フーゴとヴェロニカ
フーゴの朝は早い。
まだ薄暗い中、厨房に入り、オーブンに火を入れる。オーブンが温まる間に湯を沸かし、白湯をカップにそそいで、ゆっくりすすってから、ホッと息をはいた。
この時間が好きだ。
この時間、屋敷の中で起きているのは、執事のアルバンさんくらいだ。
もう数分もすれば慌ただしく、朝食の準備が始まる。
(誰もいない厨房にいると、奴隷になる前のことを思い出すな……)
10歳の時から自分の店を持つことを夢に、毎朝誰より早く起きて仕込みを始めた。
パンを焼いて、野菜を洗って、ひたすら皮むき。
師匠が料理する姿を横目で見ながら、皿洗い。
賄いにひたすらダメ出しされて、それでも心が折れなかったのは夢があったからだ。
夢だった自分の店を持てた時、本当に希望に溢れていた。
料理の腕には自信がある。厳しい師匠に合格を貰えたし、それだけの修行もしてきた。
けれど、どんなに美味しい料理を作っても、お客が来なければ意味がない。
商売の厳しさを初めて知った。
結局残ったのは、とても返せない額の借金だけ。
気が付くと奴隷の身になっていた。
(それが今じゃあ、こんな立派なお屋敷の料理人だなんてね……)
思い描いた未来とは違ったけれど、毎日一番いい顔で美味しいと言ってくれるお嬢様がいる。いつも大げさなほど誉めてくれて、どんな食材でも費用関係なく、作らせてくれる。
今日の朝食も、幸せそうな顔で食べてくれるだろう。
その顔を思い浮かべて、フーゴは小さく笑った。
さて、そろそろ朝食の準備をしようか。カップの中の白湯を一気に飲み干して、椅子から立ち上がる。
「師匠。おはようございますっ!」
タイミングよく、ルッツが厨房にやって来た。
朝から元気に挨拶をする姿に、フーゴの気持ちもシャッキリした気がする。
「おはよう。白湯だけど飲む?」
「大丈夫です。野菜洗います!」
ルッツはまだ9歳だ。農家出身で兄弟が多く、口減らしとお金の為に奴隷になったという。そういう子供は珍しくない。
「ルッツ、あ~~ん」
素直に口を開けるルッツの口に、ミニトマトを放り込んだ。
「っ!!」
驚いて目を丸くしながら、もぐもぐと口を動かし、更に目を大きく見開く。
「甘い! こんなに甘いトマト、初めて食べました!!」
ルッツの反応に、フーゴはニッコリと笑った。
このミニトマトは昨日、お嬢様が買い出しに着いて来た時に購入したものだ。
市場で店を出していた農家のトマトで、日照りが続き、収穫量が極端に少ないと嘆いていた。
お嬢様はそのトマトを、通常の三倍の値段ですべて購入したのだ。
驚いた店主は何度も通常の値段を伝えたけど、お嬢様は三倍の値段を払うと言って譲らなかった。
「お嬢様……ずいぶん高価なトマトでしたね」
嫌みのつもりはなかったけど、口にしてからしまったと後悔する。
気を悪くしただろうか。
お嬢様の様子をチラリと見る。
「フーゴ、あ~~ん!」
反射的に口を開けると、口の中にミニトマトが放り込まれた。
「っ!!!」
その甘さに驚いた。
トマトと言えば、爽やかな酸味が特徴の野菜だと思っていたのに、この甘さは何だ。トマトはフルーツだったのか?
「甘いでしょう? トマトは水をやり過ぎず、ギリギリのところで育つほど甘くなるんだよ。枯れる可能性も高いし、収穫量もへっちゃうしでなかなか出来ないけど、日照りならきっと甘いトマトになってるんじゃないかと思ったんだよね。
三倍の値段の価値あると思わない? 農家としても収穫量が減ってるから、高く買った方がいいだろうし」
「はい。とても美味しいです!」
きっとあの時の自分は、今のルッツと同じ顔をしていたのだろうな。
「今日の朝食はこのトマトでサラダにしようか。ルッツは葉野菜を洗ってちぎって」
「はい!」
元気に返事をするルッツに、フーゴも自然と笑顔になる。
職業体験として厨房に入ったルッツだったけど、料理人になりたいと言って、そのまま厨房で働くことになった。
なかなか器用で、今ではサラダとドレッシングは完全にまかせられる。
包丁もだいぶ上達したし、次はスープを作らせて見ようか。
パンにトマトソースを塗って、玉ねぎとズッキーニのスライスをのせる。小さく切ったベーコンを散らして、うえからチーズをたっぷりのせた。
これを大量に作って、オーブンに入れたらピザトーストの出来上がり。
今日の朝食はピザトースト、キノコと玉子のスープ、サラダ、フルーツの盛り合わせ。
この屋敷の人はみんなよく食べる。
せっせとピザトーストを仕込んでいると、厨房に訪問者がやって来た。
「おはよう、フーゴ」
「ヴ、ヴ、ヴェロニカさんっ!!! お、おは、おはようございますっ!!!」
朝から鍛練をしていたようで、ヴェロニカさんはタオルで汗を吹きながらニッコリ笑った。
(ほぁ! 今日も綺麗だな)
「お水、貰える?」
「は、はいっ!」
急いでレモン水をグラスについで渡すと、フーゴの指先がヴェロニカの指先に僅かに触れた。
その瞬間、フーゴの顔が真っ赤に染まる。
「あ、あの……その……、鍛練、ご苦労様ですっ!」
「うん。今日の朝食、楽しみにしてるよ。フーゴの料理は何でも美味しいから、いつも食べ過ぎちゃうんだよね」
ペロリと舌を出すヴェロニカが眩しすぎて、直視出来ない。
空になったグラスをヴェロニカから受けとると、厨房を出て行く後ろ姿を熱のこもった視線で見つめた。
「師匠……」
「うわっ!? ル、ルッツなに?」
「サラダのドレッシングの味を見て欲しくて」
「あ、うん。いいよ。すごくいい」
真っ赤な顔で慌てふためきながら、ルッツの作ったドレッシングに合格を出す。
「師匠……頑張れ」
そんなフーゴをルッツはニヨニヨしながら応援した。




