プロローグ 純真な少女の願い
銃口が心臓を捉えているのに、
少女の鼓動は、なぜか静かだった。
彼女はぼんやりと、昔読んだ本の一文を思い出していた。
――死の気配に触れた瞬間、人は叫べなくなり、
涙も、恐怖も、遅れてやって来る。
しかし。
その胸に走ったのは、恐れではないことに、彼女は気がついた。
銃を構える少年の瞳が、すべての恐怖より先に、
彼女の心臓を射抜いていた。
少年――ジュードの眼は、夜より冷たく深い。
暗闇に沈んだ湖面のように、何ひとつ揺れていない。
怒りも、憎しみも、愉悦さえもなく、
“殺す”という行為だけが
呼吸と同じ自然さでそこにあった。
その残酷な静けさが、少女の心を妙に落ち着かせた。
銃口は心臓を射抜く距離。
逃げ場などどこにもない。
――それなのに。
少女の視線は、彼の指先から離れなかった。
滑らかに銃を扱う、鋭く整った指。
触れることなど許されないはずの手なのに、
なぜか不思議と――
肌に触れたら、きっと熱くて、
優しそうだと思ってしまった。
(……変ね)
(この人に殺されるのに)
――この人はどんなふうに“触れる”のだろう。
触れられることのないはずの指先に、
熱を想像してしまう。
そんな自分が信じられなかった。
数多の命を終わらせてきた手。
触れたら凍えるような冷たさを持つはずなのに、
その奥に、ひどく寂しい影が揺れて見えた。
胸の奥が、熱を帯びて疼く。
どうしてこの少年は、
こんな目で世界を見ているのだろう。
恐怖よりも先に、その疑問だけが立ち上がった。
――ほんの数時間前まで、彼女には婚約者がいた。
名門ボーダ家の令嬢として、
幼い頃から当然のように決められていた相手。
けれど、その婚約は今日、破棄された。
泣き叫ぶこともしなかった。
縋ることもしなかった。
ただ胸の奥に、小さな穴が空いたような気がした。
婚約者を愛していたからではない。
自分はまた、
誰からも“選ばれなかった”のだと知ってしまったから。
「怖くねぇのか?」
ジュードが、退屈そうに笑った。
感情の色はどこにもない。
ただ、事実を確認するだけの声。
少女は少しだけ考え、首を横に振った。
「……ううん」
嘘ではなかった。
彼が怖いのではない。
“何も感じていない”その空白が、何より恐ろしかった。
彼の瞳には、彼女という輪郭は映っていなかった。
ただ“撃てば終わる一点”としてしか存在していないように見えた。
その距離が、どうしても許せなかった。
「……ねぇ」
声が、不思議なほど落ち着いて響いた。
「三日間。それが私に残された命の猶予なんでしょう?」
その一言で、ジュードの指がわずかに止まった。
ほんの、数ミリ。
けれど確かに揺れた。
確定していた殺しの未来に、
初めて入り込んだ“想定外”の揺らぎ。
少女は銃口から目を逸らさない。
「なら、三日間だけでいいの」
空気が震えた。
彼の呼吸が、見えない距離で乱れる。
「私を、恋人にして」
沈黙が落ちる。
銃声より重く、
死よりも静かで、
彼の人生を狂わせるためだけに生まれた沈黙。
「……は?」
短い声が零れた。
困惑でも怒りでもない。
ただ、その瞳だけがわずかに揺れる。
少女はそこで、静かに微笑んだ。
――この人の、奪う以外の顔を見てみたかった。
自分のせいで呼吸が乱れるのも、
引き金より先に心臓が揺れる瞬間も。
どんな顔で、それを迎えるのか。
それだけが、知りたかった。
殺されるなら、それでもいい。
でももし、生きる時間をくれるのなら――
三日間だけでいい。
今日、誰にも選ばれなかった自分を。
三日間だけ。
この人に、選んでほしかった。
この人が“誰かを選ぶ”ところに、
自分が存在したかった。
そして――
この人が誰にも見せない顔を、
自分だけのものにしてみたかった。
その願いは、祈りでも救いでもない。
恋と呼ぶには、まだあまりにも幼く、
愚かで、身勝手な願いだった。
ただ一つ、確かな事実だった。
彼の引き金より先に、
少女の一言が、彼の世界を貫いていた。
こんにちは、はじめまして。
NIKEと申します。
お読みいただきありがとうございます。
もし、この「銃口から始まる恋」の空気を気に入っていただけましたら、★評価やブックマークをいただけると執筆の励みになります。
【カクヨム版はこちら↓】
https://kakuyomu.jp/works/822139844041917371
それでは、物語をお楽しみください。




