記憶
翌朝。
目覚ましが鳴る少し前に、自然と目が覚めた。
「……ん」
ぼんやり天井を見つめるながら、昨日の出来事を思い返す。
半透明のウィンドウ。頭へ流れ込んできた図書館の全体図。表示される“推奨行動”。
(……夢じゃ、ないよね)
枕元のスマホを手に取り、寝る前に調べた検索履歴を見る。
『幻覚 疲労』
『異常 目』
『ストレス 疲れ 眼科』
『精神科 目でも?』
「ぅゎぁ……」
我ながらひどい検索だと思う。
小さく呻きながらベッドを降り、支度を始めた。
「おはようございます」
図書館へ着くと、開館準備で館内は慌ただしかった。
「おはよう、石村さん」
「おはようございますー!」
百花ちゃんがワゴンへ返却本を積みながら、ぱたぱた動いている。
その瞬間。
【百花:作業遅延】
【返却補助を推奨】
「……ぅぉ」
思わず小声が漏れた。
また出た。
視界の端。 半透明の文字。
なんなら昨日より、より自然に表示されている。
(いやいや)
内心でツッコミを入れつつ、百花ちゃんを見る。
確かに少し慌てている。 ワゴンの本も普段より多い。
「百花ちゃん、こっちの返却私やろうか?」
「えっ、いいんですか?」
ぱっと顔が明るくなる。
「助かります!今日、掲示物の張り替え多くて」
「あー、なるほど」
自然とワゴンを受け取る。
すると百花ちゃんは本当に助かったように何度も頭を下げてから、急ぎ足で奥へ向かった。
「…………」
私は無言で返却を進める。
(当たってるんだけど)
「石村さーん」
「あ、はい」
同僚、荒川菜々子さんの声に顔を上げる。
「この前入った医学書についてたポスター、結局どこに置いたんでしたっけ?」
「第一閲覧室の奥です。医療コーナー右側の棚の中だったと思います」
口から反射的に答えが出た。
荒川さんが少し驚いた顔をする。
「よく覚えてますね」
「……たまたまです」
考えるまでもなく脳裏にパッと浮かんだ答えに顔を引きつらせながら、本を抱え直した。
とてつもなく便利。
なんだけど、ちょっと複雑。
そんな曖昧な気持ちのまま、 私は次の棚に歩き出した。
昼過ぎ。
作業が一段落した頃には、館内にもいつもの静けさが戻っていた。
窓の外は薄曇り。児童コーナーから時折、小さな笑い声が聞こえてくる。
「ふぅ……」
私はカウンター奥で軽く肩を回した。
朝からずっと調子がいい。
本の場所。利用者から聞かれたこと。次にやるべき作業。
全部、自然と頭に浮かぶ。
(……便利だよなぁ)
昨日は混乱の方が大きかったけれど、慣れてくると感覚が変わってきた。
もちろん意味不明ではある。目の前に突然ウィンドウが出る時点で十分おかしい。
でも。
仕事はかなりやりやすい。
その時だった。
【児童対応補助】
「ん?」
直後。
「やあぁぁぁ!!」
館内に子どもの泣き声が響いた。
児童コーナーを見ると、小さな男の子が床に座り込んでいる。困った顔のお母さん。近くに慌てる百花ちゃん。
周囲の空気が少しだけざわつく。
刺激しないように、ゆっくり近づいていく。
「こんにちは」
目線を合わせ、なるべく穏やかに声をかけると、男の子が涙目でこちらを見た。
「どうしたのかな?」
「読みたかった本、ない……」
男の子が涙声で訴える。
棚を見ると、人気シリーズのスペースだけ綺麗に空いていた。
「あー……貸出中かぁ」
【代替提案を推奨】
【共感優先】
私は男の子の前に軽くしゃがみ頷く。
「そっかぁ。読みたかったんだね」
まずそう言うと、男の子は涙目のまま頷いた。
【肯定反応:有効】
(細かい)
少し笑いそうになる。
「その本、皆大好きなんだよね。代わりに……これとかどうかなぁ?」
私は近くの棚から、同じ作者の別シリーズを一冊抜き取った。
驚くほど自然に、“今この子が興味を持ちそうな本” が頭に浮かんだのだ。
男の子はぐす、と鼻をすすりながら表紙を見る。
「……きょうりゅう?」
「うん。恐竜の大冒険だよ」
数秒後。
「……よむ」
小さな手がしっかりと本を掴む。
お母さんがほっと息をついた。
「ありがとうございます、助かりました」
「いえいえ」
共に返却カウンターへと戻る中、百花ちゃんがキラキラした目で囁く。
「石村さん、子ども対応うますぎません?凄いです」
「そう?ありがとう」
(……これ、普通に便利だな)
そんなことを考えながら、私は返却カウンターへ戻った。




