重いという感想だけ
こうして見ると、人間という生物は不思議な形をしている。瞬きを忘れるだけで、こうも不気味な表情を浮かばせられるものだろうか。彼の中身がゴキブリであるから不気味に見えるのか、入る魂の器によって、魂の形が外見に影響を与えるのだろう。思えば、陰気臭く笑いもしない私は、他人から見れば魂の形が歪に見えるだろうな。それに比べて、何の変哲も凹凸もない魂を持つ仮の私は、私自身であるよりもマシに見える。黙っているだけなら以前と変わらず、まるで元から虫のように生きていたような。
「か、か、か。」
発音しようのない喃語をしゃべっている。人間で言えば1歳くらいなのだろうか。周りを見渡して不思議に思うという行動すらなく、元々警戒する本能を刺激するだけのものが部屋にはない。これだけ大きな体を手に入れれば、捕食者に怯えるようなこともないだろう。と言っても、人間の鈍感なセンサーでは怯える対象を見つけることさえ難しいだろうな。
ただ時間だけが無常に過ぎていくが、解決策も見つけられぬままである。エアコンの風が気になるのか、柔らかな風がふわりと当たる度に、奴は俺の身体をゆっくりと揺らしている。
「お困りのようですね、あなた。」
「誰だあんたは!!!」
「あたし?あたしの名前はトリックスターよ。」
現れたトリックスターを名乗る声に、小さい体の節々が軋むようだ。このどうしようもない時の流れを変えてくれる力を、なぜだか認めざるを得ないように感じるのはなぜだろうか。
「私の超ド級の力を行使して、元に戻してあげましょう。」
「お願いします。お願いします。」
「ですが、あなたがその立場になった理由をまずお考えなさい。」
それは一つしかない。ここで迷うことはなく、はっきりくっきりと魂の居場所をか細い足で撫でて見せる。
「虫の一生を理解するため。どのように生き、何を考えているのか。」
「それで何が分かりましたか。」
「何も。体が小さくなっただけで、あいつとも意思疎通ができるわけでもないし。」
「では、元に戻してさしあげましょう。」
奴が大きく体を動かすと、小さい私が大きく震えているのが分かる。飛ぶはずがないのに、地面を足で掴んでいるのがわかる。気づかぬうちに、体が反応しているようだ。
「う。」
大きく体を倒して手で地面を叩く。その手によって私は身動きができずにいる。ああそうか、私の醜く恐ろしい姿と動きを封じられれば、それを恐ろしいと感じるだけの知能が無ければ、私の姿形など畏敬の念を抱くこともない。その間も奴は瞬きをすることはなく、そのせいで涙が垂れて赤くなっている。それがまた泣いているように見えてしまったので、様々な妄想をしてしまう。意志がないとはいえ、自分の身体を壊してしまうということ、命を奪ってしまうということに心を砕いているのではないか、と。
そうか、こうやって相対して力を注ぐようにして向き合うことが、重要なのかもしれない。そのせいであらぬ感情移入をしてしまいがちだが、死に触れればこれも理解ができる。
「死なねばなりませんね。」
「きゅう、きゅう。」
ゴキブリが本来する鳴き声が、自ずと出てきた。こう鳴けば、さも苦しんでいるように聞こえる。苦しいのではない、ただ重いのだ。ゆっくりとコーヒーを淹れるように、ドリップした黒い液体が滴って溶け合うように、魂が一つになる。その魂が再び二つになろうとすると激痛が走った。足先から頭のてっぺんにかけて巡る赤い稲妻が、私を私たらしめてゆく。痛みこそ生きている証なのだ。その痛みを負うのに、あの体では小さすぎる。理解しようとすれば、たちまち身が崩壊していくのだろう。
完全に魂が別ち、トリックスターの声も届かなくなったころ、ドンッという大きな悲しみの音に起こされた。
「あ、う。助け。しゃべれる。」
鼻が潰れてしまうほど地面が近い。強い寝がえりの果てにベッドから落ちてしまっていた。幸い二段ではなく、背高の低いものであったので命拾いした。結局何も得られるものもなく、夢を見ていただけであった。それでも、この不思議な体験が持つ魅力や意義のようなものは、まるで血となって全身を満たしている。あのひ弱であった私を思い出せば、早く夜が明けないかと願うばかりであったし、命を軽んじてしまったようないたたまれなさと罪悪感だけが残る。
もう少し陽が登って部屋を照らせば、違和感のあるテレビの後ろをくまなく探して、かつての仲間を探してみよう。その時まで、この罪悪感が続いているかはわからないが。




