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戦禍の大地に咲く百華  作者: 大洲やっとこ
第二部 苦くて甘くて痛くて甘い
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第80話 研鑽と積算



 大木の幹に深々と食い込む刃。

 斧ではなく、剣で。


 振るった一太刀で、抱えきれないほどの大木の半ば以上に切るなど、まともな者には出来ない。

 ただ、剣はごく普通の出来合いの物で、そこで折れた。

 アヴィの手元には、根元近くで折れた剣の柄だけが残る。



「……」

「見ていなさい」


 老躯とは思えないほど凛とした足取りで、今ほどの大木と同じほどの別の木に対峙するカチナ。


 手にしているのは、先んじてアヴィが折った物と変わらぬ剣だ。

 同じ条件で、向き合う。



「っ」


 息を吐く刹那よりも、剣が抜けた速度が速い。

 瞬きする間もなく振り抜かれた剣は、折れることはなく通り抜けて。


「わ、とっ!」


 慌てて、控えていたミアデたちが手を伸ばした。

 幹を斬られた大木が倒れるのを、数名がかりで受け止める。

 彼女らの力も既に尋常ではない。それでも倒れる大木を押さえるのは大変そうだった。



 クジャの復旧の為には材木も必要になる。

 本来なら伐り出してからしばらく乾燥させるべきだが、とりあえずの応急処置の為に必要な木を調達に来ていた。

 そのついでの鍛錬。



「未熟なのです」

「……」


 カチナの言い方は冷たいが、事実を見せつけられた。

 言われたアヴィも、真剣な目で聞いている。


「アヴィ、私の腕力は貴女より劣るでしょう。ですが力任せに振るうだけではない」

「……そうね」


 手に残る折れた剣を見て頷く。

 同じものを使って、この結果の違い。

 もっとも、剣で木を斬るなど正気の話ではないけれど。



「待つのじゃ大叔母よ」


 真剣な雰囲気。

 そこにメメトハが口を挟む。黙っていられないというように。


「当り前のように言っておるが、剣で大木を断つなど大叔母以外にできぬわ」


 呆れ半分、抗議半分。

 アヴィが未熟だというカチナの態度を、常識的ではないと訴えた。

 おかしいじゃろ、と。



「出来ぬというのは甘えです」

「いや、刀身より幹の方が太いではないか」


 剣の長さ以上の直径の大木を、目の前で断ち切られた。

 メメトハの言いたいことはルゥナにもわかるが。


「甘えです」

「ぬ、う……」

「メメトハ。私もまた、貴女をこれまで甘やかしすぎました。反省しています」


 藪をつついた形で、メメトハへと返る。

 おそらく、メメトハにも厳しい課題が与えられることになるだろう。



「……そう、ね」


 折れた剣を眺めて、アヴィが呟いた。

 懐かしそうに。


「前に……メラニアントの腕が斬れなかったことがあった」


 すらと、言葉が出てくるのは珍しい。

 それだけカチナの姿に感銘を受けたのか。


「私の剣の方が鋭くて、硬かったのに」


 ルゥナの記憶では、アヴィがメラニアントと戦っていた姿はない。

 日光を嫌い洞窟の奥に巣を作る魔物。アリの魔物。

 ルゥナと出会う前に、洞窟の奥深くで暮らしていた頃のこと。



「私の技が足りなかった」

「その通りです」


 お互いに頷いてから、アヴィが折れた剣をゆっくりと振る。

 カチナの動きをなぞるように。

 今、目にしたものを再現しようとしているのだろう。


「……何か、違う」

「剣の先まで気を巡らせ、刃に触れる質感から力の強弱、刃の滑らせ方を判断するのです」


 斬りたいものの感触を刃先で感じ取り、それに応じた斬り方を。


 聞きながら、ルゥナは少々理解が着いて行かない。メメトハは顔を青くして首を振っている。

 アヴィはカチナの言葉を疑う様子はなく、また素振りをしてみたりしているけれど。

 物事を極める者は、どこか常軌を逸しているものなのかもしれない。



「しばらく木を伐りながら考えなさい」


 そう言ってアヴィに渡すのは、やや大きめの手斧だ。

 片手で扱うには少し大きいように見えるけれど、筋力が強いアヴィには問題ないだろう。


「何本も剣を折られては困りますからね」


 古くなった剣を研ぎ直して練習に使っていたが、いくつも駄目にされるのも困る。

 そもそも、剣は木を伐るようには作られていない。

 アヴィは斧を受け取り、別の木に向かった。



 黙って斧を見つめてから、振り上げる。


「刃を思いながら数百も伐れば見えてくるものも――」


 カチナの蘊蓄が終わるよりも早く。


 破滅的な音が響いた。

 折れるというよりは、砕けるような。


「……」

「……危ないわ」


 事も無げに言いながら、倒れかかった大木を皆がいない方に向けて押す。

 それだけで、幹の一部を粉砕された大木が、倒れかかった方向と逆に倒れていった。



「……折れたわ」

「加減が、下手なようですね。貴女は」


 片手で振るった斧は柄の部分しか残っていない。

 木製の柄なのだから、力任せに幹に叩きつけたらそうなって当たり前だ。


 片手の一撃で大木の幹を破砕するアヴィの力には、改めて驚かさえれる。

 斧の持ち手の修繕は、折れた剣の処理よりも簡単だろう。

 苦笑いを浮かべるルゥナの傍で、メメトハが溜息を吐く。


「加減が下手なのは、大叔母もじゃ」


 クジャの復旧を兼ねた修練は、まだ始まったばかりだった。



  ※   ※   ※ 



 ニアミカルム山脈から溢れた魔物の群れが、南部エトセンの近隣集落に被害をもたらす。


 魔境と呼ばれる魔物の巣窟から魔物が溢れることは、稀にある。

 冒険者たちにもそれは知られていた。

 今回のそれは、異常な規模だったけれど。


 山脈全体を魔境と見做せば、こういう事態もあり得るのかもしれない。

 エトセンも、その東に位置するレカンにも。

 確認は取れていないが他の地域も同じようなものなのではないだろうか。



 ボルド・ガドランはエトセン騎士団の団長であり、このカナンラダではルラバダール王国の軍務の責任者である。

 エトセン周辺はビムベルクを中心とした部下に任せ、自身はレカン側の防衛、魔物討伐に向かっていた。


 エトセンに戦力を割く都合上、レカンに向かう人数は少なくなる。

 とはいえ、レカンとて数万人が暮らす街で、周辺住民を含めれば二十万を超える。放っておいて良いわけがない。


 割ける人員が少ない。

 その不利を埋める為に、自分が向かう。

 ボルド直属の精鋭ならば、百に満たなくとも並の兵士なら万にも匹敵するだけの力を有していた。


 そして。



「……さすが、勇者ですね」


 側近の部下が、普段はあまり無駄口を叩かない男だが、言葉を漏らす。

 員数外の戦力。

 ボルドの奴隷として使役できる勇者がいた。


「そりゃあ僕は勇者だからね。魔物退治なら任せてもらっていいよ」


 勇者シフィーク。

 今日は、上機嫌な精神状態らしい。

 非常に不安定で危険な雰囲気もあるシフィークだが、実力は確かなものだった。



 呪枷で制限されていてボルドの命令には逆らわないが、彼の奇行は行軍中にも部下たちも目にしている。

 唸り声を上げたり、スープに手を突っ込んで顔を洗ったり、突然笑いだしたり。

 かと思えば、歩いている途中でぷつりと倒れて眠り出すこともあった。


 壊れた勇者。

 見れば見るほど、野放しにしては置けない。


 ビムベルクがこれを確保したのは正解だったと、珍しくボルドは部下を褒めてやりたくなった。

 自国領で暴れられても困るが、他国だとしても、こんなものが暴走したら多くの民間人が被害を被るだろう。


 魔物の群れと戦わせれば、まとめて十やそこらは薙ぎ払い、傷を負うことも恐れずに突っ込んでいく。死すら厭わぬというか、考えもいない様子で。


 途中からは、魔物の方がシフィークに怯えて逃げ出す始末。

 見ているボルドでさえ、背筋に寒いものを覚えざるを得なかった。



「魔物退治は冒険者の本分さ。それが町の人の助けにもなるなら、素晴らしいじゃないか」

「おっしゃる通りですね」


 上機嫌なシフィークに応じる部下たち。

 歴戦の彼らにも、怯えがある。


 魔物が襲ってくるのは珍しいことではないし、慣れている。

 だが、規格外の実力の人間が、すぐ近くで異様な言動を繰り返すことには慣れていない。


 まともな魔物よりも異常な人間が恐ろしい。

 特例措置で、呪枷を着けさせておいて良かった。



 レカン周辺の村々は、春ごろに他の事件で被害を受けていた。

 いくつかの村が襲撃を受けて滅びている。

 合わせて数千の人間が、死体も残さずに消え去った。


 骨も、腐肉も見当たらないという報告だった。

 まさか襲撃者が丁寧に埋葬してくれたわけでもあるまい。


 まして相手は、人間に深い恨みを持つ影陋族の戦士だという。

 骨も残さず食らったなどと、そのような怪談話の類というわけでもないだろうが。



 初春に黒涎山が崩落したという話から続けて、妙なことばかり。ボルドの耳を騒がす。


 よもや、数千年前の神話の時代に滅びたはずの魔神が復活したとでも。

 だとしたら共に滅びた女神も目覚めてほしいところだ。

 などと、異常事態が続いたせいでボルドも妙な思考になっている。



「チャナタも言っていたな」


 ふと、脳内に浮かんだ女神という単語から記憶が繋がった。

 つい最近、チャナタの口から女神という言葉を聞いたのだった。


 黒い呪枷について、ボルドも人間相手に施すのは初めての経験だった。

 外す方法などを聞いた時のことだ。



 ――呪術の力、は……女神に、由来します……もので。


 呪術に明るい人間は少ない。

 ボルドも、表面的な知識としては知っていても、深く造詣があるわけではない。


 ――打ち破る……のであれば、ですか。女神に並ぶ……だけの力が、あるなら。


 有り得ない、という結論だ。

 神に並ぶ力など、人間が持ち得るはずはない。

 それに相当する人間は、歴史上にただ一人。


「覇者……統一帝、か」


 神話の時代からしばらく後。

 ロッザロンド大陸全土を統一したという、唯一の存在。

 その力は数多の英雄を屈服させるほど圧倒的だったと言われ、その偉業を継いだ者は存在しない。



 勇者シフィークは確かに常人から見れば規格外だが、勇者という括りで見れば理解が及ぶ、

 もしかしたら、近く英雄級に至る可能性もある。

 英雄なら、他にもいる。


 英雄を凌駕すると言われる覇者。

 仮にシフィークの器がそこに手が届くとして、それはどれほどの力が必要なのか。



 人間が強くなるには、個人的な限界を別として、魔物を倒す必要がある。

 魔物を倒して無色のエネルギーを得る。

 ここまでの魔物討伐でシフィークが倒した魔物の数はどれほどだろうか。数えていたわけではないが、およそ千を超える程度。

 かなりの数だ。


 英雄に至るには、おそらく万の数が必要だろう。

 英雄を凌駕するとなれば、そこからさらに数倍から数十倍。


 現実的ではない。時間的にも、体力的にも。

 そもそも魔物の数がそこまで用意できないのだから。数だけではなく、相応の力を持った魔物などそこまで多く遭遇できるはずがなかった。



「……」


 考え込んでしまって、自分の思考が不毛だと気が付く。

 ボルド自身も不安になっていたのだろう。

 シフィークを身近で見て、これが自由を取り戻したら、と。



「団長?」


 部下の一人が訝し気に訊ねてきたので、首を振る。


「いや、なんでもない」


 笑みが浮かんでいたのかもしれない。苦笑だが。

 誤魔化すように言葉を続けた。



「物のついでだ。トゴールト方面近くまで行くぞ」


 妙な報告の中には、隣接する他国の領地であるトゴールトの話もあった。

 見たから何がわかるというわけでもないが、腑に落ちない報告が胸中に残っている。


 自分の目で確認しておきたい。

 シフィークへの非現実的な恐怖感を払う為と、そのついでに。ボルドの気持ちはその程度のものだったのだが。



  ※   ※   ※ 



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