想い
閉館。
館内は静かだ。
利用者の声もなく、聞こえるのはパソコンの起動音と、遠くで誰かが戸締まりを確認する音くらい。
チェックリストを手に、自分の持ち場の最終確認へ向かう。
その途中だった。
「……野さん」
聞こえた小さな声に思わず足が止まる。
休憩室近くの角。
少し開いた準備室の扉の向こうに小さく、西野さんと荒川さんの姿が見えた。
(あ……)
引き返そうと思った。
でも下手に動けば注意を引きそうな距離で。
「この前の返事なんですけど……」
荒川さんの声は震えていた。
「ごめんなさい。私、やっぱり諦められなくて」
荒川さんの西野さんへの想いは知っていた。
でも告白していたとは知らなかった。
西野さんの困ったような声が聞こえる。
「荒川さん」
「迷惑なのは分かってます。でも、もう一回ちゃんと言いたくて……」
静かな声だった。
震えている。 勢いもない。
でも、本気なんだと分かる声。
私の息も止まる。
視界の端。
【感情負荷上昇を検知】
少しの沈黙の後、西野さんの静かな応え。
「ごめん」
短い言葉。でも誤魔化さない声だった。
荒川さんの息を呑む音。
「荒川さんのこと尊敬してるし、一緒に働いてて沢山助けられてる。
でも、それ以上には見れない。ごめん」
沈黙。胸が痛くなる。
私が告白している訳じゃないのに。
「……そう、ですよね」
荒川さんの小さな声。掠れた様が痛々しい。
「変に期待持たせたくないから」
「はい……西野さん、そういうとこ真面目ですよね」
荒川さんが深く息を吸ったのが分かった。
「……ちゃんと振ってくれてありがとうございます」
強い、と思った。泣きそうな声なのに。
【推奨行動︙強】
【二歩下がって壁を背に】
咄嗟にその通りに動く。
「……じゃあ、お先に失礼します」
「荒川さん」
西野さんが何か言いかけるのを、荒川さんの強い声が遮る。
「大丈夫です。ちゃんと終わらせますので」
そのまま扉が大きく開く。
私は反射的にさらに壁際へ身を寄せた。
【視線回避補助・パワー最大】
(……!)
荒川さんは壁に張り付く私に気付かないまま、足早に通り過ぎていった。
規則正しいヒールの音。
それが角を曲がっていく。
静寂。
その中で、西野さんが息を吐く気配がした。
私も思わず俯いてしまう。
「……石村さん?」
びくりと肩が揺れる。
恐る恐る顔を上げると、西野さんがこちらを見ていた。
驚いたような、困ったような顔。
「すみません……」
反射的に謝る。
「いや、石村さんが悪いわけじゃないよ」
西野さんは苦笑した。
「あそこいたら動けないよな」
「……はい」
図星すぎる。
気まずい沈黙が落ちる。
何を言えばいいのか分からず、チェックリストを握りしめたまま立ち尽くした。
すると西野さんが、ぽつりと呟く。
「……難しいよね」
その声は、少し疲れていた。
「ちゃんと断るにしても……。
優しくすると期待させるし、でも冷たくするのも違うし」
「……難しいですね」
「難しい」
西野さんは苦く笑った。
私は黙ってうつむいた。
翌日。
私は返却本を棚車に積みながら、カウンター横の荒川さんを見た。
いつも通りの、変わらない横顔だった。
数日後。昼休憩。
バックヤードでお茶を飲んでいた時だった。
「石村さん」
百花ちゃんがじっとこちらを見据える。
「なに?」
「何かありました?」
「え」
思わず固まる。百花ちゃんは首を傾げた。
「最近ちょっと変です」
「変?」
「はい」
即答だった。
私は視線を逸らす。もちろん原因は分かっている。
あの日のことだ。
でも話していい内容じゃない。
すると百花ちゃんが少し考えてから言った。
「石村さん」
「ん」
「ケーキバイキング行きましょう」
「……はい?」
話が飛んだ。
「疲れてる時は甘いものですよ」
「いや、別に疲れてるわけじゃ」
「甘いものです!」
その時。
「何の話?」
休憩室へ入ってきた荒川さんが首を傾げた。
百花ちゃんが即答する。
「石村さんが元気ないのでケーキバイキングに誘ってるんです。良かったら荒川さんもどうですか?」
「えっ」
「えっ」
私と荒川さんの声が重なった。
仕事終わり、駅前のホテルラウンジ。
期間限定のケーキバイキング。
ショーケースには色とりどりのケーキが並び、女性客で賑わっていた。
「わぁ……」
百花ちゃんの目が輝く。
【幸福度:上昇】 【目標:全種類制覇】
(目標が高い)
三人で席に着く。
「これ美味しいです!」
「百花ちゃん、それ五個目では?」
「まだ五個目です」
「まだ?」
会話が自然と弾む。
荒川さんも笑っていた。
苺のタルトを食べながら「ここのクリーム軽くて美味しい」なんて話している。
職場では見ない柔らかい表情。
私はほっとしながら紅茶を飲んだ。
すると。
百花ちゃんがフォークを置いた。
「荒川さん」
「はい?」
「最近大丈夫ですか?」
空気が少し止まった。
私は思わず紅茶を吹きそうになる。
(百花ちゃん!?)
しかし百花ちゃんの顔は真剣だった。
荒川さんは一瞬だけ驚いた顔をした。
それから小さく笑う。
「何がです?」
「何となくです」
百花ちゃんらしい。
誤魔化しも遠回しもない。
荒川さんは少し考えたあと「……うん」と頷いた。
「大丈夫」
静かな声だった。
百花ちゃんは数秒見つめてから、
「なら良かったです」
とだけ言った。
それ以上は聞かない。
踏み込まない。
その距離感が心地よかった。
荒川さんも少しだけ肩の力を抜いたように見えた。
その時。
店員が新しいケーキを運んできた。
モンブラン。チーズケーキ。
季節限定の桃のショートケーキ。
百花ちゃんの目が輝く。
【目標再設定】 【全種類制覇を継続】
「行ってきます」
「戦場みたいに言わないで」
思わず笑う。
荒川さんも吹き出した。
久しぶりに聞く自然な笑い声だった。
その声を聞きながら、私は思った。
失恋は消えない。
たぶん明日になっても、来週になっても痛いままだ。
でも。
こうして笑える時間が少しずつ増えていけばいい。
ケーキの甘い香りの中で、三人の時間はゆっくり過ぎていった。




