↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生したら豊臣秀頼だったので、大坂の陣を起こさせません ~MBAホルダー、豊臣家の事業承継に挑む~  作者: 東雲 諒杏
第一部「天下人の忘れ形見」                                    第一章 四度目の転生

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
2/140

第2話 残せ


【豊臣家滅亡まで 残り6,120日】


 暗闇の奥から、一人の男が歩いてきた。


 後光はなかった。金色でもない。黒い小袖に、細い身体。そして、人を待たせることを当然だと思っている歩き方。


「……上様」


 織田信長が立っていた。


「久しいな。日向守」


「はっ」


 答えてから、しまったと思った。さっきまで黒瀬直人だったのに、一秒で明智光秀の返事をさせられた。最悪の上司である。死後まで強い。


 信長は口元だけで笑った。


「黒瀬、と申すのであろう」


「……お聞きになっておられたのですか」


「最初からな」


「でしたら、最初からお出ましください」


「面白かったゆえ」


 二十年かけてかなり改善したはずなのだが、根本は信長である。


「……上様。なぜ、こちらに」


 上様は、生きておられるはずだった。俺が死んだ文禄五年、上様は、まだ、安土にいた。


「死んだゆえ」


 さっきの秀吉と、同じ答えだった。


「慶長三年、六月二日。安土の城で、畳の上でな」


 六月二日。本能寺の日だった。あの世界では燃えなかった寺の、その日付に、この人は、畳の上で死んだのだ。


「おぬしに、伝えよと、言い置いてきた。……届かなんだゆえ、自分で来た」


「何を」


 信長は、少しだけ、顔を背けた。


「十六年、遅れた」


 本来の本能寺の年から、十六年。この人は、十六年、遅れて、死んだ。俺が、遅らせた十六年だった。


 秀吉が慌てて平伏した。


「上様」


「筑前。黙っておれ」


「はっ」


 一言で黙った。天下人になった男でも、この人の前では草履取りの顔に戻るらしい。


 信長は俺の前まで来た。


「断ったそうだな」


「お断りいたしました」


「なぜだ」


「さすがに、疲れました」


「そうか」


 信長は即答した。否定しなかった。


 俺は少し驚いた。かつてなら「働け」で終わっていた男だ。


「ならば、休め」


 言葉を失った。


「……何日、お休みをいただけるのでしょうか」


「好きなだけだ」


「まさか、三日ではございませんよね」


 信長が顔をしかめた。


「まだ言うか」


 俺は笑った。あの日、安土で、熱を出した俺にこの男は言った。休め、三日でな。全部は、そこから始まった。休むことを知らない主君に、休ませる仕組みを作らせるまでに、何年かかったことか。


 信長は、しばらく黙って俺を見ていた。それから、珍しく視線を外した。


「日向」


「はい」


「二十年、大儀であった」


 耳を疑った。


 この人の口から、その言葉を聞いたことは一度もなかった。褒めることはあった。「で、あるか」と頷くこともあった。だが、労う言葉だけは、最後まで出てこなかった人だ。


「わしは、おぬしを一度も休ませなんだな」


「……三日は、いただきました。いえ、二日でした。減らされましたので」


「……二日だけだ」


 信長は、自分の手を見た。桶狭間で槍を握り、比叡山を焼き、天下の半分を掴んだ手だった。


「本能寺で死ぬはずだったわしを、おぬしは死なせなかった。死ななかったわしは、それから十六年、生きた。勘九郎が家を継ぐのを見た。孫の顔も見た。あれは、おぬしがくれた十六年だ」


 俺は何も言えなかった。


 主君に礼を言われたかったわけではない。そう思っていた。だが、胸の奥で何かがほどけていくのが分かった。二十年間、心のどこかでずっと待っていたのかもしれない。この人の、この一言を。


「上様」


「何だ」


「……もったいのうございます」


 光秀の言葉で答えてしまった。今度は、しまったとは思わなかった。


 信長は鼻を鳴らした。照れているのだ、と分かるまでに、二十年かかった。


「わしは、勘九郎に、十年前に、渡した。……渡せたのは、おぬしが、渡し方を書いたからだ」


 死の床で、上様がそう言ったと、この人自身の口から、初めて聞いた。


「なぜ、あれほど、勘九郎に肩入れした」


「後継者だったからではございませぬ」


「では」


「まだ、ご自分で何も選んでいなかったからにございます」


 信長が頷いた。


「ならば、同じだ」


 俺は黙った。


「筑前のために行けとは言わぬ。豊臣の天下を守れとも言わぬ。徳川を倒せとも言わぬ」


 信長は、平伏したままの秀吉を一度だけ見た。その目に、昔のような冷たさはなかった。


「猿」


「はっ」


「おぬしの倅は、おぬしに似ておるか」


 秀吉は平伏したまま、少し考えた。


「……母親似にござる。ようござった」


 信長が短く笑った。秀吉も、額を地につけたまま、肩を小さく揺らした。


 草履取りと主君。天下を継いだ家臣と、天下を取り損ねた主君。この二人の間にも、俺の知らない何十年があるのだ。俺が生きた世界の信長と、秀吉が生きた世界の信長は、たぶん同じ人ではない。それでも、この二人は笑い方だけで話が通じていた。


 信長は、ふっと笑みを消した。


「五歳の子が、親の失敗だけを理由に死ぬのは、気に入らぬ」


 そこで、信長は、少しだけ、黙った。


「……それに、あの子の母は、市の娘じゃ」


 声が、低くなっていた。


 市。お市の方。この人の、妹。


「わしは、小谷を、焼いた」


 信長は、自分の手を、見たまま、言った。


「長政を、死なせた。市の産んだ男子も、生かしてはおかなんだ。……市は、三人の娘を連れて、城を出た。娘ゆえ、連れて出られた」


 光秀だった頃、安土で、お市の方に、三度、会った。一度、万福丸の名を口にしかけて、止められた。《申しませぬ》。膝の上の手だけが、わずかに、動いた。


「わしの世の市は、それでも、安土で、生きた。茶々は、長じて、自分で、嫁ぎ先を選んだ」


 信長は、平伏したままの秀吉を、見た。


「猿の世では、違う」


 秀吉の背中が、小さくなった。


「猿の世のわしは、本能寺で、死んだ。市を守る者が、おらなんだ。市は、北ノ庄で、死んだ。茶々は、父を焼かれた城から、一度。母を焼かれた城から、もう一度。……二度、逃げた」


 信長は、目を閉じた。


「そして、この先、三度目の城で、息子と、死ぬ」


 誰も、何も、言わなかった。


「どちらの世でも。……あの娘の最初の城を焼いたのは、わしじゃ」


 信長は、目を開けた。


「わしは、市に、何一つ、返しておらぬ。……せめて、市の孫くらいは、残してやりたい」


 天下人の声では、なかった。兄の声だった。


 五歳の子は、この人の、妹の孫だった。天下の話を、しているのではなかった。この人は、自分が焼いた城から始まった一家の、最後の一人の話を、していた。


 目を閉じた。ずるい。秀吉より、はるかにずるい。この人は、俺が何を断れないか知っている。


「もう一度だけ、やれ」


「……」


「今度は、天下を取らせるな。勝たせる必要もない」


 そして、短く言った。


「残せ」


 蜀では、天下統一を捨てて国を残した。織田では、信長個人ではなく、信長がいなくても動く組織を残した。そして今度は、天下人の息子から天下を取り上げてでも、家と人を残せと言う。


 三度の人生で学んだものが、一本の線につながった気がした。


 俺は秀吉を見た。


「筑前殿。誤解なさらないでください。筑前殿の天下を取り戻すための仕事はいたしません。必要であれば、豊臣の領地も減らします。権威も手放していただきます。徳川にも頭を下げていただきます」


「……下げます」


 早い。さすが秀吉だった。


「筑前殿の成功体験も、すべて疑わせていただきます」


 秀吉は、今度はゆっくりと頷いた。それから、仏の顔のまま、ぽつりと言った。


「拾に、会うてやってくだされ。あれは、よう笑う子にござる」


 依頼ではなかった。自慢だった。死んでもなお、息子の話をするときだけ顔が崩れる。俺は、この男を少しだけ好きになりかけ、慌ててやめた。情が移る。


 視界に、もう一度表示が出た。


【緊急再建案件を引き受けますか】

対象 豊臣秀頼

年齢 五歳

豊臣家滅亡まで 残り十七年

はい / いいえ


「いいえ」は魅力的だった。非常に魅力的だった。


 その横から、信長が言った。


「押せ」


「亡くなられてまで、ご命令なさらないでいただきたく存じます」


「最後だ」


「上様の『最後』は、申し訳ありませんが信用しておりません」


 信長が笑った。秀吉も笑った。


 俺はため息をついた。


「……本当に、ろくな上司に恵まれませんな」


 そして、「はい」を押した。


 暗闇が割れた。金色が消えた。落ちていく途中で、信長の声だけが聞こえた。


「黒瀬」


「何でございましょう」


 少し間があった。


「今度は、ちゃんと休め」


 答える前に、俺は落ちた。


 香の匂いがした。畳の感触。絹の衣擦れ。遠くで、女が泣いている。


 身体が異様に軽い。手を上げると、小さかった。丸い。五本の指。幼児の指だった。


 見上げた天井には、金箔の雲が広がっていた。松が枝を伸ばし、鳥が飛んでいる。趣味がいいかどうかは意見が分かれるだろうが、途方もなく金がかかっていることだけは分かった。


「拾」


 女の声がした。


 横を向くと、白い顔の女がいた。美しい。だが、目の下に薄い影がある。眠っていない目だった。


 淀殿。浅井長政とお市の方の娘。豊臣秀吉の側室。豊臣秀頼の母。そして別の歴史では、大坂城で息子とともに死ぬ女。


 彼女は俺を抱き上げた。腕が震えていた。


「お目覚めでございますか。よかった。長う眠っておられたゆえ、母は……」


 そこで言葉が途切れた。


 泣いていたのは、この人だったのだと気づいた。俺が眠っていた間、この人はずっと傍で、息子の寝息を数えていたのだ。夫が死にかけている城で、息子まで目を覚まさないかもしれないと怯えながら。


「……ははうえ」


 口から出たのは、驚くほど自然な声だった。


 淀殿が俺を強く抱いた。香の奥に、微かに汗の匂いがした。何日も着替える暇もなかった人の匂いだった。


 部屋の隅で、年かさの女が袖を目に当てていた。乳母だろう。その横で、若い侍女が震える手で白湯の椀を差し出した。淀殿はそれを受け取り、自分で一度息を吹きかけてから、俺の唇へ当てた。


「少しずつ。少しずつですよ」


 白湯はぬるかった。この人は、俺が目を覚ましたらすぐ飲めるように、何度も冷ましては取り替えさせていたのかもしれない。椀の縁に、口紅の跡はなかった。化粧をする暇もなかったのだ。


「熱は、下がりましたね」


 淀殿の掌が、俺の額に当てられた。冷たい手だった。眠っていない人の手だった。


 さっきまで、俺はこの人のことを「歴史上の人物」として知っていた。豊臣家を滅ぼした女、と書く本もあった。


 だが今、俺を抱いているのは、息子を失うことに怯えている一人の母親だった。


――淀を。


 秀吉の声が耳の奥によみがえった。俺は、その頼みも断ったはずだった。


「父上に、お会いしましょう」


 淀殿が言った。


 父上。さっきまで仏になって頭を下げていた男が、この世界ではまだ生きている。死去まで、残りわずか。関ヶ原まで、二年。大坂の陣まで、十七年。


 その前に、別の板が一枚、勝手に開いた。自分の顔は鏡がなければ見えないのに、自分の数字だけは見えるらしい。


【人物評価:豊臣秀頼(拾)】

統率 43 | 戦術 18 | 政務実務 63 | 兵站財務 59

交渉外交 65 | 人望 70 | 学習適応 99 | 制度理解 73

固定スキル:未来史記憶/組織診断/制度設計/権限移譲

特殊スキル:五歳児特権(号泣)[使用回数 0]

封印スキル:???[解放条件:――――]

弱点:体力 5/長文発話 不可/一人で抱え込むと主人公依存が再発


 戦術十八。光秀のころから正直に低い。本能寺を止めたのは、槍ではなく段取りだったのだから仕方がない。体力五。五歳児である。長文発話、不可。権限規程の説明は、当分できないということだ。


 そして、特殊スキルの欄。五歳児特権(号泣)。国家運営に使える技能として、真顔で表示されている。三度の人生で、泣き落としが技能として数えられたのは初めてだった。


 一番気になったのは、その下の一行だった。封印スキル。名前も、解放条件も、黒く塗りつぶされている。触れようとしても、何も起きない。三度の人生で、一度も見たことのない表示だった。


 視界の隅に、見慣れた半透明の板が浮かんだ。


【豊臣家 事業承継診断】

創業者依存度 98

後継者自立度 3

家臣団分裂リスク 91

徳川代替可能性 94

豊臣家滅亡確率 ――


 一拍。数字が出た。


 九十八パーセント。


 俺は五歳児の喉で、心の中の信長へ叫んだ。


――お話が違いますぞ、上様。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。