ヨハンとローラの共同作業
うちのお嬢様は甘い物が好きだ。
でも甘過ぎる物は苦手。
うちのお嬢様は、なかなかに好みはうるさい。
ケーキはムース系よりスポンジ派。生クリーム系が好み。
チョコレートケーキのような濃厚な物は、好きだけど二口が限界。それ以上はクドいと感じるらしい。
ナッツ類を混ぜ混んだ菓子は大体好き。
ヌガーのような、ねっちょりした食感は苦手。
フルーツは単品ではあまり好まない。フルーツの酸味が苦手だけど、甘さだけのフルーツも好まない。
揚げ物にあんなにかけるレモン汁も、レモン単体では苦手。
甘さと酸味のバランスが大事だ。
ヨハンは天井を見上げながら「う~~ん」と唸った。
イシカワ邸では『おやつの時間』が必須だ。
お嬢様はもちろん、使用人全員に『おやつの時間』がある。
食事のように全員が揃って食べることはないけれど、必ず人数分の菓子を作る。
「よし、チョコレートケーキにするかな」
ここは敢えて濃厚なチョコレートケーキにしよう。
「決めた。オペラだ」
以前お嬢様は、とても美味しいオペラを食べたと言っていた。
チョコレートケーキは二口が限界なお嬢様に「また食べたい」と言わせたオペラ。
イシカワ邸のパティシエとして、対抗心が沸き上がるのはしかたないよな。
甘過ぎる菓子が苦手なお嬢様の好みに合わせて、しっかり苦味を残したコーヒーシロップを、ビスキュイ生地に染み込ませる。染み出すギリギリまで。
お子様も食べるから、ラム酒は使わない。
本来ならバタークリームを重ねるところだけど、今回は濃厚が苦手なお嬢様使用だ。ここはホイップクリームで軽く。
あまり苦すぎるとお子様組が可哀想だから、甘めのガナッシュと重ねて、チョコレートで艶々にコーティングする。最後に金箔で飾れば完成だ。
バタークリームは横に添えれば、お嬢様以外の濃厚好きも満足するだろう。
「ふむ。オペラじゃねぇよって突っ込む奴は、ここにはいないからな」
イシカワ邸では、自由にやらせて貰っている。
好きに菓子を作って、アレンジして、試験的にいろいろ組み合わせてみても、『おやつの時間』にすべて平らげてくれるから有難い。
「ヨハン~~。今日のおやつなにぃ~~」
お嬢様がひょっこりと厨房に顔を出した。
甘い匂いに誘われるのか、時々こうして一人でやって来る。その度にクッキーひとつ、チョコレートひとつ、ついついお嬢様に与えてしまうのは仕方ないよな。主人だし。
「お嬢様~~。直接厨房に来ないで下さいよ。メイド連中に俺が怒られるんですから。
『お嬢様にこっそりお菓子をあげないで下さい』って言われるの、俺なんですよ。ペトロネラなんて怖いったら」
「え~~っ、私は犬か」
「はははっ。メイド連中は、お嬢様のお茶の時間の準備に命懸けてますけらねぇ。
今日はつまみ食いは出来ませんよ」
「むぅ~~、こんなに甘い匂いさせておいて? ヨハンのケチ~~」
ブスッとむくれた顔は、とてもこんなに大きな屋敷の主人には見えない。
主人の素性を探ろうとする奴は、この屋敷にはいない。だけどお嬢様を見ていると、良家の育ちだろうなと想像はつく。
(それなのに、味見をねだりに来るなんてなぁ)
思わず笑いが漏れる。
奴隷になった時は人生終わったと思ったのに、本当に何があるか分からない。
順風満帆だったパティシエ人生が、ある日突然消え失せたように。
貴族のお抱えを断って恨みを買い、気付けば奴隷になっていたように。
そんな自分が50歳を目前にして、こうも自由に好きな菓子を作れるなんて思っても見なかった。
店を持てば、利益を考えなければいけない。どこかのお抱えになれば、自由なんて無いに等しい。
ただ好きに、作りたい菓子を好きなだけ作れる環境なんて、パティシエとしてこんなに最高の環境は他にない。
膨らんだお嬢様の頬を、指でつつきたい欲求を抑えながら、カゴから苺を一つ取り出す。オペラを作った時に、余ったホイップクリームをたっぷり付けて、お嬢様に渡した。
「メイド連中には内緒ですよ」
パッと笑顔に変わったお嬢様の顔は、背後から現れたペトロネラを見て凍りついた。
「美味し~~! 人生で一番のチョコケーキだよ! もう一つ食べたい!」
オペラを一口食べて、もうおかわりを要求するお嬢様に、俺は年甲斐もなくガッツポーズをしていた。
「ヨハン~~。あんこが食べたい!」
ある日のお嬢様のリクエストに、厨房にいたヨハンとローラは顔を見合わせた。
アイコンタクトで『あんこ』とやらを知っているか確認し合う。答えは、二人とも首を振った。
「何ですか? 聞いたことない物ですが」
「あんこだよ。小豆を甘く煮たやつ。
それを小さなパンケーキに挟んだら『どら焼き』っていうお菓子になるんだけど、知らない?」
そこから試作が始まった。
まず、小豆と言う豆が分からない。
この屋敷には様々な国出身者が集まっている。それでも、誰も知らなかった。
お嬢様から聞いた小豆の特徴を元に、似た豆をいくつかチョイスして煮てみる。
試作を重ねすぎて山のようになった甘い豆。
どれもそこそこ美味いと思う。
「すごい豆の量ですねぇ」
厨房で昼食の仕込みをしていたローラが、苦笑いしながら言った。
「ああ、お嬢様から聞いた『あんこ』とどうも違うような……納得がいかないんだよな。このままじゃ、お嬢様に試食をお願い出来ないな」
「ちょっと試食してもいいですか?」
スプーンに取ってローラの口元に差し出すと、ローラはビクリと一度身体を震わせて固まった。
若い娘に「あ~ん」をするような形になってしまったけれど、おっさんの「あ~ん」なんて大して衝撃もないだろうに。未来の恋人も気にしないだろうよ。
「ほら」
「はははいっ」
気合いを入れないと「あ~ん」出来ないとか、おっさんはちょっとショックだよ。
真っ赤な顔でパクっとスプーンを口に入れたローラは、次の瞬間には料理人の顔になっていた。
目を瞑って味覚に集中している。
(睫毛が長いな)
こうしてローラをじっくり見るのは初めてかもしれない。そもそも、理由もなく女性を凝視するなんてことは、誰であれしない。
(しかしなぁ、あらためて見ると……)
ローラは際立って美人と言うわけではない。はにかんだ笑い方が可愛らしく、少し童顔な印象があったのだけど……。
(鼻筋が通っていて、丸い頬に、スラリとした首のラインが実にいいな。
少し化粧でもすれば、とたんに化けそうだ)
子供ほど歳の離れた女性に、さすがにやましい気持ちは湧かないけれど、ローラも年頃の女性だ。
(そろそろ浮いた話の一つや二つ出てきても良さそうなのにな)
ハッと、婚期を心配する父親のような気持ちになってしまったことに気がついた。
(我ながらジジ臭いな)
ヨハンは勝手に一人でダメージを受けた。
しばらくの沈黙の後、ローラはゆっくりと目を開けた。
「お菓子ではあまり豆は使わないですかね」
「ああ。菓子で使う豆はピーナッツくらいだな。豆を甘く煮るのは初めてだな」
「ですよね。
料理には豆はよく使いますけど……一度軽く茹でてから茹で汁を捨てて、しぶ抜きをするんです。
お砂糖もザラメに変えてみてもいいかもしれません」
「お! さすがだな。やってみるか!」
「お手伝いします!」
あんこ作りにローラが加わって、試作を繰り返し……ようやく満足出来る状態になった頃には、さらに豆の山が増えていた。
豆の山を前に、ヨハンとローラは顔を見合せた。
どちらからともなく、プッと笑いが漏れる。
こんなに山になるまで、夢中で豆を煮ていたなんて。
イシカワ邸じゃないと許されないな。
「どうするかな、この豆」
捨てる選択肢はない。
「パンに混ぜて焼いてみましょうか。たくさん作って教会に寄付してもいいかもしれません。甘いパンなんて、子供達が喜びますよ」
「賛成だ」
こうしてイシカワ邸では、しばらく『あんこ』ブームが到来した。




