第一話 カーネル(CAR寝る)な旅
立花花子二十六歳は、途方に暮れていた。
「ここ、どこ?」
軽ワゴンに荷物を積んで一人旅途中、彼女は山道に迷い込んだ。
Uターンすら許されない道幅で、バックすることすら不可能。
致し方なく前へ前へと進んでいくと、大きな原っぱに出た。
そこが、彼女が目指していたキャンプ場と違う事は一目見て分かった。
何故なら、目の前に一本の石畳が真っすぐ伸びているからだ。
山の上とは思えない空間に、何処までも続く道。
視力2.0の彼女でも、その先を見通すことが出来なかった。
「カーナビ通りに来たんだけどな……」
文明の利器に頼り過ぎたせいか、地図を持ち合わせていない。
携帯も見てみたが、無情にも圏外。
アンテナの一本すら立っていない。
「参ったな、引き返すか」
元々車中泊が基本の花子の旅。
今回は、久々に体を伸ばして眠ろうと、キャンプ場のコテージを借りていた。
湯をためて浸かろうと思っていただけに、落胆するのも仕方ない。
だが、常に前向きな彼女は、来る時に通った道の駅にある海鮮丼を思い浮かべ、
「ウニとかイクラとか奮発しちゃう?」
と無理やり気持ちを切り替えた。
そうしないと、気持ちが折れて泣いてしまいそうだったからだ。
「よし、そうとなったら、善は急げ!日が暮れる前に山を下りないと」
シフトレバーを掴んだハナコは、ⅮからRへと切り替えた。
ピ―ピーピー
車がバックしますよと音を立て、バックモニターに背後の景色を映し出す。
当然他に人がいるわけでもなく、花子はグルンと車を方向転換した。
しかし、彼女の目に映ったのは鬱蒼とした木々でも、車幅ギリギリの山道でもない。
「は?どういうこと?」
なんと花子の目の前にあったのは、広大な池。
向こう岸までキロ単位の距離であることは間違いない。
花子はポカンと口を開けて暫く呆然としたが、堪えていた涙が零れてきた。
「なんで、こんなにも次々悪い事ばかり起きるのよ!」
彼女は、会社を辞めて傷心旅行中だった。
結婚を約束していたはずの彼が、あっさり社長令嬢と結婚してしまったからだ。
直ぐさま上司に退職願を突き付けたが、有能だっただけに引き留められた。
「君ほどの人材は居ない。どうか、辞めないでくれ」
拝むように頼まれたが、同じ部署には元カレが居る。
しかも、ニヤニヤとこちらを馬鹿にしたように見てくるのが我慢ならず、思わずグーパンで殴ってしまった。
シュッ
バキッ
プロボクサー真っ青のストレートが顔面に入った。
その瞬間、依願退職は強制退場へと切り替えられた。
――アイツの鼻、曲がってたわね。花に鼻を折られる。なかなか良い同音異義語の例文じゃない?
気分はスッキリしたが、退職金は出なかった。
しかし、花子には、二十六年の人生を掛けてコツコツ積み上げてきた資産があった。
生まれながらのドケチ体質。
物心ついてからお年玉は、貯金と決めていた。
そして、節約料理にポイ活だけでなく、化粧や衣服等への費用も最小限にして投資資金を捻出した。
途中たまたま貰った宝くじが数千万に化けた時は、家への帰り道で何度も後ろを振り返った。
幸運と努力のお陰で、花子は既にFIRE寸前だった。
利益だけで食べていける、正直超お得物件な女なのだ。
こうなると、元彼に財産があることを伝えていなかったことが功を奏することになった。
もし知られていたら、結婚資金だとか言われて、ATⅯのように引き出されていたことだろう。
日々のケチケチさが、彼を遠ざけたことを神に感謝した方が良いのかもしれない。
今回の件で花子は、教訓を得た。
――自分の人生は、他人に委ねてはいけない。
花子は、破局したことで人生の目標を失った。
それは、逆に言えば、彼女の夢が、彼との結婚だけだったということだ。
彼女の仕事は、大手商社の営業だった。
持ち前の真面目さと精神的タフさで信頼を築き上げ、彼女じゃなければ取引をしないという会社が何社もあった。
そして、そのコネクションのお陰で会社の危機を救ったのも、一度や二度ではない。
本人の自己評価は低かったが、周りの評価はトップクラスだった。
それ故に、現在、彼女の抜けた穴が塞がらず、社内は大混乱。
しかも顔だけで婿入りした元彼が、契約書をシュレッダーにかけるという大失態を冒し、会社の命運をかけた大型契約を頓挫させていた。
今思えば、なぜあんな男に惚れたのか花子すら分からない。
そして、面倒なことから解き放たれた彼女は、貯めていた金の極一部で真っ赤な軽ワゴンを購入し、後ろで眠れるよう特製のベッドまで購入した。
これは、全て祖母鞠子の真似だった。
共働きだった両親の代わりに花子を育てた鞠子は、無類の旅行好きだった。
車中泊の事をカーネル(ⅭAR寝る)と呼び、休みの日には必ずと言って良い程、二人で車に飛び乗っては冒険の旅に出かけたのだ。
海や山へ川へ。
あの時の感動を再び味わうべく、花子は軽ワゴンのハンドルを握ったのだ。
それなのに、今彼女の目の前にあるのは、今までに見たことのない異なる世界だった。




