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戦禍の大地に咲く百華  作者: 大洲やとこ
第二部 苦くて甘くて痛くて甘い
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第81話 黒華の騎士と鉄面皮



 クロエは自分の境遇に感謝をしている。


 平坦ではない。

 他人から見れば、不幸と言う者もいるだろう。だがクロエは自身の過去と現在に感謝をしている。

 少し前までの自分なら考えられないことだと思うけれど。


 幸せか、そうでないか。それは受け止め方次第だという考え方をするようになった。

 ひもじい時に一切れの食べ物を手にして、それを充分と思うか不足とみるか。

 全てが満たされることなど、人の身ではそうそう享受することが叶わない至福だろう。

 それを追い求めていては、いつまでも幸せなど得ることは出来ない。



 クロエは自らの過去を顧みる。


 恵まれた家に生まれ、多くの人が憧れる翔翼馬に騎乗する権利を得た。

 それは幸運なことに違いない。


 だが、そこにクロエの努力があったのかと問われれば、そうではない。

 与えられた幸運、その蜜をただ啜っていただけ。


 そんな自分が家族を失ったことは、悲しいことではあるけれど、自らの努力不足と言われれば完全に否定はできない。

 甘ったれたクロエには、自分の大事なものを守る力がなかった。



 だというのに、幸運は尽きなかった。果てなかった。

 仕えるべき本当の主に出会えた。


 美しく、強く、愛おしい。

 愛おしくて、愛おしい。



 時にクロエが震えるほどに恐ろしい顔を見せることさえ、無性に嬉しいのだ。

 敬愛するマルセナに踏み敷かれることも、その命令を受けられることも。


 必要とされるのは、クロエ個人のことではなく、天翔騎士としての姿なのかもしれない。

 それでも必要としてもらえることを喜ぶ。



 クロエは己の過去にも現在にも、深い感謝を抱いていた。

 未来がある。

 マルセナと共に在る未来は、どれほど血塗られていようともクロエにとっては花道だ。


 港町マステスを落としたこと。その際に民間人をいくらか……数え切れぬほど殺したことに擦り傷のような痛みは感じても、恥じるところはないと思えた。



 幸せだ。

 女神に仕え、あまつさえその身に触れ己が身を焦がす熱情を擦り合わせることなど、誰が叶えることが出来ただろうか。


 歴史上、誰もいない。

 おそらく伝説の統一帝でさえ得られなかっただろう悦楽を、幸せと言わずになんと言うか。



 舌と鼻孔に残る甘い匂いを思い出して、また下腹にむず痒い熱が灯る。

 けれど、今はそういう場合ではない。

 クロエの股にあるのは黒い翔翼馬ダロスの鞍であって、女神の指や足ではない。


 ここは戦場。

 酔うのなら甘美な芳香ではなく、血と痛みに。嘆きと狂気に。

 敵の血をもってして、女神に笑顔を賜ろう。

 そう考えれば収穫に似たもの。



 クロエには知識がある。

 トゴールトの軍人の家で育ったクロエには、その集団の出で立ちがルラバダール王国エトセン騎士団の精鋭であることがわかった。


 山から溢れた魔物への対応の為に出ていたクロエが、敵国の軍を見つけてどうするべきか。


 敵国とは言っても、それはコクスウェル連合から見ての話で、トゴールトは既にマルセナのものだ。コクスウェル連合からは離反している。


 そのようなこと、相手にはわからぬだろう。

 今日、ここで敵対するかどうかは別としても、味方ではない。

 マルセナがこの世界の神として在る以上、いずれ戦いは避けられないはず。



(大人しく従うのなら良いのですけど)


 クロエとて最初は反発した。今となっては愚かなことだったと思う。

 ルラバダール王国はロッザロンド最大勢力であり、エトセン騎士団もこのカナンラダでは最大の武力を持つ。戦いもせずに降るなど有り得ない。

 今見えている集団の人数はそれほど多くはないが。



 溢れた魔物への対応。二通りだ。

 角を持つ翔翼馬であるダロスと、イリアが騎乗するディニには、魔物を従える能力があるらしい。

 恭順する魔物は戦力として加える。


 どういう理屈かわからないが従わない魔物もいる。それらは討伐して、糧としてきた。

 従う魔物どももまた、倒した魔物を食らっているので飢えてはいない。



 クロエは、自分がわずかな間にかなり強くなった実感がある。

 マルセナの剣として戦う為には力が必要だ。いつまでもイリアに一番の下僕のような顔はさせておけない。


 漆黒の翔翼馬ダロスもまた、クロエ以上にこの短期間で強くなっている。

 白い魔石を糧として。


 マルセナや、マルセナと通じたイリア、クロエらが人間を殺すと、人間からも魔石が生まれる。

 過去に聞いたことがない話だが、女神マルセナの力だとすれば何があろうと納得だ。


 その白い魔石は、魔物にとって糧としやすい性質があるらしい。

 ダロスもディニも、ガヌーザの下働きをしているプリシラという少女も、白い魔石により力を増していた。


 千を超える魔物の群れと、ダロスに騎乗するクロエ。

 この戦力なら、百程度の軍を蹴散らすことも可能ではないか。

 エトセン騎士団だというのなら弱くはないだろうが、それもまたダロスには良い餌になる。




「下賤な侵略者ども!」


 クロエは叫んだ。

 高らかに剣――マルセナから賜った名剣――を掲げて、ダロスと共に上空から。


「ルラバダールの者と見るが、何の故あって我が君の所領に足を踏み入れるか!」


 言ってみたかった。我が君、とか。

 敬愛するマルセナを思い浮かべながら、主君の支配すべき大地を侵す愚か者どもを見下ろして。



「……トゴールトの天翔騎士と見受ける」


 エトセン騎士団は歴戦の戦士が揃うと言うが、それでも動揺は隠せない。

 魔物の軍勢を率い、威風堂々とした漆黒の翔翼馬に騎乗するクロエを見て。

 余計な動きを見せないのはさすが最強を自負する集団だが、あまりに微動だにしないのは緊張しているからだろう。


 進み出て応じた男は一行の責任者なのか。驚いてはいても、動じた様子はなかった。

 声を大きく張り上げるわけではないのに、低く響いてクロエの耳にも届く。



「ここはトゴールト勢力下ではないかと思うが」


 ひどく落ち着いた声で、愚かなことを。


 男の言葉は、間違ってはいない。

 ルラバダール王国所領のレカンと、トゴールトの中間地点。どちらの土地ということもない緩衝地帯。


「この地は……いえ、この世界は、全て我が主のものです。弁えなさい」


 無知であることは仕方がないとはいえ、つい呆れた声で応じてしまった。


 どうせ説明してもわからぬだろう。マルセナがここにいれば知ることも出来たかもしれないけれど。

 残念ながらマルセナは反対方面に向かってしまった。イリアと共に。それがまたクロエを攻撃的な気持ちにさせている所もある。



「大きく出たものだ。主と言うのは……コクスウェルに国王はいなかったはずだが」

「お前がそれを知る必要はない。大人しく去るか、武器を捨て従うか。あるいは……」


 掲げた剣を、男に向ける。


「死ぬか、です」


 クロエが指し示した切っ先を見て、ぴくりと男の表情が動いた。

 それまで無表情を取り繕っていた男が、わずかばかりに感情を見せる。


「……力づくで、聞かせてもらう必要があるか」

「愚かな」




「出来ればその女は殺すな!」


 動揺はあったものの、戦うと指示があればそこに迷いはない。

 指揮官の指示に従って戦闘態勢になるエトセン騎士団。


「殺し、食らいなさい!」


 クロエの命が、ダロスを通じて魔物の群れに伝わった。

 一斉に解き放たれた魔物の群れが、大波のように大地を駆けて戦士どもに牙を剥く。


 女神マルセナに勝利を捧げることが出来るのなら、魔物の命などどれほど使っても構わなかった。



  ※   ※   ※ 



 数刻もしないうちに、クロエは見立てが甘かったと臍を噛む。


 強い。

 幾人かの手練れと、二人の異常な強さの敵がいる。


 敵の指揮官は、ダロスとクロエの人馬一体の攻撃を受け止め、反撃さえしてきた。

 正直、クロエだけではとても敵わなかった。ダロスという相棒がいてようやく拮抗する強敵。


 そしてもう一人。



「あははは! いいぞぉ、もっとだ!」


 襲い来る魔物の波の中、狂ったように暴れまわる男。

 連携して魔物の襲撃を食い止める騎士団とは明らかに別の、単騎で戦う異常な強者。冒険者のようだ。

 数十の魔物に囲まれ、それらを次々と薙ぎ払っていく。



「捕虜となるのなら相応の扱い約束しよう」

「黙りなさい!」


 ダロスの滑空と共に振り抜く剣。

 勢いも凄まじいが、予測不能な軌道を描く。


 ダロスはただ滑空するのではなく、敵の直前でその身がブレるように分かれた。

 今は、クロエが逆立ちする形で剣を振り、直前でそれを見極めた敵がその刃を弾く。


「くっ」


 直前で軌道が瞬時に変化する為、いかにこの男が凄腕でも万全な体勢で受けられるわけではない。

 ダロスの重量も加えたクロエの剣閃は重く、体勢が崩れたら反撃までには及ばない。


 クロエには、ダロスの動きがイメージで伝わってくる。

 曲芸じみた挙動だが、クロエとダロスの戦い方は一体の魔物のごとく乱れがない。


 エトセン騎士団もまた見事なもので、多数の魔物の群れの中でもお互いを助け合い防ぎつつ対応していた。

 中々攻勢には出られないものの、彼らが耐えている間に突出した異様な冒険者が魔物を減らしていく。


 決め手を欠いているのは、クロエの方だ。

 互いに消耗していったとしても、このまま長引けば。



「仕方があるまい」


 男が、剣を抜いた。

 今までも抜いていたが、それを右手一本に持ち、左手に別のショートソードを。

 ショートソードというのにもまだ短い。少し歪んだようなダガーと、最初から使っていた直剣。



「二刀……」


 クロエが動揺する番だった。

 噂に聞いたことがある。エトセン騎士団で二刀持ちを得意とする戦士の名を。


「ボルド・ガドラン……っ!」

「指揮官が目立つものではないのだがな」


 持論なのか、大して面白くもなさそうにそう呟いて。

 低く構える姿は、騎士団長というよりも獲物を狙うハンターのようだった。



 ダロスは魔物だ。敵の気配に敏感で不思議はない。

 身を引いたダロスだが、ボルド・ガドランの動きはそれを上回る。

 先ほどまでとレベルが違う動きに、反応が遅れた。


「BUEE!」

「くぁっ!」


 初撃を受けられたのは距離を置いていたからだ。

 続く斬撃を躱しきれず、クロエはダロスを蹴り飛ばした。


 人馬が離れ、その間をボルドの剣戟が抜ける。

 落ちたクロエは地面に膝を着き、ダロスは空を旋回した。

 中間に降り立ち、再び低く構えるボルド。


「今のを避けるとは、良い判断だ」


 部下にほしいな、などと嘯く。


「ふざ、け……」


 手が痺れている。

 最初の一撃は左手の短いダガーの方だったが、重かった。



 強い。

 エトセン騎士団の団長の名は伊達ではない。腕に残る衝撃に文字通り痛感させられる。


 良い判断だったと評されたが、違う。

 判断を間違えた。


 この男がボルド・ガドランだとわかった時点で、即座に逃げるべきだった。その時にはまだダロスに騎乗していたのだから、飛んで逃げればよかったのに。


 地に落ちてしまっては、再び騎乗する暇は与えてくれないだろう。

 ここでクロエが捕えられたら、どうなるのか。


 拷問や、他の手段を用いて、マルセナのことを聞き出されてしまう。

 いかにマルセナが強大な力を持っていても、エトセン騎士団やその増援などにトゴールトを攻められたら、今は対抗しきれない。

 情報を敵に渡すべきではなかった。


 全てクロエの判断ミス。

 この上、生きて虜囚になど――




「むっ!」


 クロエが自決する覚悟を決め、それをボルドが阻止しようとした瞬間だったのだと思う。

 短く息を吐き、ボルドが飛びずさった。


「ほう……ほうほ、う。当たらぬ、か……」

「……何者だ」


 ボルドの頭があった場所を通り過ぎたのは、煤けかけたような灰色の杖。

 それを振るった者は、いつからそこにいたのか、霧が湧いたように黒い澱んだ外套に身を包んでいる。


「ひ、ひゃ……なに、なにがしかと……ひゃ、ひゃ」


 呪術師ガヌーザ。

 問われたが名乗るつもりはないのか。問われたことが面白かったのか。嗤う。


「この娘、は……必要、ゆえ。馬がため……」


 助けに来てくれるならマルセナが良かったけれど、このような薄気味の悪い男よりも。

 だが贅沢を言える立場ではない。



「う、うわぁぁっ!」


 取り乱した声が、奮戦していたエトセン騎士団の精鋭から上がる。


「……」


 ガヌーザから意識を逸らさず、ちらりとそちらを確認するボルド。

 部下たちの間から、赤く煮えるような粘液状のものが噴き出して二人ほど飲み込んでいた。


 見る間に溶けて、また次へと。

 焼け爛れながら骨になっていく仲間の姿に、歴戦の戦士たちも恐怖を抑えきれない。

 それまで耐えて来た魔物の攻勢にも、その隙間から崩れていく。



「退く! 全員撤退だ!」


 ボルドの判断は素早かった。

 即座に部下に指示を出して、そしてダガーを振るう。


 がん、と。

 重い音を響かせて、上から襲ってきたダロスの鋼の蹄鉄を打ち返した。


「シフィーク! 撤退の援護をしろ!」

「ううぁぁぁぁっ!?」


 魔物の中で暴れていた男が、その命令に不服だというように大きく唸った。

 だが、不満そうな声とは裏腹に、即座に猛烈な速度でガヌーザに切りかかる。


「ひゃっ」


 驚きの声なのか嗤い声なのかわからないが、ガヌーザはその剣を煤けた灰色の杖で受け止めた。

 ただそれだけの攻防で、凄まじい衝撃波が生じてクロエにたたらを踏ませる。



「うぁ?」


 戸惑いの息を漏らすシフィークとやら。受けられるとは思わなかったのだろう。


「おそろ、し……や、ひひゃっ」


 実際に、ボルドの剣閃を超える凄まじい一撃だったが、ガヌーザはそれを受け止めて嗤った。


「ひひゃ、まさに……経験、は大事よ、な……」


 過去にこのレベルの相手と戦ったことがあるのか、それが活きたことが可笑しかったのか。


 枯れ枝のような腕で、煤けた杖で、衝撃波を伴う剛剣を受け止めて嗤う。

 頼もしい一方で恐ろしい。



「じゃまぁ!」



 仕切り直そうと後ろに跳んだシフィークに向けて、ガヌーザは地面を削った。

 杖の下端が地面を削り、どろりとした泥が撥ねてシフィークの顔にかかる。


「女神は禁ず。泥土に棄てし吐露に触れんとする妄畜の姿を。滲漏の涎唾」


 ただの泥。

 かと思ったが、違う。



「う、あ……?」

「理性なき獣、なれば」


 踏みしめようとしたシフィークの足は、泥に取られるようにぐにゃりと崩れた。

 ちゃんと大地を踏めないのか、ぬかるみに嵌まったかのようにバランスを崩す。


「女神の吐き棄てた唾にさえ心囚われ足を奪われる、と」


 ガヌーザがすらりと話すのを、クロエは初めて聞いた。



「呪術師か」

「しか、り……」


 もがくシフィークの首根っこをボルドが掴んだ。


「退くぞ!」


 もはや形振りを構う様子はなく、足をもつれさせているシフィークを引き摺って背中を向けた。


 逃げる。

 エトセン騎士団団長ともあろう者が、敵に背を向けて逃げるというのは、そうそう見られる姿ではない。

 負け戦でも、見られないだろう。


 彼にとってこれは戦争ではない。戦場ではなく、ただ居合わせた場所で起きた正体不明の魔物との戦闘なのか。

 今は被害を最小限に逃げることを最優先に、走り去った。

 部下たちも、追ってくる魔物にそれぞれ応戦しながら逃げていく。


 魔物の追撃は止まない。

 クロエも止めるつもりはなかった。集めた魔物が逃げる人間を追って行くだけのこと。

 自分も一緒になって追撃するほど愚かではなかったが。




「助かりました、ガヌーザ殿」

「ひゃ、ひゃ……おもしろ、し……」


 楽しかったから気にするなとでも言うように嗤うガヌーザと、倒したエトセン騎士団を飲み込む赤い粘液。

 その粘液の一部が、少女の姿を形作る。上半身だけ、何も身に着けていないまま。


「主、食べていい?」

「かまわぬ、よ……かまわぬ、な?」

「ええ、構いません」


 半人半魔の少女プリシラ。

 彼女が人間を食らうことを、マルセナは認めている。マルセナが許すのだからクロエに意見はない。



 死体だけではなく、二人ほどまだ息がある者もいた。

 重傷を負い、残されている。

 魔物の群れはプリシラを怖れて彼女を避けていったので、潰されて死んだりしなかったらしい。それが幸運かどうかはわからないが。


「生きている者は尋問したいのですが」

「これは食べちゃダメ?」

「出来れば、ですが」


 プリシラは、上半身だけの人型になっている姿で小首を傾げてから頷いた。


「わかった」


 そう言って、自分の体の一部である赤い粘液を、どういう事情でか腹から血が溢れている戦士に這わせる。


「う……? うぎゃああぁぁっ!」


 悲鳴。

 焼け焦げる臭いが、その悲鳴の理由を教えてくれた。


「血、止めとく」


 出血で死んでしまわぬように、と。



「ありがとうございます、プリシラ」


 気の利く子だ。

 クロエが感謝を言葉にすると、照れたのかぷくりと粘液の中に沈んでいった。



「……ボルド・ガドラン。それと、シフィークでしたか」


 逃げ去っていったエトセン騎士団の精鋭。

 せっかく集めた魔物を壊滅させられ、残ったものも多くがあれらを追っていってしまった。

 マルセナにどう報告したらいいのか。


「……いずれ、この手で殺す」


 もっと強くならなければ。

 空から戻ってきたダロスの顎を撫でながら、また戦う日が来るだろうことを確信しながら誓った。

 マルセナから授けられた剣を握り締めて、そう誓った。



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