第三話 死にそうで死なない魔法
ズドーーーーーーーーン。
鞠子が花子の部屋に鍵をかけていると、何かが階段の上から落ちた。
物凄い音は近隣住民の耳にも届いたようで、皆が窓やドアから顔を出している。
「一体、何があったんだ?」
一人の男が声を上げると、階段の方から上がって来た別の男が、
「いや~、ビックリした。突然上から男が降って来た。避けられてよかったよ」
と笑いながらやって来た。
「おいおい、ソイツ死んでないだろうな」
「さぁ。俺には関係ないからな」
「そりゃそうだ」
顔見知りらしい二人の男は、それぞれ自分の部屋へ戻っていった。
他の面々も、直ぐに興味を失くしたようで一人、又一人と消えていく。
――いつから日本は、こんな風に他人に冷たくなってしまったのでしょうね。
溜息をついた鞠子は、階段の上から下を眺めた。
一階の床に倒れているのは、勿論央治だ。気を失っているらしく、ピクリとも動かない。
――死なれても後味が悪くて、寝つきが悪くなりそうだわねぇ。
頬に手を当てしばらく考えた鞠子は、階段の上から塩を振るように何かをパラパラと撒いた。
それは風に乗って央治の元まで行くと、その上に降り注いだ。
これは、鞠子必殺、死にそうで死なない魔法だ。
異世界に居た頃は、妬み嫉みの標的となり、嫌がらせなどを受けることも度々あった。
そして、返り討ちに合わせると、大抵相手が死にかけるのだ。
そんな時に編み出したオリジナル魔法は、決して相手の息の根を止めないが、絶対怪我を治してやらないとう信念に元ずく恐ろしいものだった。
「あとは、日本の優秀な医療従事者の皆様が、どうにかしてくださることでしょう」
鞠子は、階段を美しい姿勢で降りると、
「ごめんあそばせ」
と一言央治に声を掛けてからアパートを去っていった。
――あら、でも、あの男。どうして花子の所へ来たのかしら?
ふと、鞠子の脳裏に、そんな思いがよぎった。
実は、王子央治は、社長令嬢から離婚届を叩きつけられ、会社でも居場所がなくなっていた。
名前も元の旧姓王子に戻り、ジャケットの内ポケットには退職願が入っている。
しかし、本当に会社を辞めてしまっては、収入が閉ざされてしまう。
誰か自分を助けてくれる人はいないかと考えた時、頭に浮かんだのは花子だった。
彼女が去ってから、彼には悪い事しか起きていない。
寝起きも悪く、常に頭が痛い。その原因は、彼の不摂生にあるのだが、今までは花子が無自覚に発する癒しの波動により気づくよりも早く治されていたのだ。
今では頭痛薬が手放せず、美しかった顔も日に日にみすぼらしくなっていた。
そして、会社には、花子の居場所を知りたいという関与先からの電話が毎日何十本と掛かってくる。
その全てが、再就職先として当社を選んで欲しいと言うものだった。
上司、同僚、後輩までが責めるように央治を睨みつけてくる。
――アイツさえ帰ってくれば、全て元通りなのに。
自分勝手な男は、自分の事しか考えられなかった。
そして、振った女は、何時までも自分を好きでいると己惚れていた。
しかし、今ではボロアパートの一階で全身複雑骨折で倒れている。
立ち上がることも出来ず、声を上げることも出来ず、零れ出る涙を我慢することも出来ない。
「うぅうううぅう。なんで、俺ばかり……」
一人悲劇の主人公ぶっている男の頭に、
ジョロジョロジョロ。
このアパートの大家の犬が、ご丁寧に粗相をしてくれた。
一度央治が花子の部屋を訪れた際、
「汚い犬だな。近寄るな!」
と蹴飛ばされたことを覚えていたのだろう。
「まぁ、ぼうや、そんな汚い物に近づいちゃだめですよ」
大家のババアが、犬を抱っこして自分の部屋へ戻っていった。
央治が救急車で運ばれたのは、その二時間後の事だった。
「へぇ~、そんな魔法があるんだ」
自分の痛みが他人へ移動するという不思議体験をした花子は、その構造についてナイキから講義を受けていた。
「防御魔法に転移魔法ねぇ。おばあちゃん、凄いなぁ」
感動しきりの花子は、自分も同じことが出来ないかと思った。
しかし、流石に二種類の魔法を同時に発動するのは初心者には難しい。
「先ずは、魔力操作を覚えるところから地道にやりましょう」
「そうね。千里の道も一歩よりだもんね」
ウンウンと一人納得気に頷く花子は、ナイキが日本に伝わる諺を知らないことを失念している。
「花子さん、そのセンリノミチモ……というのは、何でしょうか?」
「ん?あぁ、遠い道のりも、先ずは最初に一歩踏み出すことから始めるでしょ?だから、何か物事を始める時は、焦らず小さい事からコツコツ始めるってことかしら」
「なるほど。ローノの道も一歩からと同じですね」
「あ!ローノ!」
花子は、すっかり忘れていた。
自分が次の目的地をローノに決めていたことに。
「そろそろ、出発しないと」
花子が運転席に座ると、ナイキは当たり前に助手席に座る。
そして、エンジンをかけると鞠子の声でカーナビが言った。
「次の目的地は、ローノです。先ずは道なりに真っすぐ三百キロ進んでください」
「は?三百キロ?」
思わず叫んだ花子だが、既に車の前には目的地への経路を示す石畳がどこまでも真っすぐ伸びていた。
完
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