第1話 気づいたら異世界でした
冷たい風が頬を撫でた。
「……ここ、どこだ?」
神代悠真はゆっくりと目を開けた。
見上げた先には、どこまでも広がる青空。
視界いっぱいに揺れる木々の枝葉から木漏れ日が差し込み、鳥のさえずりが静かな森に響いている。
「……夢?」
ゆっくりと身体を起こす。
背中には柔らかな草の感触。
湿った土の匂い。
頬をつねる。
「痛っ……」
夢じゃない。
慌ててポケットを探る。
財布。
スマートフォン。
社員証。
どれもちゃんとある。
スマートフォンの電源を入れようとするが、画面は真っ暗なままだ。
長押ししても反応しない。
「バッテリー切れ……いや、さっきまで八十%はあったよな?」
空を見上げる。
ビルはない。
電柱も道路もない。
人工物らしきものは何一つ見当たらない。
「マジで……ここどこだよ。」
記憶を辿る。
今日はいつも通り仕事を終え、駅から家まで歩いていた。
信号を渡ろうとした、その瞬間。
目の前が真っ白な光に包まれた。
そこから先の記憶がない。
「誘拐……って感じでもないよな。」
苦笑しながら立ち上がる。
人がいる場所を探そう。
そう考えて歩き始めた、その時だった。
カラン……
小さな金属音が耳に届く。
「……?」
音のした方へ視線を向ける。
十数メートルほど先。
大きな岩の上に、一振りの刀が静かに置かれていた。
黒い鞘。
無駄な装飾は一切ない。
ただ、その存在だけが異様なほど周囲の景色に溶け込んでいる。
まるで最初からそこにあることが当然であるかのように。
悠真は吸い寄せられるように近付いていく。
「刀……?」
岩の前で足を止める。
鞘に手を伸ばしかけ、ふと文字が刻まれていることに気付いた。
たった二文字。
『天照』
「天照……名前か?」
それ以上の文字はない。
製作者の名前も、紋章も、説明も。
ただ、その二文字だけが美しく刻まれていた。
「誰かの落とし物……じゃないよな。」
こんな森の中に刀が一本だけ置かれている。
明らかに異常だ。
それでも、不思議と恐怖は感じなかった。
むしろ――
持たなければならない。
そんな感覚が胸の奥から込み上げてくる。
「……失礼します。」
誰に言うでもなく呟き、悠真はゆっくりと柄へ手を伸ばした。
触れた瞬間。
――ドクン。
刀が鼓動したような気がした。
「っ!?」
次の瞬間。
膨大な情報が頭の中へ流れ込む。
見たこともない構え。
斬撃。
足運び。
呼吸。
身体の動かし方。
魔力。
気配。
世界。
理解できないほどの知識が一気に押し寄せる。
「ぐっ……あぁぁぁっ!!」
激しい頭痛。
その場に膝をつく。
頭を抱えながら歯を食いしばる。
どれほど時間が経ったのか分からない。
数秒だったのか。
数分だったのか。
やがて痛みは、嘘のように静かに消えていった。
「はぁ……はぁ……」
荒い呼吸を整えながら、自分の両手を見る。
不思議だった。
初めて触れたはずの刀なのに。
どう握ればいいか。
どう振ればいいか。
どう斬ればいいか。
身体がすべて知っている。
「なんだ……これ。」
その時だった。
頭の中に、誰かの声でもない、不思議な感覚が浮かぶ。
《取得スキル》
・剣術【神域】
・居合術【極】
・身体強化
・魔力操作
・魔力感知
・気配察知
・鑑定
・収納
・生活魔法
「……スキル?」
思わず口に出す。
ゲームのような単語ばかりだ。
信じられない。
だが、なぜか使い方だけは理解できる。
「鑑定……?」
頭に浮かんだその言葉を意識しながら、目の前の刀へ視線を向ける。
すると。
視界の中へ、半透明の文字が静かに浮かび上がった。
──────────
名称:天照
分類:刀
格位:最上大業物
所有者:神代 悠真
状態:完全
説明
千年前、剣神が振るったとされる伝説の一振り。
主と認めた者以外には真価を発揮しない。
──────────
「……最上大業物?」
聞いたことはある。
歴史の本か何かで、日本刀の格付けとして見た記憶がある。
だが、それ以上は知らない。
それよりも気になったのは、説明文だった。
剣神。
伝説。
そして。
主と認めた者。
「俺が……?」
思わず自分を指差す。
もちろん答える者はいない。
森は静かなままだ。
悠真はしばらく刀を見つめたあと、静かに笑った。
「……考えても仕方ないか。」
ここがどこなのか。
なぜ自分がここにいるのか。
誰がこの刀を置いたのか。
何一つ分からない。
だが、一つだけ確かなことがある。
「とりあえず、生き残らないとな。」
天照を腰に差す。
驚くほど自然に収まった。
まるで何年も使い続けてきた愛刀のように。
森の奥から風が吹き抜ける。
葉が揺れ、小鳥が飛び立った。
その先に待つ運命を、悠真はまだ知らない。
ただ一つ。
静かに暮らしたい。
その願いだけを胸に抱きながら、彼は異世界での最初の一歩を踏み出した。




