再読回数
家に帰り着いた頃には、時計の針は十時を回っていた。
「ただいまー」
リビングから母の「おかえり」が聞こえる。
「紗奈、もうお風呂最後だからね」
「はーい」
靴を脱ぎながら答える。
今日は不思議な日だった。
百花ちゃんのお礼会のはずだったのに、思った以上によく笑った気がする。
部屋へ戻り、バッグを置く。
パジャマを手に取った瞬間スマホが震えた。
『お礼会メンバー』
画面を見る。
百花: 【今日はありがとうございました!】
その直後。
写真が数枚送られてきた。
料理の写真。 デザートの写真。グラスを持った四人の手元。
八代: 【仕事早いな】
百花: 【こういうのは鮮度が大事なんです】
ふふ、と微笑む。
紗奈: 【今日は楽しかったです。ありがとうございました】
百花: 【こちらこそですー!】
八代: 【また集まろうな】
豊島: 【お疲れさまでした】
短い一文。
でも、画面に表示された名前をつい見てしまう。
スマホを置き、お風呂場に向かおうとした時。
再び通知が鳴った。
百花: 【わかっちゃいました】
グループトークではない。
個人トークだった。
「?」
紗奈: 【なにが?】
既読が付いてすぐ返信が来る。
百花: 【香水の人です】
「!?」
百花: 【豊島さんですよね?】
百花: 【すぐに分かりました!】
「えー……」
百花: 【豊島さんも、紗奈さんと話してる時楽しそうでしたよ】
その一文に胸が跳ねる。
百花: 【応援してますから!】
百花: 【おやすみなさーい!】
一方的に終了した画面を見つめる。
そして思わずため息。
紗奈: 【……おやすみ】
「……見抜かれてた」
けれど不思議と嫌な気分ではなかった。
頬が熱かった。
お風呂から上がり、髪をタオルで拭きながら部屋へ戻る。
ふぅ、と息をついてベッドへ腰を下ろした時だった。
通知が鳴った。
「ん?」
画面を見る。
表示された名前に思わず目を瞬いた。
豊島さんからの個人トークだった。
「え」
慌てて開く。
豊島: 【こんばんは】
豊島: 【遅い時間にすみません】
続いてメッセージが届く。
豊島: 【今日はとても楽しかったです】
豊島: 【おすすめの本、本当に教えてくださいね】
紗奈は画面を見つめた。
数秒。
そのまま固まる。
(本当だったんだ)
正直少しだけ、話の流れで言っただけかと思っていた。
社交辞令というか。
その場限りの言葉かと。
でも違ったらしい。
口元が緩む。
紗奈: 【もちろんです】
返信する。
少し考えてから続けた。
紗奈: 【近代史あたりがお好きですよね?】
すぐに既読が付く。
豊島: 【そうです】
豊島: 【でも石村さんのおすすめなら何でも興味あります】
「……え」
思わず声が漏れた。
数秒遅れて意味が頭に入ってくる。
おすすめの本を教えてほしい。そういう流れだ。
きっと深い意味はない。
分かっている。
分かっているのに。
顔が熱い。
慌ててスマホをベッドへ置く。
置いたのに気になってすぐ拾う。
もう一度読む。
【でも石村さんのおすすめなら何でも興味あります】
「うぅ……」
枕へ顔を埋めた。
心臓がうるさい。
別に告白されたわけじゃない。特別な言葉でもない。
それなのに。
紗奈: 【何冊か選んでおきますね】
豊島: 【ありがとうございます】
豊島: 【楽しみにしてます】
豊島: 【おやすみなさい】
紗奈: 【おやすみなさい】
「おやすみなさい」
【心拍数:上昇】 【顔面温度:上昇】
【感情分析:喜び 78%】 【照れ 19%】
(うるさい)
即座に心の中でツッコミを入れる。
しかし能力は容赦しない。
【再読回数:5回】 【さらに増加見込み】
「そんなに読んでないし!」
嘘。読んでいる。
さっきから何度も。
紗奈は再び枕へ顔を埋めた。そのまま足をばたつかせる。
誰も見ていない。だから許される。
しばらくしてようやく顔を上げる。
「髪、乾かさなきゃ……」
ドライヤーの音が部屋に響く。
髪を乾かしながら、机の上のスマホに目がいく。
画面を見る。新着はない。
「……当たり前か」
つい数分前におやすみと送ったばかりだ。
【会話終了から6分42秒】 【確認回数:7回】
(数えなくていいから)
心の中で即座に抗議する。
ドライヤーを終え、ベッドへ座る。
スマホを手に取る。
そして気付けば、さっきのトーク画面を開いていた。
【でも石村さんのおすすめなら何でも興味あります】
再び枕へ倒れ込む。
何度読んでも破壊力がある。
もちろん本の話だ。分かっている。
でも。
少しだけ。本当に少しだけ。
特別な意味を期待してしまいそうになる。
「駄目だ駄目だ」
枕から顔を上げる。
勝手に期待して勝手に落ち込む未来が見える。
そういうのはよくない。
スマホを操作し、読書アプリを開く。
おすすめするなら何だろう。
歴史好きなら。
入門向けがいいのかそれとも少し読み応えのあるものか。
本棚の写真を撮って送るのもありかもしれないな。
考え始めると止まらない。
気付けば三十分ほど経っていた。
「あ」
時計を見る。
もう十一時近い。明日も仕事だ。
スマホを置き、部屋の電気を消す。
布団へ潜り込む。
目を閉じる。……閉じるのだが。
【思考対象】 【豊島遥斗 63%】
【おすすめ本 21%】 【明日の仕事 9%】
「やめてー……」
小声で呟く。
だが能力は無慈悲だった。
【睡眠導入予測:17分後】
【ただし豊島関連思考により延長可能性あり】
「余計なお世話ですっ」
布団を頭まで引き上げる。
けれどその夜。
眠りに落ちる直前まで、頭の片隅には豊島さんの「楽しみにしてます」が残り続けていた。




