい坂を上っただろう。

 もういいよって合図で目を開くと、さっきとは比べ物にならない程の綺麗な夜景が目に飛び込んできた。

 街を彩るネオンの一つ一つが、散りばめられた宝石のように輝いている。

 その光景の中心に、大きな時計台が設置されていて、いっそうきらびやかな色彩を放っていた。

 この夜景と比べると――さっきのガラス窓越しに見る夜景なんて、テレビで見る景色のように、リアリティがない。

「すごい……」

 あたしは息を呑んだ。

「凄いだろう? 明日はこの場所も一杯になっちゃうからね。今のうちに綾に見せておきたくて」

「明日?」

 何だろう。そう思っていると、どこから出したのか小さな箱を持っていた。

「なにこれ?」

「プレゼントだよ」

「今日はやっぱり、何か特別な日だった?」

 あたしが念を押すと、彼は小さく笑った。

 よく分からないまま、装飾のリボンを解いて箱を開ける。

 中にはまたまた小さな箱が入っていた。

「あけてごらんよ」

 装飾のリボンを解いて箱を開ける。

 箱の中に箱なんて、からかわれているのかな?

 文句の一つでも口から漏れそうになった時、もう一つの箱の中から出てきたのは、指輪だった。

「え?」

「一日早いメリークリスマス。そして綾……」

 木村くんはずっとぎこちなかったけど、その態度は今、最高潮だった。

 何を言いたいのか頭の中で整理しきれていないみたいで、何度も「あのっ、そのっ」を繰り返した。

「深呼吸して落ち着いたら?」

 あたしが笑うと、彼は大きく、二回、三回と深呼吸して、真っ直ぐにあたしを見た。

「綾。ぼくと、結婚してほしい」

「……は?」

 この人は突然、何を言い出すのだろうと思った。

 事態が突然過ぎて、全く飲み込めないでいた。

「え? 結婚? だってあたし、まだ高校生だよ?」

「卒業まで待つ。それにぼくも来年から、真面目に働くからっ!」

「へ? え?  なんであたし?」

「綾を、守りたいから」

 彼は続ける。

「綾は今でも、無くしたご両親のことを想われている。その気持ちはとてもよく分かるんだ。だけど他人であるぼくが、どれだけ理解しているのかと言われれば、何も言えない。

ただこのままだと、綾自身が消えてしまいそうだったし、君の亡きご両親を悲しませたくない。ぼくも、勿論。それが答えだよ」

 不意に目の前がぼやけた。

 自然と溢れた涙で視界がぐしゃぐしゃに歪んで、なんにも見えなくなっちゃった。

 あたし、今、泣いているんだ。

 嬉しくて泣いているんだ。

 信じられなくて、泣いているんだ。

 クリスマスって神様の誕生日?

 あたしは今気付いたことが二つある。

 これが木村くんの言ってた特別な日になるかもってこと。

 そしてもう一つは、神様って――本当にいるんだってこと。

「うん、喜んで……」

 あたしはそういって頭を下げた。

 少し強めに降り出してきた雪が、あたしたちを包む。

 寒かったけど、風も雪も、祝福してくれてるみたい。

 また涙が止まらなくなった。

 心残りといえば、あたしの両親に報告ができないこと。

「ねえ木村くん」

「木村くんはやめて欲しいな。俺の名前は、孝治だよ」

「分かった。孝治……」

 不動だったあたしの心臓が脈打った。

 ああ、これって恋なんだ。

 これが、恋なんだ。

 生まれて初めての恋。

 ずっと友達だと思っていた孝治からの思いがけない一言で、幸せに満たされる。

「あたし、料理の練習するわ」

「楽しみだな」

「しばらく孝治のアパートから学校に通うからっ」

「いや、ぼくが綾の家に行くよ。アパートは引き払うさ」

「でも……」

「大丈夫。光熱費とか食費は、ぼくがなんとかする。貯金ならあるんだ、この一年で貯めた蓄えがある」

 孝治の笑顔は、優しさに満ちていた。

「嬉しい。あたしの居場所、やっと見つかった。もうあたし、一人じゃないんだね……」

 孝治の手があたしの頭に触れる。

 心が温かいもので満たされる。

 そして、孝治の手から伝わる体温が、気持ちが、言葉があたしに沁み込んでくる――

 あたしは思った。

 ああこれが、こういうのが、恋なんだ。

 いつしかあたしは、ゆっくりと夢の世界に誘われて――

 目が覚めたのは、物凄い衝撃によって世界が反転していたからだった。

 車全体が上下左右どの方向に揺れているのか分からなくて、激しい痛みが全身を襲った。

 体中のあちこちから血が流れているのが分かる。

 痛い。というよりも熱い。

 遠くてサイレンの音が聞こえる。

 孝治は……どこ?

 手を伸ばそうとするけれど、うまく動かない。

 顔が頭が熱い。

 雪で冷やさなきゃ。

 孝治は……。

 目をこらそうとするけど、うまく開かない。

 神様、どうか孝治を見つけてください。

 ぼんやりする意識の中で、車外に放りだされた孝治を見た。

 指輪の入った箱をしっかり抱えて、守っていた。

 遠くから聞こえるサイレンにあたしはホッとした。

 よかった。孝治、助けがきてくれたよ。

 歩み寄ろうとしているのに、足が動かない。

 孝治って呼びたいのに、口が動かない。

 孝治の無事を確かめようと、目を開けていたいのに――目が開かない。

 そしてあたしの意識は、闇におちていった。

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